LUNA SEAとGLAYは“違う”からこそ惹かれ合う 25年ぶりの東京ドーム競演に至る両雄の歩み
25年の歳月を経て、LUNA SEA × GLAYという日本のロックシーンのレジェンド両雄が再び競演することが発表された。2025年2月22日、東京ドームにて開催される『The Millennium Eve 2025』である。今年結成35周年を迎えたLUNA SEAが、デビュー30周年を迎えたGLAYを誘う形で実現。1999年12月23日に同じく東京ドームで行われた『The Millennium Eve』が、再び開催されることになったのである。
The Millennium Eve 2025
25年の時を越え、遂に開催決定‼️
━━━━━━━━
2025年2月22日(土)
東京ドーム
LUNA SEA|GLAY9/19(木)18:00より
SLAVE最速チケット受付スタート!!詳細はこちらhttps://t.co/fAIKjw5eyv #LSvsGLAY #TheMillenniumEve2025#ERAtoERA#LUNASEA #GLAY pic.twitter.com/oAitb9fiF4
— LUNA SEA (@LUNASEAOFFICIAL) September 18, 2024
言わずもがな、両バンドはX JAPANのYOSHIKI(Dr/Piano/Composer)が主宰したエクスタシーレコードの出身であり、先輩後輩の関係にあたる。いわゆるヴィジュアル系シーンの一角を築いたレーベルにいながら、両バンドは音楽性もビジュアルも大きく異なっていた。LUNA SEAはハードながらもメタルとは異なる鋭利さを持ったサウンドと耽美的なリリシズムを持ったバンドだ。対し、GLAYはビートロックを基盤としながらメロディアスで純文学的な詩世界を持っていた。後年、“中二病”とも呼ばれるようなヴィジュアル系特有の耽美な世界観とは遠く、荒くれ者の多いエクスタシー軍団のなかで、優等生的な佇まいを持ったGLAYは異質と言える存在であった。
そんな両バンドであるから、激動の90年代をまったく異なるスタンスで活動してきた。1992年にメジャーデビューを果たしたLUNA SEAはセルフプロデュースを貫き、タイアップ楽曲がヒットチャートを独占していた渦中にリリースされたシングル『TRUE BLUE』(1994年)は、ノンタイアップで「オリコンシングルチャート」1位を獲得する。LUNA SEAは、当時の日本の音楽シーンで完成されつつあったセオリー「Aメロ→Bメロ→サビ」という構成を持たない楽曲が多いことからも、彼ら独自の美学を感じることができる。
一方でGLAYは、YOSHIKIプロデュースのシングル『RAIN』とアルバム『灰とダイヤモンド』を1994年に同時発売してメジャーデビュー。その後も土屋昌巳や佐久間正英といった外部プロデューサーを迎えている。佐久間は1994年から2013年までの20年弱、亡くなるまで長年にわたりプロデューサーを務めた。その後2013年からは亀田誠治がプロデューサーを務めており、セルフプロデュースにこだわることも多いシーンのなかでは珍しいスタイルを持ったバンドだ。そして、「Yes, Summerdays」(1995年/三貴『カメリアダイヤモンド』CMイメージソング)をはじめ、GLAYの名を広く知らしめた「グロリアス」(1996年/「'96 Victoria」TVCFイメージソング)など、タイアップにも積極的であった。ちなみに「真夏の扉」(1994年/TBS系TVアニメ『ヤマトタケル』オープニングテーマ)は、LUNA SEAの「MECHANICAL DANCE」(1992年/アルバム『IMAGE』収録)に影響を受けて作られた楽曲である。
ゆえに両バンドはファン層も大きく異なっていた。誤解を恐れずに言うならば、LUNA SEAはバンドマン志向の硬派なロックファンが多く、GLAYは流行に乗ったJ-POPファンも多かった。それが、当時10代だった昭和50年代生まれの印象だろう。LUNA SEAと言えば、SUGIZO(Gt/Violin)の咽び泣くようなロングトーンとINORAN(Gt)の繊細なアルペジオのツインギターを思い浮かべることが多いと思うが、GLAYはTAKURO(Gt)とHISASHI(Gt)のツインギターよりもTERU(Vo)の優しい声で歌われる愛に溢れたメロディが頭に浮かぶのではないだろうか。詞においても、LUNA SEAが〈揺れて揺れてこの世界で 愛することも出来ぬまま/はかなく散ってゆくのか〉(「ROSIER」/1994年)――と滅びの美学を歌っているのに対し、GLAYは〈生きてく強さを重ね合わせ 愛に生きる〉(「生きてく強さ」/1995年)――と前向きに愛と希望を歌っている。
GLAYはそうした歌謡曲に通ずる日本人らしい普遍性で老若男女、幅広い層に受け入れられた。ベストアルバム『REVIEW 〜BEST OF GLAY〜』(1997年)が450万枚以上を売り上げるなど、“国民的バンド”としての人気と地位を獲得したのである。
LUNA SEAもRYUICHI(Vo)の“河村隆一”名義でのソロ活動が幅広い訴求力となった。そのポップさゆえに古くからのLUNA SEAファンからの反発があったことも事実だが、河村隆一のソロアルバム『Love』(1997年)は約320万枚を売り上げ、男性ソロアーティストのアルバム売上枚数歴代1位という快挙を成し遂げた(2024年現在もこの記録は破られていない)。その成功がLUNA SEAの存在をさらに大きなものにしたことは言うまでもないだろう。