bird、25年間におよぶシンガーとしての旅路 大沢伸一や冨田恵一らとの出会い、自分らしさを更新してきた音楽人生

bird、25年の音楽人生を振り返る

大沢伸一初プロデュースの代表曲「SOULS」が生まれるまで

bird - SOULS (Official Music Video)

ーー大学4年のときには大阪のバーやレストランで歌うようになったと。

bird:4年ってことで軽音楽部の仲間たちが就職活動を始めるなか、私はもう少し音楽を続けてみようという気持ちがあったので。それで飲食店で歌ったりしつつ、3カ月間ニューヨークに行って音楽をいっぱい浴びました。当時はまわりに情報がなかったので、漠然と「音楽をやっていきたいなら本場のニューヨークに行かな」って思ったんです。いろんなライブを観たり、ミュージカルを観たり、ワークショップに参加したり、飛び入りで歌えるお店に行って歌ってみたり。そのときはメラメラしてましたから(笑)。

ーー大沢伸一さんとの出会いはそのあとですか?

bird:大学卒業からしばらく経って、相変わらずバーやレストランで歌っていたんですけど、ニューヨークでたくさん刺激を受けたこともあり、自分の言葉で歌いたいというふうに強く思い始めたんです。それまではスタンダードジャズとかソウルとかのカバーを歌っていたけど、何もわからないなりに作曲して歌うようになった。大沢さんと出会ったのはその頃ですね。

ーー飲食店で歌っているときに大沢さんから声をかけられたんですよね。

bird:そうです。大沢さんはMONDO GROSSOをやりながらUAさんとかCHARAさんのプロデュースをされていた頃でしたけど、私は知らなかったんですよ。クラブミュージックの情報や知識もゼロで。それで「どんな音楽聴いてるの?」って大沢さんに聞かれたから「アレサ・フランクリンとかマリーナ・ショウとかロバータ・フラックみたいなのが好きなんです」と話したら、「今はそういう音楽を新しい解釈でやっている人たちがいるから、それを聴いてみたら?」と言われて、エリカ・バドゥやディアンジェロを教えてもらった。聴いたらめちゃめちゃかっこよくて、それから新しい音楽もいろいろ聴くようになったんです。そんななかで「今は自分の書いた日本語で歌いたいと思っているんです」と話をしたら、大沢さんも「次にやりたいのは日本語の曲だ」と言っていて、そこでまた距離が縮まり、「じゃあ、とりあえずなんかやってみよう」ということになった。最初に録音したのは、Zeebraさんの「未来への鍵」という曲のリミックスでした(「未来への鍵[Osawa's Realized Mix feat.bird]」)。大沢さんのなかでもその手応えがあったみたいで、そこから本格的に一緒に作ることになったんです。

ーーそして作詞がbirdさん、作曲・編曲・プロデュースが大沢さんという形で初めて作ったのがデビュー曲の「SOULS」だったんですよね。

bird:そうです。初めてだったからすごく時間がかかりました。何回も何回も詞を書き直した。一回書いて見せたら「なんか普通やな」って言われて、「普通ってなんやろ?」って悩んで。その頃は東京の友達の家に泊めさせてもらっていたんですけど、その友達に相談したら谷川俊太郎さんの『これが私の優しさです』という詩集と『クレーの絵本』(パウル・クレーの絵に谷川俊太郎の文をつけた絵本)を貸してくれて、読んでいくうちに言葉の成り立ちに対する意識が変わる感覚があったんです。そこからまた何回も書き直して、ようやく形になったのが「SOULS」のあの歌詞でした。

ーー〈それは愛だったり 優しい風だったり 裸の気持ちで感じとれるから たとえ目の世界に映らなくても〉と歌われていますが、そのように裸の気持ちでいれば感じとれるんだ、自分の素直な感覚こそが真実なんだといった思いは、birdさんのなかでずっと一貫している信念のようなものだと思うんです。

bird:ああ、そうかもしれないですね。25年も歌っていると、今これを歌うのはどうなのかな、今の気分とは違うなって曲があってもおかしくないと思うんですけど、「SOULS」はいつだって近くにある曲、近くにいてくれる曲という感じがするんですよ。

