175R SHOGO、セブ島移住で日本人街プロデュース 現地での子育ての魅力も明かす

175R SHOGO、セブ島移住の理由

相手を尊重しながら共に成長していけたら

――そんなセブ島で、SHOGOさんは日本食の展開と留学支援をおこなっていると聞きました。

SHOGO:セブ島で初めてとなる日本人街、NEO TOKYOのプロデュースをしました。うどん、ラーメン、焼き鳥、しゃぶしゃぶなど日本食のお店がたくさん建ち並ぶスポットで、日本の食文化の普及だけではなく、フィリピン人スタッフの新たな雇用を生んでいます。

――NEO TOKYOをプロデュースするきっかけはなんだったんですか。

SHOGO:セブ島にも日本食レストランはたくさんあるのですが、それぞれの店舗が離れているので食べ歩きができないんです。こちらに移住したときに「様々なジャンルの日本食店が同じ場所にまとまっていたら良いな」と感じました。その他にもセブ島には日本人観光客や留学生も多いので、情報交換ができたり、トラブルが起きた際に駆け込めたりする場所が作れないかなって。そんななかパンデミックがあって、その間に新しく建った商業施設のテナントの一階にまとめて空きができたんです。同じ施設にまとめてテナントを借りれることはほとんどないので、セブで飲食店をやっていた友人に「日本人街を作るプロジェクトを一緒にやってみないか」と声をかけたのがきっかけです。

175R SHOGO

175R SHOGO

――雇用を生み出している、というのは取り組みとして素晴らしいですよね。

SHOGO:雇用を生み出すことはこの国でとても重要ですし、なによりみんな日本の文化に興味を持っているんです。日本の働き方の良いところを取り入れて、もっと発展していきたいという意欲があります。たとえば日本の飲食店では当たり前のようにおしぼりが出てきますが、こちらではそれは驚かれますし、水道水はまだまだ普通に飲めないので、ガロンウォーターを購入して冷やして提供するサービスウォーターも喜ばれます。一方「働く」という部分では、日本の感覚を現地のスタッフに全て押しつけてはいけません。フィリピンの国や人の文化とプライドを第一に尊重します。人前で怒るなんてもってのほか。ちゃんと一人ひとりと面と向かって注意したりアドバイスします。僕らは住ませてもらっているわけですから、相手を尊重しながら共に成長していけたら良いですね。

――お話をうかがっていると、SHOGOさんはすっかりビジネスマンだなと感じました。

SHOGO:18年前から175Rの活動と並行して飲食店経営もやっていますし、なんなら実家も飲食店なので、ずっと続けていることではあるんです。175Rでも、グッズやCDのアートワークなどは基本的に僕が参加して作っています。一歩抜きん出るためにはどうしたら良いか考えるのが昔から好きで、アマチュア時代も「どういうお客さんが聴いてくれているか」「こういうアーティスト写真を撮れば、こんな風に見える」と考えてやっていました。「ボーカルは金髪」というイメージをつけるため、他のメンバーは金髪禁止だったり(笑)。もちろんそれだけではダメで、曲の内容、社会の流行、運、そしてスタッフのみなさんとの連携などいろんな作用がうまく重ならないと、音楽でヒットは出せませんが。

175R SHOGO

――現在も175Rとして楽曲をリリースしたり、日本の音楽イベントに出演されたりしていますが、フィリピンでの本格的な音楽活動は考えていらっしゃいますか。

SHOGO:2019年にセブ島でワンマンライブをやったり、約2万人が集まる盆踊りのお祭りで歌ったりしたことはありますが、「フィリピンで、アーティストとして売れたい」とかは考えてないです。「せっかくここにいるから盛り上げるお手伝いができたら」くらいの感じで歌っています。フィリピンではカラオケが人気で、電気屋さんには普通に自宅用のカラオケ機器が売っています。フィリピン人歌手で徳永英明さんの曲をカバーしている方がいるのですが、その曲を店頭で日本語で歌ったことがあって。そうするとみるみるうちに人が集まり、歌い終わったらアンコールが起きました(笑)。

――さすがですね!

SHOGO:それからその電気屋さんの前を通ると、ガードマンが「おっ、歌ってくれよ!」と話しかけてくるんです(笑)。

――(笑)。

SHOGO:でも、セブ島で生活している内にそういう人たちのことや島のことがどんどん好きになっていきました。住めば都とよく言いますが「この場所をもっとPRしたい」という思いが強くなりましたね。フィリピン大使館の方からセブ島の永住権を取って、腰を据えて住んだ日本の芸能人は僕が初めてと言われたのですが、皆さんすごく温かく迎え入れてくださいました。とは言え、永住権を持っているからといって、ここに骨を埋めるかと言われたらそんな重く考えているわけでもなく。というのも、住む場所って世界中にいっぱいあるじゃないですか。人生は一回しかないし、いろんな国に住んでさまざまな文化を知る方が楽しい。僕はまだ日本、ロンドン、セブ島しか住んだことがないから、もっとさまざまな出会いをしたい。それは子どもたちも同様で、ひとまず英語をしっかり覚えて、自分の思いを堂々と伝えられるようになったらいろんな国へ行ってほしいです。

――セブ島では今後どんな展開を考えていますか。

SHOGO:NEO TOKYOがオープンしてもうすぐ1年が経つので4月28日に1周年を記念したイベントを開催します。食べ物だけじゃなく、屋台や催し物も含め日本文化をフィリピン人の皆さんに楽しんでもらうお祭りです。急遽、僕も歌うことになりました(笑)。あと今後はセブヨロという会社でセブ島留学したい方や移住したい方へのサポート、仕事として進出を考えている方への会社設立サポートなど日本とフィリピンの橋渡しの役割をさらに担えるように動いていこうと思っています。

けんいち(北川賢一)、“元ロードオブメジャー”に対する葛藤からの解放 ミリオンセラー「大切なもの」から20年の現在

2002年、バラエティ番組『ハマラジャ』(テレビ東京)の企画で結成されたロックバンド、ロードオブメジャー。見知らぬ4人のバンドマ…

米米CLUBにとっては“異色”の「君がいるだけで」が最大のヒット曲に 変わり種のシングルが残した鮮烈な印象

米米CLUBのなかでも、シングル曲として最大ヒットとなったのが1992年リリース「君がいるだけで」である。それはやはり、1992…

関連記事

インタビュー

もっとみる

Pick Up!

「インタビュー」の最新記事

もっとみる

blueprint book store

もっとみる