デビューアルバム1枚で解散 UGUISS、“伝説のバンド”が80年代音楽シーンに残してきたもの
気がついたら、またこの3人で集まってる(柴田)
ーー新人バンドとしては順調な滑り出しじゃないですか?
佐橋:ただ、セールスはあまりふるわなかった。それでも頑張っていたんですけど、いよいよ大人たちが口を挟むようになって、2ndアルバムでは様子が変わってくるんです。
ーーUGUISSがデビューした1983年頃は、3人が好んで聴いていたロックも様変わりしていった時期ですよね。
柴田:そう。リンダ・ロンシュタットもエルヴィス・コステロの曲をカバーしたり、ロックがパンク/ニューウェイブの波で急速に変化していく。
松本:ポリス、U2、デュラン・デュラン、UK勢も次々登場して。
佐橋:「俺たち長髪で大丈夫なのかな?」って、ちょっと思ったり(笑)。そこで、イメチェンですよ!
ーーアナログの中ジャケの写真にその変遷が見てとれますね。
佐橋:見てくださいよ、この写真。俺、カーディガン着せられてる(笑)。
松本:1stのアメリカの古着テイスト全否定!(笑)。
佐橋:要するに2ndはもっとポップなヒットを狙えるような内容にしてほしいと。だから、アルバムの1曲目「気ままなプレゼンテーション」は打ち込みなんです。当時、EPICの洋楽にいたテリー・デサリオの「オーバーナイト・サクセス」という曲がソニーのCMソングでヒットして、ああいう曲を作ろうとしたのかな? 84年ですから、許してください(笑)。
ーー2ndアルバム『Presentation』の制作に入る前に逡巡があったわけですね。
佐橋:ここで初めて外部の作詞家にオファーすることになり、「哀しみのFriday Night」という曲はのちに「ウイスキーはお好きでしょ」で知られる田口俊さんが作詞を手がけている。僕らも何か少しでもヒットの可能性があるならと思って、新しい試みにも挑んで。
松本:世間に少し揉まれて、2ndでは柔軟性も出てきたんだけど、結局、解散が決まってお蔵入りになってしまった。
佐橋:解散が決まっているバンドのアルバムをリリースしても仕方がないと判断したのはEPIC・ソニーのファウンダー、丸山茂雄さんなんですが、その理由はもっともなんですよね。
ーーとはいえ、2ndは曲のバリエーションも増えて時代性を反映したポップロックに仕上っていていますよね。
佐橋:新しい曲ができるたびにみんなで音を合わせながらレパートリーを増やすことが日常的になっていたから、デビューしてからの活動期間は短いけど、レパートリーはけっこうあったんですよ。
松本:そう。YouTubeに上がっているライブ音源の中に、自分でも忘れていた曲があったんですよ!(笑)。それがけっこう良い曲で。
柴田:当時はデジタル・シンセが登場してキーボードまわりの環境が劇的に変革していく時期でもあったんです。2ndのときは機材も随分変わったし、都内のスタジオでドンカマを使ってレコーディングして、1stに比べると僕らにしたらかなり洗練された感はありましたね。
佐橋:機材も録音の方法もどんどんデジタル化していく端境期でもあった。1stのエンジニアはアマチュア時代からの知り合いだったけど、2ndでは売れっ子のビクターの梅津達男さんにお願いして。梅津さんにはバンドの悩みをよく聞いてもらったなー。
松本:僕ら自身も、音楽シーンも混沌としていたよね。
佐橋:そうだね。テクノポップやニューウェイブシーンには、女性ボーカルのバンドがいたけど、僕らのようなある意味正統派のバンドは少なかった。
ーー目新しさにばかり目がいきがちな時代ゆえに割を食ってしまった?
柴田:そういう面もあったと思いますね。
佐橋:バンドの方向性に悩みつつ、2ndはライブで盛り上がる曲を作ろうと一生懸命ではあった。
ーー隆盛を極めつつあったミュージックビデオは?
