岡村靖幸は欲求の奥にある承認を満たす 女性の“内面”を見つめる言葉の刺激と輝き
岡村靖幸の音楽の先にはいつも「女」がいる。しかもその視線は時代とともにアップデートされてきた。急落していく日本の経済状況に伴って女の社会的立場もまた変化してきたが、そのことを彼はよく把握している(またはしようとしている)のではないかと思う。岡村靖幸が活動休止や再開を繰り返して完全復活を遂げるまでの間に、〈「車のない男には興味がないわ」〉(「Dog Days」)なんて言える状況ではなくなったし、結婚しようがしまいが否でも応でもジェンダーギャップが改善されない社会で戦わざるを得なくなっていった。「聖母たちのララバイ」(岩崎宏美)ばりに男に献身的になれる余裕がある女はほとんどいない。
そうした時代において岡村靖幸の音楽は、エゴイスティックな愛情表現は影を潜め、代わりに女たちの“裸の心の奥にいる少女”のことを気にかけている。〈最近 おとなしい君は 思い詰めた様な表情/あんなにもがいてた 思春期の頃の状況〉(「彼氏になって優しくなって」)、〈現実と対峙してりゃ 色々感情湧くこともあるよね/誰か助けてって〉(「ラブメッセージ」)、〈秘めた悲しいこと 話して話しておくれ〉(「揺れるお年頃」)、〈男性の嘘にちょっと疲れた生活でも/ベリーダンスの様に動いてよ/轍の形の心傷をそっとなめてみるから〉(「セクシースナイパー」)と、ヒリついた鋭利なビートの上で私たちに熱烈に語りかける。そこには確かにTHE 岡村靖幸な濃密な純真さはあるものの、目を向ける先は以前よりさらに深く、私たちの内側を見つめている。かつて岩崎宏美が“都会で戦う男たち”に〈小さな子供の昔に帰って/熱い胸に 甘えて〉(「聖母たちのララバイ」)と歌っていたみたいに。
それにしても、昨今の岡村靖幸が歌う歌詞は私の中で不思議なほどに強く響く。それはもしかすれば私自身、30代という生々しい現実に直面する年齢を迎えるからかもしれない。殺伐とした朝の電車の中で、傷つけられないよう気を張りながら働いた後の帰路で、異性から心無い言葉を投げられた悲しい夜の中で、彼の言葉は輝きを放つ。そして、女性を健気に愛するその瑞々しい音楽にふれて潤いを取り戻すとき、強かさを手に入れたようで、ただ世の中に心を閉ざしていただけのささくれだった自分がいたことに気づく。
岡村靖幸の音楽を聴いていると、果たして私は男に(というより人に)本当は何を求めていたのだろうかと考えさせられる。きっとそれは簡単に言えば愛情ということなのかもしれないけれど、その2文字の中に含まれた複雑に絡み合う何かを岡村靖幸の音楽は満たそうとしてくる。そんなミュージシャンを他に知らない。〈承認欲求満たされたいなら僕でどうぞ〉という言葉に、嫌味たらしくなくそれでいて説得力を持たせられるのは彼以外いるだろうか。
岡村靖幸はよく「歌詞を書くことは難しい」と話す。確かにハッとさせられるその歌詞にふれると、この言葉を生み出すまでに一体どれだけの人に思いを馳せたのだろうかと考えたくなる。
だから新曲がなかなか出なくても、それは仕方がないことだと思っていたのだけれど。でもどうやら今後は岡村和義というユニットを通して彼の新しい言葉にふれることができるみたいで、なんだかそれを思うだけで心が浮き立ってしまうのだ。
※1:https://cocolo.jp/update/
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