Lucky Kilimanjaro 熊木幸丸が向き合う、音楽を介した他者との繋がり方 「“個”が強化されても意外と自分は幸せになっていない」
Lucky Kilimanjaroの新曲のタイトルは「無限さ」。とてもスケールの大きな言葉が掲げられているが、歌われていることは大袈裟なことではない。「私がいる。あなたがいる」ーーそのシンプルな事実を、繊細に、優しく、歌っている。急いで解決を見つけ出す必要はない。まずはお互いが「そこにいる」ことを確かめ合い、感じ合い、受け止め合おうと歌っている。こんなにもさりげない歌に、彼らは「無限」を見出し、躍動感のあるダンスミュージックのフィーリングを重ね合わせた。「私がいる。あなたがいる」そんな営みをこの先もずっとずっと続けていくことを、決意するかのように。
社会も私たちもなかなかに混乱しているし、モヤモヤすることはあるけれど、それでも避けることのできる対立はあるよ。一過性の快楽で目隠しをすることもやめよう。自分とあなたを見つめながら、しっかりと踊り続けようーー最新シングル『無限さ』を聴いていると、そんなことを思う。私はこの時代に、ラッキリがいてくれてよかったと心から思っている。今回のインタビューでも、熊木幸丸の言葉はとても明晰で、それでいて、とても人間臭かった。(天野史彬)
「俺がよければいい」というスタイルは、Lucky Kilimanjaroとしては違う
ーー振り返った話から始めたいのですが、7月に豊洲PITで開催された『Lucky Kilimanjaro presents. TOUR “Kimochy Season”』のファイナル公演を僕も観させていただいて、本当に素晴らしいライブでした。あのライブを観て、『Kimochy Season』のツアーはアルバムのリリースツアーというだけでなく、この数年間……特にコロナ禍以降のラッキリの歩みを総括するようなツアーだったのかなと思ったんです。熊木さんにとって、あのツアーはどのような手応えを抱くものでしたか?
熊木:僕らはメジャーデビューと同時にコロナ禍に入ってしまったので、自分たちの理想とするようなライブが100パーセントできていないというモヤモヤ感が常にある中で自分たちなりに踊ってきました。それから2023年、今のような状況になって、改めてダンスミュージックで、同じ空間を共有してみんなで歌って踊ることの重要性を伝えられるフェーズに立っていたなという感覚があったんです。なので、おっしゃるように統括の意味もありましたし、「2023年、ようやくラッキリイヤーがやってきましたよ」という気持ちで挑んだツアーでもありました。ようやく自分たちのやりたいスタイルがしっかりとやれる環境になったなって。なので、「より、やっていきますよ、我々は」というツアーでもあったと思います。
ーー「総括」でありつつも、それ以上に「はじまり」の意味合いが強かったんですね。
熊木:「この2、3年、まだまだ踊らせ足りねえんだよ、俺は!」という気持ちが自然に出たツアーでした(笑)。
ーー『Kimochy Season』以降の動きとしては、まず7月にシングル『後光』がリリースされましたが、『Kimochy Season』後の熊木さんの創作のモードはどのような感じでしたか?
熊木:『後光』の段階では、まだ『Kimochy Season』を引きずっている感じはあったと思います。今言ったように、自分たちがやりたい形のライブがやっとできるようになったからこそ、『後光』は「踊る人が主人公なんだ」ということを歌おうと思った曲で。この感覚を大事にしたいし、感謝したいなと思って。ただ、これまでのLucky Kilimanjaroって、自分自身の存在、自分自身が考えていること……それは僕のことというより、人が「自分とは?」と考えるうえでのメッセージを発信していたことが多いような気がして。でも、最近の自分の感覚としては、外との接続の中で「自分」というものは出来上がるなという感覚がより強くなっている気がします。どうしたら「自分は外部と接続している」という感覚を、自分の本質として見ることができるだろうか?……簡単に言えば「繋がり」というものを、もっとダンスミュージックを通して表現していきたい。そういう気持ちが最近、生まれてきたと思います。
ーーそれは、何かきっかけがあったんですか?
熊木:本を読んだり、Lucky Kilimanjaroを通していろいろな人と仕事をしていく中で徐々にという感じです。自分の中だけでこだわって表現を作っても、面白いところに届かないというか、辿り着かないというか、そういう感覚が出てきたんだと思います。それこそライブも、お客さんがいないとダンスミュージックは成り立たないんです。そういう意味でも、自分と外側の接続について、もっとたくさん考えなければいけないような気がしていました。お客さんが増えてから特に思うようになったのかもしれないです。「Burning Friday Night」がバズったり、「どうやってお客さんと繋がるんだっけ?」というところもしっかりと考えないといけないな、と思うようになりました。
ーー「繋がり方」は、やはりダンスミュージックを考える上でも大事なことですよね。「踊る」という行為自体は個人のことだけど、フロアで起こることは社会的なことでもあるから。
熊木:そうですね。「個」だけでは存在し得なくて、「個」と「個」が混ざってできる全体のコードみたいなものがある。「個」ではあるけど、「個」の半分くらいは「個ではないもの」でできている……そういう感覚です。そういう感覚が、自分の中でも強くなっているんだと思います。それは今言ってくださったように、踊る人とフロアという関係性もそうですし、踊る人とコミュニティという関係性もそうですし。そこに切り込まないと、みんなが本当に楽しめる場所をLucky Kilimanjaroとして作っていけないんじゃないかという気持ちがありました。それに何より、「俺がよければいいんだ」というスタイルは、Lucky Kilimanjaroとしては違うと思うんです。やはり、「楽しくみんなでやりたいよね」と思うから。そこを改めて見直したというか、立ち返った感じなのかもしれないです。
ーー僕の個人的な問題意識なんですけど、今生きていて、「ひとり」で何かを突破していこうとすることのキツさを感じることが増えてきた気がするんですよね。少し前は「個」であることを大事にしたいと思ったし、それは間違ってはいなかったと思うんだけど、今は「個」だけだとかなり難しいというか……。
熊木:すごくわかります。僕も、メジャーデビュー当初や初期の作品は「個」の強化をむしろ目指していたと思うんです。だけど、「個」が強化されても意外と自分は幸せになっていないかもという感覚がざっくりとあって。きっと、両輪が必要なんだと思います。個も大事だけど、柔らかさとか、他人と接続する部分もすごく大事で。