海外の音楽リスナーから見た“日本らしさ”とは? Spotify「Gacha Pop」での人気傾向を踏まえて考察
昨年5月、デジタル音楽配信サービス・Spotifyが「日本のポップミュージックを世界に届ける」ことをコンセプトとしてローンチした新プレイリスト「Gacha Pop」。
「What pops out!? Roll the gacha and find your Neo J-Pop treasure.(何が出るかな!? ガチャを回して新しいJ-Popのお宝を見つけてね)」と書かれた概要欄のとおり、新時代のJ-POPの中でも海外を中心に大きな反響を得る曲を集めた本プレイリストが世に出て丸一年が経過した。当初の目的どおり大勢の海外リスナーから興味関心を集めるコンテンツへと成長を遂げており、それによって世界の音楽市場が注目する日本の音楽の傾向が、少しずつだが確かに浮き彫りとなり始めている。
ラインナップを見てみると、やはり目立つのはAdoやYOASOBI、米津玄師などのVOCALOID(以下、ボカロ)ジャンルをルーツに持つ面々の人気っぷりだ。同時にきくおや椎名もた、DECO*27、原口沙輔などによるボカロ楽曲群も、一定の人気を世界で恒常的に獲得していることがわかる。また『【推しの子】』や『鬼滅の刃』、『呪術廻戦』などのアニメ主題歌も一大勢力を誇る。それらに属さないアーティストとして藤井 風やimase、新しい学校のリーダーズ、tuki.といった面々も見受けられるが、彼らに関してもいわば“インターネット発アーティスト”という共通点が見いだせるのは興味深い。
こうして見ると一見非常に雑多かつカオティックで、「Gacha Pop」という語感までもしっくり来るラインナップとなる本プレイリスト。だがそこには、海外の音楽リスナーから見た“日本らしさ”が顕著に表れているようにも感じられる。そこで今回はこの「Gacha Pop」から、近年の海外リスナーが支持する日本らしいユニークな音楽の特徴とは何なのかを考察してみたい。
①イラストジャケットはJ-POPカルチャーの象徴に?
大きな特徴としては3つ。まず1つは視覚面の圧倒的な特徴ともなる、イラストジャケットが用いられた楽曲の多さだ。
アニメ主題歌が該当のケースとなるのはもちろん、特筆すべきは、それ以外の曲でも実在人物や写真ではなく、何かしらのイラストをメインビジュアルに据えるケースが多々散見される点だろう。なとり「Overdose」や音田雅則「fake face dance music」、こっちのけんと「はいよろこんで」などはまさにその典型例と言える。近年、アニメ・マンガなどの二次元コンテンツが日本文化の大きな強みであることは周知のとおり。それらと直結する“アニメ主題歌かどうか”にもはや関わらず、二次元的なイラストジャケットそのものが、日本の音楽の専売特許たる特徴と言っても過言ではないのかもしれない。
さらに「Gacha Pop」では、プレイリストのカバーにイラストジャケットを起用することでユーザーのパフォーマンスが向上したという結果も確認されている。
②“非リアリティ/非現実的な世界観を持つアーティスト”の活躍
様々な関連性からその点とも地続きなのが、2つ目の特徴となる“非リアリティ/非現実的な世界観を持つアーティスト”の活躍だ。
これは単純にボカロ、あるいは星街すいせいやMori CalliopeといったバーチャルYouTuber(VTuber)のような、全身二次元のキャラクタールックスがアーティスト像と結びつく場合のみに留まらない。本名とは別に、アーティストとしての名義を掲げるミュージシャンはいつの時代も大勢存在する。しかし、AdoやEve、ヨルシカ、ロクデナシにyama、さらにジャンルを広げれば覆面バンドとしてデビューを果たしたFZMZ。あるいは初期のYOASOBIやVaundyもそうだったように、自身の顔や姿を隠したまま海外でもブレイクするアーティストがここまで多いのは、日本の音楽市場ならではの独自傾向にも思える。
重ねて、三次元のルックスを秘匿あるいは二次元ビジュアルに置き換えるのみならず、生身の顔と姿を露出しながらもどこかキャラクターチックなアーティスト像、アイコン的な存在感を確立するアーティストもまた“非リアリティ”な面々とも言える。セーラー服の出で立ちがすっかり象徴的な新しい学校のリーダーズに、ラウド&ハードなサウンドが持ち味なアーティストの中でもどこか二次元キャラクターチックなビジュアルの花冷え。やBAND-MAID、BABYMETALなどはまさにこの代表格だろう。
過去に比べ大幅にアップデートはされているだろうが、それでも海外から見た日本という国のイメージとして、サムライ/ニンジャといった非現実でフィクショナリーなキャラクター性の強い国としての印象は、昔から根強く残っている。加えて、日本語がそのまま英語となった“kawaii”の文化も、カルチャーのジャンルを超え日本らしい象徴として今や世界に定着しつつある。そんな認知の下地を鑑みれば、どこかリアリティ/現実味に欠けた、“キャラクター化されたアーティスト”たちの楽曲が、海外で日本固有の音楽として支持を得るのも至極もっともな話なのかもしれない。