髙橋真梨子、コンサートで魅了し続けてきた50年の歩み 富澤一誠が解説する“ベストシンガー”たる理由
髙橋真梨子が『EPILOGUE tour 2024-2025』をリリースした。髙橋は2022年1月よりスタートしたラストツアー『our Days tour 2022』のアンコール公演『髙橋真梨子 Concert FINAL 2024-2025 EPILOGUE with Henry Band』を10月12日より行うことが決まっており、本作はそのセットリストアルバムとなっている。
レコードデビューから50年以上、なぜ髙橋は第一線で歌い続けられるのか。また、セットリスト音源を収めた独自のアルバムがなぜ、究極のベストアルバムであると言えるのか。髙橋真梨子の歌の魅力やシンガーとしての変遷、そして『EPILOGUE tour 2024-2025』の聴きどころに至るまで、長きにわたって彼女の活躍を追ってきた音楽評論家・富澤一誠が解説する。(編集部)
髙橋真梨子、コンサートで一人ずつ確実に虜にしてきた変遷
髙橋真梨子というアーティストが、なぜこれだけ長い間、ずっと活躍し続けられているのか。その要因はいくつかあります。
まず、ヒット曲の他に隠れた名曲が多いということ。真梨子さんの曲には、誰もが知ってるヒット曲ももちろんありますが、コンサートで思わず拍手が沸き起こるような、ファンが聴きたい名曲も多いので、ヒット曲に左右されない確実な基礎票を持っているんです。言い換えてみれば、それは“ファンにとってのヒット曲”ですよね。一般的なヒット曲を多く持っているアーティスト以上に、コンサートでファンを動員する力は真梨子さんの方が強いわけです。
もう1つは、自分で歌詞を書いているということ。歌詞には書き手のキャラクターが表れますから、歌詞に感動するということは、その人の生き方に共感・感動するということだと思います。ここにもヒット曲を超えたものがあり、いわゆるコアなファンの多さに繋がっていきます。真梨子さんの歌詞は、女性らしさがありつつも強く前に向かっている感じがします。だから、コンサートに行って、ただバラードで泣くだけではなく「真梨子さんみたいに私も頑張りたい」と思わせてくれる。真梨子さんの存在そのものがメッセージになっているんですよね。
とはいえ、真梨子さんも最初からそういったスタイルで活動されていたわけではなく、じっくりと長い時間をかけて今のスタイルに変化してきました。真梨子さんは、1973年にペドロ&カプリシャスの2代目ボーカリストとしてデビューし、「ジョニィへの伝言」や「五番街のマリーへ」などヒット曲を出してきましたが、途中で歌謡曲に寄っていった印象があります。当時は、五輪真弓やユーミン(荒井由実/松任谷由実)、イルカなどのシンガーソングライターがいわゆるニューミュージック系のフォーク、真梨子さんはテレビから出てきた歌謡曲歌手という風に思われていたので、フォークを聴いてきた我々が聴く範疇には入ってなかったんです。
その後、ペドロ&カプリシャスを脱退されて、1978年にソロ歌手として初めて「あなたの空を翔びたい」を出しますが、そのとき曲を依頼したのは、当時“ポスト・ユーミン”と呼ばれていたシンガーソングライターの尾崎亜美です。彼女もまだ大きく売れているわけではなかったのですが、同年に「オリビアを聴きながら」(杏里)を作詞作曲したことで注目されていました。そんな尾崎亜美にデビュー曲を依頼したことによって、歌謡曲歌手というイメージが払拭されたんですね。「あなたの空を翔びたい」は大ヒットこそしませんでしたが、真梨子さんはいい曲を歌う、いいシンガーだというイメージになりました。ここが大きなポイントだと思います。普通なら、ソロになっても売れやすいように歌謡曲歌手のイメージのまま行きますよね。でもそのレッテルを貼られてしまわないように、おそらくプロデューサーが狙って、歌い手から“アーティスト”へイメージを変えようとしたのだと思います。
真梨子さんはそのラインをじっくり突き詰めながら、コンサートをきっちりやって、小さなホールから大きなホールに向かって一歩ずつ、無理をせず積み上げていったんです。その結果、1984年に「桃色吐息」というヒット曲が出ました。この曲の作曲者は佐藤隆というシンガーソングライターですが、やっぱり曲がいいということで注目を浴びていた人です。作詞を担当した康珍化さんも、流行作家ではなくいい歌詞を書く人と評価されていた。その2人が書いたのが「桃色吐息」ですね。これが上手くはまって、真梨子さんが目指してきた1つのラインが完成するわけです。その後も、真梨子さんはいい曲をじっくり歌いつつ、コンサートをずっとやり続けていきます。
そして次のヒット曲である「はがゆい唇」が1992年に出ますが、「桃色吐息」からは8年経過しています。普通だったら「桃色吐息」と同じような曲をどんどんリリースしますよね。でも、それだと2、3発は当たるでしょうが、すぐに飽きられてしまいます。そこで真梨子さんは、「桃色吐息」とはまた違うテイストのシングルをどんどん出していき、コンサートでお客さんを一人ずつ説得していくような地道な努力をしていく。その結果、また8年後に「はがゆい唇」でヒットを飛ばし、そして1994年には「遥かな人へ」、1996年に「ごめんね…」と2年に1回はヒット曲が出てくるようになったんですね。
つまり真梨子さんは、コンサートで聴かせるアーティストとしてずっと活動しているということです。コンサートで歌って、曲の良さが口コミで伝わっていくことが多かったんです。皆さんご存じの「for you…」も、通算枚数は売れていますがチャートには入っていません。でもあれだけの歌ですから、コンサートで口コミとして良さが伝わっていったのです。たまたま当たったわけじゃないんですよ。
私は、“いい曲=いい歌”ではないと思っています。いい曲は、それにふさわしい歌手に歌われて初めて“いい歌”になり、たくさんの人の心を掴むのだと。そして、それこそが“ベストシンガー”なのではないかと思うんです。アルバムを作るときも、スタッフがいい曲を選び、その曲をいい歌にするのが真梨子さんなのです。シングルの場合も、リリースしてタイアップを取ったとしても、売れなかったら普通数カ月で終わってしまうじゃないですか。でも真梨子さんは地道にコンサートでいい曲を歌い続けて、それが口コミで伝わっていく。他の歌手がお金をかけてやるようなタイアップなどをやらなくても、本当にいい曲だったらお客さんが選んでくれるっていうシステムを作り上げていたんですよね。
歌が上手い人はたくさんいますが、カラオケの採点で100点を取れたとしても、売れた人はなかなかいない。100点を狙うと、感情を殺して技術で歌わないといけないですからね。でも逆に、歌に感情を込めすぎると、点数が出ない。スポーツの世界では、100mが9秒9の人は9秒8の人に絶対勝てないですが、歌や文学といった芸術の世界に絶対的な価値観はない。私がいいと思っても、他の人がいいと思わないこともありますからね。その中でできることといえば、技術も100点、感情も100点というバランスの良さで歌うことです。この2つのバランスを極めてよく取れているのが真梨子さんであり、ベストシンガーだと私は思っています。