ギタリスト 三井律郎、THE YOUTH以降の出会いと歩み 『ぼっち・ざ・ろっく!』での“答え合わせ”とは
【連載:個として輝くサポートミュージシャン】三井律郎
THE YOUTH、LOST IN TIME、la la larksといったバンドのギタリストとして活動する一方で、Aimer、中村一義、須田景凪、坂本真綾といった様々なアーティストのライブやレコーディングにも参加している三井律郎。昨年大きな話題を呼んだアニメ『ぼっち・ざ・ろっく!』では、劇中に登場する結束バンドの楽曲で大半の編曲を手掛け、下北沢のギターロックを背景とするその音楽性は、下北沢を代表するレーベルのひとつであるUK.PROJECTから作品をリリースしてきた三井にとって、「答え合わせ」でもあったという。若くしてメジャーデビューし、音楽シーンの変遷を身をもって体験してきた三井に、これまでのキャリアを振り返ってもらった。(金子厚武)
ギタリストとしてのルーツ 「骨太なロックバンドが好きでした」
――ギターを手にしたきっかけから教えてください。プロフィールには「幼少期より父の影響でギターを始める」(※1)とありますね。
三井律郎(以下、三井):わりと音楽一家というか、母方のおじいちゃんの家に音楽室があるような環境で育ったので、父親だけじゃなくて、母親もおじいちゃんもギターを弾けたりして。なおかつ地元が秋田の田舎だったので、そんなに遊ぶところもなかったし、みんな小6とか中1で一斉にギターを手に取るタイミングがあるんですよ。で、うちはもともとどこにでもギターがあるような家だったので、普通に手に取ったら、夢中になってしまった感じですね。
ーー「律郎」という名前も音楽的な意味合いでつけられているわけですか?
三井:そうですね。それは母方のおじいちゃんがつけたみたいです。もともと小学校の6年間はピアノをやらされていて、それは嫌で嫌でしょうがなかったんですよ。どっちかっていうとスポーツができた方がかっこいいみたいな時代だったから、恥ずかしかったし、父親がギター弾いてライブをやってるのもそんなにかっこいいとは思ってなくて、「普通のお父さんとは違うな」みたいな感じでした(笑)。
ーーでも、いざギターを始めたらハマってしまったと。
三井:それまでバスケットボールもやってたんですけど、全然才能がなくて、本当に何気なくギターを始めてみたら、手にしたその日から狂ったように弾いてました。どうしてのめり込んだのかは……ピアノと違うと思ったのかもしれないですね。もっと自由な感じがしたのかも。中学からギターばっかり弾いてて、社会科見学も楽器店に設定したりとか、本当に取り憑かれたような感じでした。ギター全振りみたいな人生に、手に取った瞬間からなってしまったんですかね。
ーー当時は1日何時間くらい弾いてましたか?
三井:(『ぼっち・ざ・ろっく!』の)後藤ひとりが毎日6時間とかだったと思うんですけど、全然そんなもんじゃなかったですね。「高校ちゃんと行ってたかな?」っていうぐらい、“朝から朝まで”って感じだったんじゃないかな。
ーー『ぼっち・ざ・ろっく!』関連のインタビューでは、高校生のときにギターが弾けなくなるのが嫌で修学旅行に行かなかったというお話もされていましたね。
三井:そうなんですよ。まあ、今だからいいエピソードみたいになってますけど、それで音楽やってなかったら結構ヤバいやつですよね(笑)。
ーーちなみに、ぼっちではなかったんですか……?