ーーなるほど。じゃあ、レコーディングしたときから自分らしい歌ができたという満足感があったわけですね。

bird:それがそうではなくて。それまで私はアレサ・フランクリンやジャニス・ジョプリンの歌をガーガー歌っていたわけですよ。そうしたら「一回その歌い方を捨てることから始めましょう」と大沢さんに言われまして。今ならわかるんですけど、そのときは理解できなかった。クセを捨ててフラットに歌ってと言うけど、それってどういうことやろ?  なんかフワッとした感じやなぁって。そう思いながらもやれることはやりきったんですけど、録り終わったボーカルを聴いたときには「これ、私なのかな?」って、正直ちょっと距離を感じたんです。

ーーへえ~。

bird:アレサの曲をガーっと熱く歌っていた私しか知らなかった友達は、「面白いね。なんか新しい感じだね」って言っていて。私自身も知らなかった自分を発見したような感覚はあったんですけど。

ーーそれがデビュー曲として世に出て、birdさんの代表曲になったわけじゃないですか。

bird:そうなんですよね。でも「SOULS」は未だに歌い切れている感じがしないというか、歌っても歌っても先がある感じがするんです。25年も前の曲なのに今も生き続けていて、違う姿を見せてくれる。やればやるほど違う姿を見せる不思議な曲なんです。

ーー今回のベスト盤には新録の「SOULS 2024」が収録されています。まただいぶアレンジが変わりましたね。

bird:そうですね。「SOULS」にはいろんなバージョンがあるんですけど、そのなかでも今回のものは軽やかな感じで、とても好きです。まず25年経って新しい「SOULS」を作る機会をいただけたことが嬉しいですし、しかもまた大沢さんと一緒に作れるなんて、長く続けていたらこんなこともあるんだなぁって。

bird - BEATS (Official Music Video)

ーー2曲目のシングルは「BEATS」ですが、これも「SOULS」と並んでbirdさんの代表曲になりました。録音したときのこと、覚えてますか?

bird:これも何回も歌い直しました。広いスタジオで、向こうに大沢さんとMonday満ちるさんがいてくれて、指示を待って一生懸命歌うという感じでしたね。Mondayさんにはコーラスのアレンジとボーカルのアドバイスをしていただいて。「SOULS」のコーラス部分を作ってくれたのもMondayさんなんです。

ーーそういえばMonday満ちるさんはbirdさんの名付け親でもありましたよね。

bird:名付け親というか、当時の私は鳥の巣みたいなヘアスタイルだったので、そこからbird’s nestになったんですけど、Mondayさんがbirdって呼び出して、それでいいんじゃない? ってなったんです(笑)。

bird - 空の瞳 (Official Music Video)
bird - GAME (Official Music Video)

ーー4thシングル「空の瞳」とか、7thシングル「GAME」とか、大沢さんと組んでいた初期にはクラブミュージックやジャズ、ファンクなどの攻めた曲もけっこうありました。言葉数がすごく多い曲もいくつかありましたが、ああいった曲は楽しんで歌えていましたか?

bird:大沢さんから音源をもらうと、そこにキーボードでダンダンダンダンってめっちゃ連打したメロディが入っていて、ここに歌詞を乗せるにはどうしたらいいんだろう? って思いながらも、とりあえず言葉で打ち返して歌うみたいな。歌詞が書けたらファックスで大沢さんに送るんですけど、「マインドトラベル」のときは大沢さんから電話がかかってきて「こんなに言葉の詰まった歌詞、どうやって歌うの?」と言われ、「こんな感じです」って電話口で歌ったら「ワハハハ」って笑いながら「すごいなー」って。そんなやりとりがあったのを覚えてますね。とりあえず全てがチャレンジって感じで一生懸命やっていましたけど、今思えばそれも楽しかったです。

bird - マインドトラベル (Official Music Video)

ーー「こんな曲がきたか?! よし、こんなふうに打ち返してやる!」みたいな。

bird:そうですね。今度はどんなのを書こうかとか、作詞活動もだんだん面白くなっていって。2ndアルバム(『MINDTRAVEL』)の制作のときは大沢さんがすごく忙しかったですし、私も時間がないなかで立て続けに作っては録音していたんですけど、でもその勢いがかえってよかったのかなと思います。

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