Chevon、文学とボカロをルーツに持つ新進気鋭の注目バンド 「音楽は最後の砦」鮮烈な言葉に込められたエゴと願望

 予測不能な曲展開と、一度聴いたら頭から離れないほど中毒性のあるボーカル。文学的でありながら、どこか狂気を帯びた歌詞。中性的で唯一無二の歌声を持つ谷絹茉優を中心に結成され、札幌を拠点に活動するスリーピースバンド、Chevonのニューシングル「ノックブーツ」が9月13日にリリースされた。

 この曲はABCテレビの深夜ドラマ『●●ちゃん』のために書き下ろされた主題歌。増田有華が演じる主人公・史恵の奇天烈なセクシャリティに焦点を当てた歌詞は、押韻やダブルミーニングを駆使したChevon史上もっとも官能的な歌詞と、ワウギターをフィーチャーしたファンキーなサウンドが印象的。ドラマの持つ世界観に徹底的に寄り添うことで、バンドとしての新境地を切り開くことに成功した。

 2021年に結成され、すぐさま12カ月連続配信にチャレンジするなどインパクトのある活動で着実にファンベースを広げながら、まだまだ謎の多い彼らにインタビューを行い、結成の経緯やバンドとしてのアイデンティティについてメンバー全員にたっぷりと話してもらった。(黒田隆憲)

Chevon結成に至る経緯

Chevon

ーーまずは、みなさんが音楽に目覚めたきっかけを教えてください。

谷絹茉優(以下、谷絹):親がカーステでいつも音楽をかけていたり、家にピアノがあって母親が弾いていたり、小さい頃から音楽が身近にあったし、何より歌うことが好きな家庭だったんです。その影響もあって、自分も両親と一緒になって歌う子供でした。当時のホームビデオには、食卓をグルグル回りながらずっと歌っている自分が映っていることも多くて(笑)。それとは別に、小学生の頃から小説を書いてサイトに投稿していたんですよ。「歌詞を書いて、歌う」という表現方法にたどり着いたのは、そういう経緯があったからだと思います。

ーー小説を書こうと思ったのはどうして?

谷絹:小学生の頃に、小説好きの友人ができたんです。しかもその時の国語の先生が小説好きで、言葉に対するこだわりがものすごく強い人だったんですよ。その2人の影響で、夏休みの自由研究に友人と小説を書いて、「どっちが面白いか勝負しようぜ」みたいなことをしていました(笑)。

 そのうちライトノベルやボカロが爆発的に流行り始め、その後押しもあって、読みやすくてアニメっぽい設定が多い小説にハマっていきました。いっときは活字だったらなんでも良くて、電車の中吊り広告を隈なく読んだり、天声人語を切り抜いて知らない単語を調べてノートに書き写したりしていました。とにかく、自分が言葉で言い表せないことがないようにしたかったし、「この言葉ってどんな意味だろう?」と分からないことがないようにしたくて。いっぱい読んで、調べて、書き方を覚えて……というのをずっとやっているような子供でした。

ーー谷絹さんの中性的な歌声もChevonの魅力の一つだと思うのですが、最初からその唯一無二な声だったのですか?

谷絹:それこそボカロの影響だと思います。今はキーを変えた「オフボーカル」のトラックを何パターンかネットに上げてくださっていて、歌い手さんたちはそこから自分の歌声に合うトラックを選べるのでボカロは「人が歌えるレベルのメロディ」を歌っていることが主流ですが、初期のボカロは到底人が歌えないような、細かい譜割で起伏の激しい旋律が主流だったんですよ。「歌い手さん」と言われる人たちは、そういう「難易度の高い」ボカロのメロディを競うように歌っていました。ボカロPも、「これならどうだ」「これなら歌えないだろう」みたいにどんどんメロディの難易度を上げていくという(笑)。

 そういうシーンが席巻していた時代のリアルタイム世代で、彼らの音楽を聴いて「こういう歌が歌えるようになりたい」と思っていたからこそ、高低差が激しく譜割もストレンジで細かいメロディを自分でも書くようになっていったのだと思います。Chevonの曲を聴いた人から「ボカロが好きでしょ?」とよく言われるのは、今話したような経緯があるからではないかと。

ーーでは、Ktjmさんが音楽に目覚めたのは?

Ktjm:小学校5年生の時に、ベースをやっていた6つ上の兄と一緒にテレビで「ギター特集」みたいな番組を見ていた時に、「ギターってかっこいいな」とぽろっと言ったんです。そうしたら兄が、「頼むから始めてくれ」と。一緒に音を合わせる仲間が欲しかったんでしょうね(笑)。その数日後には楽器屋に連れて行かれ、兄がバイトで稼いだお金で6万円くらいのギターを手に入れました。3カ月くらい練習してみたのですが、全く上達せずにそのままやらなくなってしまうんですけど。

 でも、それから1年後くらいにレッチリ(Red Hot Chili Peppers)と出会い、難しくてとても弾けるようなレベルでは当然なかったんですけど、どうしても彼らの曲をカバーしたくてひたすら頑張って、なんとか1曲弾けるようになる頃にはめちゃくちゃギターにハマっていました。ちなみに練習したのは「Dani California」だったと思います。ギターのいろんなテクニックが混じり合っていて、すごくいい勉強になりましたし、初めて自分が好きな曲をカバーしたことで、「ギターってこんなに楽しいんだ」と思えたんです。

ーー高校生になってからは?

Ktjm:僕が入った高校には軽音楽部みたいなところがなかったんですよ。それでもバンドが組みたくて学校外でメンバーを探すことにしました。その時に「全然ドラムやったことがないけど一緒にやろう?」と言ってきたのが、のちにKALMAのメンバーになる(金田)竜也だったんです。彼と一緒に同級生を集め、学祭に出たりしていました。

 高校を卒業して大学に入ってからは、特に何もなくて。バンド活動も全く力を入れてなかったんです。そしたら竜也から、専門学校で知り合った谷絹の話を聞いて。大して期待もせずに彼女の「歌ってみた」動画を検索したら、めちゃくちゃすごくてびっくりしてしまって。「彼女と一緒にバンドを組んだら、結構いいところまでいけるんじゃないか?」と思って再びやる気が出たのを覚えています。

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