三井:いや、全然そうではないです。当時はちょっとガラの悪い先輩とか、学校で目立つような人たちもギターをやっていて、みんな「バンドかっこいい」みたいになってたので、ずっと1人でギターを弾いていたわけではなく、周りに誰かしらずっといましたね。先輩に教えてもらったり、高校に入ってからはギター教室に通って、バンドで活動もしてました。
ーーギタリストとしてのルーツについて教えてください。
三井:父親がブルースロックが好きだった影響で、ジミ・ヘンドリックスやスティーヴィー・レイ・ヴォーンが入口ではあるんですけど、そういうのはギターの勉強として捉えてて、高校生のときとかは90年代の日本のロックバンドがすごく好きでした。その頃からずっと聴いてるのは、GRAPEVINE、the pillows、THEE MICHELLE GUN ELEPHANT、THE GROOVERS、真心ブラザーズ、GREAT3とか、男気があってギターもかっこよくて、ちゃんとルーツが感じられるロックバンドが好きでしたね。高校生の頃はインディーズブームで、秋田の田舎でもやっぱりメロディックパンクとかミクスチャーが流行ってたし、あとはヴィジュアル系もすごく多かったんですけど、当時から骨太なロックバンドが好きでした。
ーー『ぼっち・ざ・ろっく!』の音楽性のベースになっている下北系のギターロック、その背景となっている90年代のオルタナティブな洋楽に関してはいかがですか?
三井:Radioheadとかは聴いてましたし、Dinosaur Jr.やSonic Youthも聴いてはいましたけど、どちらかというと10代の頃はもうちょっとブルースロック寄りだった気がします。当時デビューしたバンド(THE YOUTH)での演奏もそっちに近い感じで、UKロックとかに没頭していくのはLOST IN TIMEに入った20代の中盤ぐらいから。なので、若い頃は「渋いのが好きなんだね」って言われることの方が多かったですね。
THE YOUTH加入からLOST IN TIMEや中村一義まで、活動の広がり
ーーこれまでのキャリアを振り返っていただくと、まず2002年にTHE YOUTHのギタリストとしてメジャーデビューをしていますね。
三井:もともとは別のバンドをやってたんですけど、ヤマハの『TEENS' MUSIC FESTIVAL』で同じ東北ブロックの代表だったTHE YOUTHと仲良くなって、前のギターが抜けるタイミングで僕が入って、それが19歳のとき。高校を卒業してから半年間、東京の専門学校に行くんですけど、2000年の4月に(東京に)出てきて、すぐにTHE YOUTHからオファーがあって、5月にはもう地元の仙台でライブをしてたので、東京から仙台に通う生活を半年続けて、これならもう仙台に住んじゃおうと思ったのが2000年の秋ぐらい。で、2002年にデビューするまで、仙台にいながらいろんなライブをして、その間にも今に繋がる話がたくさんあって。例えば、今LiSAちゃんとかでドラムを叩いてる石井悠也くんは専門学校の同級生で18歳から一緒だし、THE YOUTHは本当はもっと早くデビューするはずだったんですけど、割り込んできたバンドがいて、それがステファブ(Stereo Fabrication of Youth)なんですよ(笑)。で、もともと僕がサポートで弾くようになったのは、ステファブの江口(亮)くんに誘われたのがきっかけだったりして。
ーーステファブも2000年代初頭の下北沢を代表するバンドのひとつですよね。THE YOUTH時代から下北沢のライブハウスにもよく出ていたんですか?
三井:THE YOUTHはどっちかっていうと、青春パンクムーブメントに近かったんじゃないかな。なので、下北よりは渋谷とかでやることの方が多くて。ただ半年間いた専門学校で、石井くんともう1人仲良かったのが、元LOST IN TIMEのギターの榎本(聖貴)なんです。で、僕はわりとお金を積んでいただいて、華々しくメジャーデビューをするんですけど、CDのキャンペーンとかでギターを弾く時間がなくなっちゃったりして、全然地に足がついてなかったんですよね。その頃に榎本はLOST IN TIMEに入って、UK.PROJECTからCDを出して、めちゃくちゃ地に足がついて活動しているように見えたんです。全然ふわふわしてないし、着飾ってもないし、それがすごく羨ましくて。でもすぐにメンバーみんなと仲良くなって、一緒にライブをやったりして、LOST IN TIMEに加入するのはそういう経緯ですね。
ーーインディーズブームを経て、若くしてメジャーデビューをしたものの、三井さんと同じように感じた人は多かった気がします。ただ当時はメジャーとの契約が切れちゃうとそれでキャリア自体が終わってしまうバンドも多かった中で、THE YOUTHは今も活動を続けていて、そういうバンドは希有だなと思うんですよね。
三井:THE YOUTHはとにかく仲は良いんですよ。あとそんなにせせこましく活動してないっていうか、たぶんギュッてしたら5年間ぐらいの活動を20何年やってるみたいな感じなんです(笑)。ただ年を取って思うのは、メンバーの親とか家族も含めての付き合いができるバンドは、これから作れないかもしれないなって。本当に家族みたいなので、逆に辞める理由がないっていう感じかもしれないです。でもそうやって細々とやってたら、今年椿屋(四重奏)がライブに呼んでくれたりとか、仙台では今もお客さんがたくさん観に来てくれるし、今の方が地に足つけてやりたいことをやってる感じはありますね。
ーーLOST IN TIMEに加入した当時、2000年代の後半は下北沢のどんなライブハウスに出て、どんなバンドと一緒にやることが多かったですか?