松本:PVも録ったんだけど、それも解散でお蔵入りになった記憶がある。
佐橋:マイケル・ジャクソンの「スリラー」をEPICの社内に潜り込んで観たときは「こういう時代がくるのか」って溜息ついちゃった。映像のEPICと呼ばれるようになるのも僕らの少し後なんだよね。
松本:佐野元春のディレクターだった小坂洋二さんがUGUISSに興味を持っていたという話を聞いたのは、もう解散が決まった後だったのかな。
佐橋:そんな話もあった。佐野さんは1984年に『VISITORS』ですよ。同じEPICだったから、アルバムのお披露目コンベンションに行ったんだけど、「佐野さんがラップしてる!」って驚いたのなんの。
ーー『VISITORS』は日本でいち早くヒップホップの手法を取り入れたアルバムとして衝撃を持って受けとめられましたね。
佐橋:「そうかー、佐野さんはそっちに行くのか」って。その一方、小坂さんは女性ボーカルに興味があったらしく、それがのちの渡辺美里ちゃんに繋がり、僕ら3人が起用されるようになるんだからUGUISSから伏線はあったのかもしれない。
ーーお蔵入りになってしまったとはいえ、2ndはアルバムタイトルまで付けられていたんですね。
佐橋:アルバムの先行シングルのプロモーションカセットまでマスコミに配っていたみたい。栄子が体調を崩してしまったことが解散の要因なんですが、喪失感は半端なかったね。
松本:ショックでしたね。青春のほとんどすべてを賭けたバンドだったから。
柴田:解散後すぐに音楽の仕事で声をかけてくれた人もいましたが、それまで生活の中心にあったものがなくなってしまうんだからね。
ーーただ、UGUISSでの挫折がその後のお三方の活躍のモチベーションになったのでは?
松本:もちろんそうですね。
佐橋:あれから40年経過して思うのは、自分の音楽の基本になっていることはUGUISS時代に学んだことや経験したことなんですよね。やっぱり、UGUISSは初めて表札を出したホームなんですよ。
柴田:そして、気がついたら、またこの3人で集まってる。
松本:久しぶりに会っても、昨日の続きみたいな感じになるんだよね。
佐橋:3人とも音楽に向かう態度があの頃とまったく変わってないから。
柴田:「知ってる? 渋谷にTOWER RECORDSができるらしいぞ」って言ってた頃とノリが全然変わんない(笑)。
松本:帰りに「カレーのボルツに寄ろうか」とかね(笑)。
佐橋:止まんないね、こういう話(笑)。
ーー10周年、30周年に続いて、今回の40周年にはリリースと共にライブも開催されます。
佐橋:5月の『UGUISS 40th Anniversary Tour』では、ボーカルに冨田麗香さん、キーボード&ベースにDr.kyOnをサポートに迎えて、東名阪3カ所をツアーします。この前、リハーサルをしたら若い頃の曲だから1曲やったら疲れちゃって。俺、なんでこんなに色んなこと詰め込んでいたんだろうって(笑)。
ーー幻のバンドといわれながら、息の長いバンドになったとも言えますね。
松本:確かに。きっと栄子も喜んでくれると思う。
佐橋:かつてUGUISSというバンドが存在していたから、今も僕らはこうして楽しく活動できているのはありがたいことだし、幸せですよ。
柴田:そうだね。やっぱり、長生きするもんですよ。
佐橋:オチはそれかよ?(笑)。若い世代もアナログですごく良い音で甦ったUGUISSをこの機会にぜひ聴いてほしいですね。
1983年デビュー当時に作成されたライブチラシ(3部)
プロモーション用パンフレット
ライナーノーツ&歌詞ブックレット(8ページ)封入
ライナーノーツ:天辰保文
カッティング:Warner Music Mastering
SMS静岡工場プレス
特設サイトURL https://www.110107.com/UGUISS_40th
【収録曲】
DISC-1『UGUISS』(1983/9/21)
Side-A
1. How Are You Doing?
2. Sweet Revenge
3. Burnin' City Lights
4. I Wanna Be A Superstar
5. Lookin' For Love
Side-B
1. Change
2. Cause Of Life (夢を抱きしめて)
3. Love Can Be With You
4. Ball & Chain
DISC-2『Presentation』(1984 Recording / Unreleased)
Side-C
1. 気ままなプレゼンテーション
2. 哀しみのFriday Night
3. Look At Yourself
4. Lunch Break
5. Bad Love
6. Dear Little Boy
Side-D
1. Turn Up Your Radio
2. 夏の終わる日 ~Before it's too late~
3. FUTURE
4. クリスティン
5. Songbird