パクユナ、路上ライブを経てシンガーとしての新章へ ありのままの孤独を曝け出した歌に至るまで

 2002年生まれ、三重県出身のシンガーソングライター、パクユナ。2022年の1月から2月にかけて「明日への扉」(I WiSH)と「たしかなこと」(小田和正)をカバーした路上ライブの動画がTikTokで200万回再生を突破し、地道な活動で23万人以上のSNSフォロワーを獲得。彼女の透き通るような光を帯びた歌声は、“祈りとしての歌”の効力を感じさせる。だからこそ全国規模で行ってきた路上ライブで多くの人の心を立ち止まらせてきたのだろう。

 そんなパクユナが10月1日に「薄明」という重厚感のある渾身のバラードを配信リリースした。孤独も弱さも曝け出した先に、かすかな光を見出すような優しさと温もりに満ちた1曲に仕上がっている。この曲を携えて路上からもっと広い世界へと漕ぎ出そうとしているパクユナに、歌を歌い始めたときのことから、代表曲「歩み」にまつわる大きな出来事、そして今の活動へと繋がるいくつかのきっかけについて語ってもらった。(上野三樹)

孤独や喪失から生み出されたオリジナル曲

――まずはユナさんが歌い始めた頃のことからお伺いしたいんですが、子ども時代から歌が好きだという感覚はありましたか。

パクユナ:昔から歌うことが好きで、よくテレビの音楽番組を観ていました。中学生のときにミクチャ(MIXCHANNEL)というライブ配信アプリが流行って、そこで私自身が好きな歌い手さんに出会い、ギターの弾き語りに興味を持ちました。お母さんがもともとギターに興味があったみたいなんですけど、一度も使ってないギターが家にあったんです。それで私が「ギター弾きたい」と言ったら「使ってみる?」って。高校に入ってからはミクチャで自分でもギター弾き語りの配信を始めて、軽音楽部に入ったことから人前で歌ったり演奏することも始めました。

――小さい頃はどんな曲を歌ってたんですか。

パクユナ:アニメの曲をよく歌ってましたね。『ぜんまいざむらい』とか『忍者ハットリくん』の曲とか。あとは、お母さんがずっと聴いていた、尾崎豊さんとかビリー・ジョエルさん、スピッツさん、サザンオールスターズさん。家や車の中で流れていた曲を覚えてずっと歌っていました。もちろん最近の曲も聴きますけど、親世代の曲を聴いて育ってきたので、その年代の曲調がすごく好きで心が惹かれますね。

――高校入学直後には曲作りも始められたそうですが、その頃はもうシンガーソングライターになりたいという意識があったんですか。

パクユナ:その頃はまだ自信もないですし、周りにその夢を言えるほど強く思えてはいなかったんですけど、心の中では音楽がしたいという気持ちがありました。

――最初に作ったのはどんな曲でしたか。

パクユナ:高校1年生になってすぐに作った「花道」という曲です。自分の人生の葛藤と孤独だったり、やりたいことがあっても上手く前に進めない自分の弱さみたいなものを歌ったのが初めての曲です。私は昔から、学校で周りの空気が読めなかったりして、あまり馴染めてなくて、全ての人に対して“良い子でいよう”と取り繕っている感じだったんです。高校に入ってすぐ、いじめに遭っていた時期があって、そのときに作ったのが「花道」でした。

――人に打ち明けられない葛藤や孤独を曲にするという、そういう始まりだったんですね。

パクユナ:そうですね。このどうしようもないやるせない気持ちを吐き出せる場所が音楽しかなかったし、音楽をしているときが一番自分らしくいられる時間だったので。「花道」は温かみのあるメロディだけど寂しさもあるような曲で、孤独を表現しながらも前向きに歩いて行こうという内容です。曲の作り方を誰かに教わったわけでもなく感覚で作ったんですが「自分でも作れるんだ」と思いました。自分のやりたいことや見せたいものを自分の色で表現できることが楽しくて、あっという間にできた感覚でした。

――先ほど高校で馴染めなくていじめにも遭ったというお話がありましたが、それでも学校には通い続けていたんですか。

パクユナ:はい、毎日ちゃんと通っていました。高校1年生のときは、いじめられていることを認めちゃうと負けみたいに思っていて、「どうしたらいじめがなくなるかな」と思いながら毎日通っていて、めっちゃ勉強して試験で良い成績を取ったらいじめられなくなるんじゃないかと思っていたんです。そしたら本当に成績が上がって、周りの友達が掌返しみたいに寄ってきてくれるようになって。それはそれでなんか嫌だったんですけど……そういう「絶対に負けないぞ」みたいな気合いで通っていました。だけど高校2年生ぐらいで無気力になっちゃって。親には学校に行くふりをしてカフェに行ったり、ずっと電車に乗り続けて学校をさぼったりしていました。高校2〜3年生くらいはそんな感じであまり学校には行かず、音楽を聴きながらずっと現実逃避をしていました。

――無気力になってしまうきっかけは何かあったんですか。

パクユナ:高校1年生の終わり、3月頃に親友が亡くなったことで気持ちが落ちちゃって、鬱っぽくなったのがきっかけだったと思います。当時、私がいじめられていたときに一番仲良くしてくれて、支えてくれていた子だったし、私が音楽を頑張ろうと思えたのもその子がきっかけだったので。その親友には「アナウンサーになりたい」という夢があって、私には「シンガーソングライターになりたい」という夢があって、誰にも言えない夢を2人だけで共有していました。お互いにほんの一握りの人しか叶わないような世界に夢を抱いていたけど、「いつか音楽番組とかで共演できたらいいね」なんて話をして、私自身、その子に背中を押してもらっていたんです。7〜8年ほど経った今でも、思い出して落ちこんでしまうときもあるくらい、自分にとって大きすぎる出来事でした。