三井:下北沢だとCLUB Queでやることが多くて、同世代はLUNKHEADとかセカイイチとか。あとは地方に行くこともすごく多くて。THE YOUTHのときはガチガチにメジャーでデビューしたので、あんまり地方の街を作ってる人と仲良くなる機会がなかったんですけど、LOST IN TIMEで地方に行ってライブハウスの店長と話すと、この人たちがこの街を作ってるんだなって、本当によく思うんですよ。みんなキャラの濃い、赤レンジャーみたいな店長ばっかりで(笑)、その人たちの教えで若い子がバンドを始めたりするので、やっぱりその街の音みたいなのがあるんですよね。
ーーそこから顧みると、下北沢にも赤レンジャーがたくさんいるわけですよね(笑)。
三井:そうですね。ライブハウスごとに独自のコミュニティもあったし、街ごとの文脈みたいなものもすごくあるなと思います。
ーーサポートとしての活動が始まったのは、途中でも触れたように江口さんとの関わりがきっかけだったわけですか?
三井:最初はそうですね。江口くんのワークスに呼んでもらったのが、仕事としては初めてだと思います。それがちょうどLOST IN TIMEに加入したのと同じぐらいなんですけど、その中で最初のちゃんとした仕事がいきものがかりの「ブルーバード」でした。ドラムはGO!GO!7188のターキー先輩で、ベースが山口寛雄さんで、鍵盤が渡辺シュンスケさん。その中にいきなりサポートミュージシャンとしてはアマチュアみたいな僕が突っ込まれるっていう、今思うとすごいなって(笑)。
ーーそこからサポートとしての活動がさらに広がるきっかけとなったアーティストの名前を挙げていただくことはできますか?
三井:それで言うとSchool Food Punishmentなのかな。そこからla la larksに繋がったり。でもまた全然別で中村一義さんの話があって、たぶんサポート歴で言うと一番長いのかもしれない。あとは江口くんが今Aimerさんのバンマスとかをやってる野間(康介)さんを紹介してくれて、Aimerさんのところでギターを弾くようになったり。だからきっかけはいろいろあるんですけど、あんまり範囲は広くなくて、わりとみんな同じコミュニティの中でのきっかけというか。「初めまして」の現場がほぼなくて、ちょっとバンドに近い感じはあるのかもしれないですね。
ーーそれぞれの現場でアーティストごとの色の違いはあると思うんですけど、三井さんがどの現場でも共通して心がけていること、大事にしていることはありますか?
三井:ちゃんと空気を読んだ上で、行けよって言われたら諸手を挙げて全力で、遠慮しないで行く、みたいなことですかね。それもやっぱり関係性があるからこそできることだと思っていて。あるとき結構いろんな方がLOST IN TIMEを観てくれたことがあって、それからバンドマンとしてのカラーを強く出した方が喜んでもらえるようになった感じがして。もちろん、どの現場でも「なんで僕なんだろう?」っていうところを考えて、ちゃんと120%返してあげられるように、呼んでよかったと思ってもらえるように、めちゃくちゃ時間は使います。ただ、幸せなことに知り合いと一緒になることが多くて、そうなると自然とバンドみたいになっていくので、その人たちに喜んでもらうっていう感覚もあるのかな。「これ俺が弾いたっけ?」ぐらいのサイクルで動いてる売れっ子のスタジオミュージシャンの方も素晴らしいと思うんですけど、僕は自分が関わった作品は何回でも聴きたいですし、そういうところもバンドマンっぽいですよね。