アンジェラ・アキ、『この世界の片隅に』音楽で描いた戦争と日常 渡米10年でシンガーとしての転機も

『この世界の片隅に』は自分の居場所を探す物語

アンジェラ・アキ「この世界のあちこちに」Music Video

――アルバム収録の全10曲、全て河内 肇さんがアレンジをされています。

アンジェラ: 河内さんは十年来の私のピアノの先生でもあるんです。浜田省吾さんを始めポップスの仕事もされているけど、ジャズピアニストでもあって、私がアメリカの音楽学校に行くときに背中を押してくれた人でもある。今は真のパートナーと言える存在ですね。私は自分の意図したことをすごくハッキリ言うんです。登場人物の誰々の感情はこの楽器で表現しよう、この曲のここにはオーボエとクラリネットが必要なんだとハッキリ言う。そうすると河内さんは、それを汲んでくれた上で、ここはこういう楽器のこういう音もいいかもしれないよといったふうに、私のアイデアをネクストレベルに持っていってくれるんです。誰よりも私の楽曲を深く聴いて、咀嚼して、適切なアレンジを施してくれる。クレジット的には河内さんは編曲ですけど、実際はふたりのコラボレーションで曲ができあがっているんです。

――ホーンやストリングスなど、曲によってはいくつかの楽器を入れて膨らみを持たせているものもありますが、基本的にはやっぱりアンジェラらしくピアノとボーカルが主体ですよね。その意味においては以前からのスタイルと大きく変わっているわけではない。

アンジェラ: やっぱりピアノが一番しっくりくるし、一番作曲しやすいから。先ほど言ったようにミュージカルの曲は登場人物の視点で書くわけだから、アンジェラ・アキっぽさはメロディからなるべく消そうとしていたんですけど、そうは言っても、もともとピアノで歌うシンガーソングライターである私が書くわけですからね。スタイルってことかな。新しいことに挑戦しても、やっぱり自分のスタイルというのは一貫してあるものだから。例えばラップの曲を作ってくださいと言われたとして、頑張ればもしかするとできるかもしれないけど、それは私のスタイルから外れるものじゃない?  それをあえて私がやる必要はないわけだから。

――それからメロディに対しての言葉のはめ方、譜割りの自然さ、滑らかさが、相変わらず素晴らしいなと思いました。ミュージカルの曲なのでキャストが歌いやすいようにという配慮もあったのかもしれませんが。

アンジェラ: それも私のスタイル。字余りができないんですよ。「わー・たー・しー」でピッタリくるところを、「わー・たしはー」とは歌えないの。それは自分のなかにないものなんです。

――今回はミュージカルの楽曲だからか、よりそれが際立っているような気がしました。

アンジエラ:丁寧に言葉を扱いたかったんですよ。こうの史代先生の原作で使われる言葉が美しいから、私としてはただその美しい言葉に音符をつけただけというか、もともとの美しい言葉を壊さないようにすることが大事だった。そこを丁寧にやったから、そう聴こえるのかもしれないですね。

――では、いくつか楽曲についての話を聞いていきます。まずリード曲の「この世界のあちこちに」。曲が始まってすぐにノスタルジックな感覚が沸き起こる。

アンジェラ: サウンドで目指したものがあったとしたら、まさにノスタルジーかもしれない。実際、ミュージカルでも、すずさんの記憶をベースに物語が語られていくわけだから。この曲によって記憶が呼び起こされる感覚になってもらえたら嬉しい。これ、作り始めて1~2曲目にできた曲なんですよ。これが早くにできたので、ほかの曲も作りやすかった。パズルで言うところの端っこのピースみたいな感じですね。まず端っこをかためられたから、さあ、ここからなかをはめていこう、みたいな。

――物語のテーマを凝縮した曲とも言えそうですね。

アンジェラ: そう。一言で言うと、自分の居場所を探す物語なんですよ。すずさんにとっての居場所はもとの家族なのか、嫁いだ先なのか、これから作る自分の人生なのか。すずさんに限らず、誰もが自分の居場所を探している。探して、もがきながら死んでいく人もいる。でもどんな人にも居場所はあるはずで。私自身、10代のときから自分の居場所はどこなんだろう、ここなんだろうかと自問自答していたし、40代の今もしている。そうそう、このあいだ(YouTubeチャンネルの)「THE FIRST TAKE」で約10年振りに「手紙 ~拝啓 十五の君へ~」を歌ったんですけど、練習しているときに“こんな歌詞だったんだ?!”って自分でハッとして。〈自分とは何でどこへ向かうべきか 問い続ければ見えてくる〉って深いなぁと。久しぶりに歌って、40代の自分がその曲に教えられた感じがあったんです。

 そう、自分の居場所なんて簡単にはわからないけど、問い続けていれば見えてくるものがあるんだよなぁって。居場所って、ある意味、自分の存在の足跡みたいなものでもあるんですよね。それは人によってそれぞれで、子供を授かってわかる人もいれば、何か小さな優しさに触れて気づく人もいるし、手放すことのできなかったものを手放したときに見えることもある。自分ひとりでは気づけなかったものが、誰かと一緒になって違う世界を生きることで初めてわかることもある。それは固定されたひとつの場所にあるわけではなく、世界の「あちこち」にあるんじゃないかって。要するに、人と人との繋がりの話、ご縁の話でもあるんです。

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