ムーンライダーズは日本語歌詞の実験室だ ロックで何が歌えるか、言葉の可能性への挑戦

鈴木慶一、鈴木博文、かしぶち哲郎、白井良明…各人が深める歌詞のスタイル

 『マニア・マニエラ』以降、ムーンライダーズのサウンドは、先鋭的でありながらポップというバランスに磨きをかけ、歌詞はますます研ぎ澄まされていった。慶一の作詞による「物は壊れる、人は死ぬ 三つ数えて、眼をつぶれ」(アルバム『青空百景』1982年)では、愛も夢も運もない主人公が〈あとは不条理があるだけ〉と呟く。ロックに「不条理」という言葉が出てくることに驚かされるが、母親に「ママン」という呼びかけるのも新鮮。「夢が見れる機械がほしい」(アルバム『アニマル・インデックス』1985年)では、テープレコーダーに自分の声を入れて土の中に埋めて孤独を感じ、「マニアの受難」(アルバム『DON'T TRUST OVER THIRTY』1986年)ではオタク時代の到来を告げるなど、時代や社会の空気に敏感に反応しながら、斬新な言語感覚とイメージで歌詞の可能性を探求した。

 一方、博文の歌詞は文学性を深めて「詩」に近づいていった。夕暮れに染まる海岸の風景を通じて夏の終わりを歌った「くれない埠頭」(『青空百景』)には、30歳を目の前にした博文の青春時代への決別を感じさせたが、大人として生きることの苦悩が歌詞に滲むようになる。「DON'T TRUST ANYONE OVER 30」(『DON'T TRUST OVER THIRTY』)では、主人公は妻や子供を置いて放浪の旅に出ることを決意。〈冬の海まで車を飛ばして 24時間砂を食べていたい〉と呟く。同じ家族に向けた別れの歌でも、9年前に書いた「さよならは夜明けの夢に」のような甘酸っぱさはなく、人生に疲れ果ててしまった男の哀しさが胸を打つ。

 そして、かしぶちは博文のように物語を語るのではなく、抽象的な描写で心象風景を描き出した。〈床をはいずる裸のコブラ〉〈とけるダイアモンド〉など、シュルレアリスティックなイメージが浮かんでは消える官能的な「さなぎ」(『アニマル・インデックス』)。〈月の光肌を染めた/遠い夢の日々よ〉と別れた女性への想いをロマン派詩人のような格調高い言葉で綴った「D/P」(アルバム『アマチュア・アカデミー』1984年)など、かしぶちの歌詞には独特のダンディズムが漂い始めた。また、80年代から、白井が書いた歌詞が個性を発揮するようになる。風呂につかって富士山を見る、というイメージが痛快な「トンピクレンッ子」(『青空百景』)を始め、江戸っ子の白井の突き抜けた明るさはムーンライダーズの歌詞に新しい語り口を持ち込んだ。

SSW的側面が強くなって以降も“バンドの曲”として成立していたのはなぜか

 そして、90年代以降、ムーンライダーズの歌詞はまた変化していく。オウム事件や阪神大震災など次々と起こる天災や事件。歳をとってリアルに感じられるようになった死。バブル崩壊後の荒んだ都市の情景などからインスパイアされたダークで重厚な言葉が、コンピュータの導入で迷宮のように作り込まれたサウンドに深い陰影を与えるようになる。なかでも、極め付きが武川が飛行機のハイジャック事件に巻き込まれて無事生還したことを題材にした「帰還 ~ただいま~」(アルバム『ムーンライダーズの夜』1995年/作詞:鈴木慶一)だ。メンバーを失っていたかもしれない、という重い現実を作品に昇華。〈年老いたハイジャッカー/今日こそ 輝いていたいんだろう〉という犯人に向けた一節も強烈だ。また、オウム事件に触れた「Instant Shangri-La」(『ムーンライダーズの夜』/作詞:鈴木慶一)が作られるなど、90年代のムーンライダーズの歌詞はフィクションと現実のせめぎ合いのなかから生み出された。

 その後のムーンライダーズの歌詞は、さらに個人の心境を映し出し、ある意味、シンガーソングライター的な側面を強めていくが、それがバンドの曲として成立したのは、メンバーそれぞれの中にムーンライダーズという人格が存在しているからだろう。彼らの歌詞には「犬」が度々登場するが、そういうアイコンを共有して歌詞を書いていたのも面白い。そして、岡田や武川のように歌詞を提供する機会が少ないメンバーも、他のメンバーと歌詞を共作したり、自分が書いた曲の作詞者を指定してイメージを伝えることで6人の言葉は混ざり合い、歌詞に多様性を生み出した。

 それぞれが歌詞を持ち寄るなかで共通していたのは、弱さや優しさを抱えながら生きていくことの苦難。そして、それでも簡単に倒れたりはしない心意気だ。バンドのアンセムとも言える「BEATITUDE」(シングル『ニットキャップマン』1996年/作詞:鈴木慶一)には、〈夢の数だけなら/負けはしない/キズの数を 数えたら十万億〉というフレーズがある。その一方で、「プラトーの日々」(アルバム『最後の晩餐』1991年/作詞:かしぶち哲郎)では、夢見るたびに死ぬほど悲しい目にあってきたと歌う。そんな風に傷ついてきた者が集まって、〈戦うなら 快楽の/じゃまする奴と〉(「BEATITUDE」)と歌える場所がムーンライダーズなのだ。

 そんな彼らの武器のひとつとして歌詞に備わっているのが、The Beatlesがロックに持ち込んだシニカルなユーモアだ。11年ぶりの新作となった『it's the moooonriders』(2022年)は、そんなユーモアを通じて不穏な社会に対する意義申し立てをした曲が並んでいる。「再開発がやってくる、いやいや」「世間にやな音がしないか」などタイトルからして挑発的だが、ラストナンバー「私は愚民」(作詞:鈴木慶一)の〈誰よりも 愚かでいい/世界中 見れるなら〉という一節を聴いた時、The Beatles「The Fool On The Hill」を連想した。50年近くバンドを続けながら「伝説」にならず、「愚者」でいられるのがムーンライダーズというバンドだ。

 ひとつのスタイルにこだわり続ければ、彼らは伝説化したかもしれない。しかし、彼らは常に新しいサウンドを生み出し、そのサウンドにふさわしい言葉を探求した。時には映画をテーマにしたり(『カメラ=万年筆』)、動物をテーマにしたり(『アニマル・インデックス』)して、テーマに則してメンバーそれぞれが歌詞を書く。そんなバンドは他にはいない。夢と自虐、愛と屈折が渦巻く彼らの歌詞は、理想や反逆を歌い上げるテンプレートなロックの歌詞に対するアンチテーゼだ。そして、驚かされるのは彼らが現在進行形で変化し続けていること。最新作『Happenings Nine Months Time Ago in June 2022』(2023年)は初めての即興作品(!)だが、そこでも言葉が強烈な存在感を放っていて、「Ippen No Shi」(作詞:鈴木慶一)では〈寄らば切るぞの 首祭り〉なんていう奇怪なフレーズが飛び出す始末。ロックで何が歌えるのか。言葉が音楽にどんな影響を与えるのか。ムーンライダーズは今もその可能性に挑戦し続けている。

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