――その想いを音楽にしましたか。

パクユナ:当時、その子に向けて作った曲が何曲かあったんですけど、しっくりこなくて。あまり受け止めたくなかったこともあり、まだ実感がなかったのかもしれません。その子のことを考えすぎるとどこまでも落ち込んじゃう自分がいたので、忘れることはないんですけど、1回他にのめり込むことを見つけないと……って思い、その子の曲は一度作らないことにして、音楽活動や受験に気持ちを切り替えていました。大学に入って、ちょっとずつ前向きになれてきた頃に生まれたのが「歩み」という曲です。

――時間を置いて、改めてその子への想いを歌にしたのが「歩み」だったと。

パクユナ:はい。数年経って、その子がいなかったら私は音楽を続けられてないんだろうなとか、その子の分も自分が夢を叶えなきゃという想いが強くなって。

【 Music Video 】歩み / パクユナ

――「歩み」は今ではユナさんの代表曲になりましたね。ご自身が最初に路上で歌ったのは高校2年生のときだったそうですが、どんな状況だったんですか。

パクユナ:私は高校も大学も三重県から片道2時間以上かけて愛知県まで通っていたんですけど、高校2年生の秋に、友達と部活帰りにギターを背負って名古屋駅でぶらぶらして遊んでいたとき、大学の音楽サークルが路上ライブをしていたんですね。それを立ち止まって見ていたら「ギター背負ってるじゃん、歌いなよ」って、そのサークルの方たちが声をかけてくれて。そこで友達と2人で歌わせてもらったのが初めての路上ライブでした。

全国での路上ライブ活動を経てオーディション番組出演へ

――その後、音楽に専念するために大学を2年生で中退されたそうですが、そのときの決意はどんなものでしたか。

パクユナ:大学は2年生の前期でやめたんですけど、親には猛反対されました。コロナ禍で入学したので自分がやりたいこともできず、ずっとオンライン授業だったこともあり、大学にいる意味をなくしてしまって。本当にやりたいことは音楽だったのに、親の説得に負けて大学に入ったこともあって、大学をやめると決めたときは「自分の人生だから、どれだけ反対されても今回ばかりはもう誰の言うことも聞かない!」って、かなり頑固になっていました。

――そこからは全国規模での路上活動をスタートされるわけですが。アルバイトをしながらいろんな場所で歌うというのはどんな生活でしたか。

パクユナ:最初は近場の大阪や、神戸に頻繁に行っていました。当時はバイトを3つ掛け持ちしていて、週5日働くうちの1日は2つのバイトをはしごしたりしていたんですけど、残りの2日で路上ライブをやるという生活でした。SNSでの活動も同時に始めて、ありがたいことに大学をやめた数カ月後くらいにTikTokでたくさん回ってくれるようになり、福岡や仙台、東京あたりに行ってみるとたくさんの方が「TikTok見たよ」って集まってくださって。SNSを通じて、知らない街にも私の歌を聴きに来てくださる方がこんなにいるんだということに気づいて、そこからはどんなところにも行こうという気持ちになり、いろんな場所で路上ライブをしました。特に東京では新宿で初めて路上ライブをしたときにたくさん人が集まってくださって嬉しかったですね。それから、東京近郊だと埼玉の川越、神奈川の海老名とか、栃木にも行きました。行ったことがない県でも「栃木県 一番人がいる駅」みたいな感じで調べて行くんです(笑)。

――これまで路上ライブをしてきた中で忘れられない経験は何かありますか。

パクユナ:やっぱり初めて東京で路上ライブをしたとき、聴いてくれる方がたくさん私の周りを囲んでくださった――あの光景は忘れられないです。それと、高校生のときにまだ全然立ち止まってくれる人がいなかったときに、1人のおばあちゃんが足を止めて聴いてくださって。私が歌うのを聴いてボロボロ泣いていたのが今でも忘れられないんです。歌い終わって「ありがとうございます」って言ったら、そのおばあちゃんが「昔のことを思い出して涙が出てきちゃった」って。その方も昔、歌手を目指していたけど諦めてしまったそうで「だからあなたは諦めないでね」って言われたことを今でも覚えています。

――昨年3月にオーディション番組『目を閉じてお聴きください(テレビ東京系/その後『うたごえプロジェクト“めをとじ”』へ)』(テレビ東京系)にエントリーしたことでも話題を集めました。どんな経験でしたか。

パクユナ:テレビ東京さんからInstagramのDMを通して出演オファーをいただいたんですが、容姿を見せずに声だけで審査してもらうオーディション番組だということで……私自身、これまでオーディションをたくさん受けてきたんですが「やっぱり歌手って見た目も大事だからね」と言われて落とされたこともあり、容姿に自信がなかったんです。でも声だけで審査していただけるということだったので、出演を決めました。シーズン1とシーズン2、どちらも準優勝で終わってしまったんですけど、初出演のときから品評者として携わってくださった鹿野(淳)さんが、パクユナのデビューを目指してプロデュースをしていきたいとお声がけくださって。それが去年の10月頃だったと思います。そこから今こうして配信での楽曲リリースなどの活動がスタートしました。

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