Chevon、文学とボカロをルーツに持つ新進気鋭の注目バンド 「音楽は最後の砦」鮮烈な言葉に込められたエゴと願望

Chevon、音楽に込めるエゴ

常に新しい試みにチャレンジしている曲を作る

オオノタツヤ
オオノタツヤ

ーーKALMAの竜也さんがChevonの生みの親とも言えますね。

谷絹:当時の私は専門学校でレコーディングエンジニアを専攻していたのですが、そこに竜也もいたんですよ。私の「歌い手」としての活動もずっと気にしてくれていて、「谷絹はバンド向けのボーカルなのに、バンドとかやらないの?」と言ってくれたことがあるんです。そこから少しずつバンドに興味が湧いてきて、バンド界隈の人たちとも話すようになり、ライブにも足を運ぶようになっていきました。ちょっとずつ「バンドもいいなあ」と思えてきた頃に竜也から、「高校の時にバンドを組んでいて、今はやってないけどめちゃめちゃ上手いギタリストがいるんだよね」とktjmを紹介してもらいました。

 最初は2人で曲を作ってみたりしているうちに「とりあえずベースとドラムも必要だよね」ということで、Ktjmが同じ大学サークルから引っ張ってきたのがオオノ。彼と、当時Chevonを手伝ってくれていたドラマーを交えた4人でとりあえずスタジオに入ってみようという話になりました。結局ドラムは正式メンバーにはなっていないのですが、そこから3人編成になったという感じです。

ーー最後に加入したのがオオノさんだったのですね。

オオノタツヤ(以下、オオノ):僕の家も谷絹と同じく、家の中でいつも音楽が流れていました。家中の壁に小さいスピーカーが貼り付けられているような環境だったんです。僕には5つ離れた兄がいるのですが、彼が中学生くらいの頃にギターを始めて、僕も少しずつ楽器に興味を持つようになっていきました。ギターを弾いている兄もカッコ良かったし、父がドラムを叩く姿にも憧れていたので、僕もギターかドラムのどちらかを始めたいと思ったのですが、「それは違う。お前はベースをやれ」と両方に言われて。

ーーあははは。オオノさんもバンド要員にされたわけですね(笑)。

オオノ:それでベースを始めて兄と一緒にONE OK ROCKやRADWIMPS、KANA-BOONとかコピーしてみたものの、地味だし楽しくなかったんですよ。なのに「俺はベースが弾けるんだぜ」といろんなところで吹聴して回っていたんでしょうね、高校二年生のタイミングで「え、君ベースできるの?」みたいな感じで学祭に誘われて。言った手前引き受けざるを得なくなり、めちゃくちゃ練習して初めて人前で演奏することになったんです。その時に「バンドって楽しいな」と思ったのが、本格的に音楽に目覚めたきっかけでした。

ーーChevonを結成した時には、どんな音楽を目指そうと思いましたか?

谷絹:うーん、具体的にジャンルとかは決めていなくて。とりあえず私が歌詞を書いて歌うということだけ決めて、あとは自分たちが聴きたい曲、演奏が始まった瞬間にChevonだとわかるサウンドを目指すことにしました。結成が2021年6月で、すぐに12カ月連続シングル配信ということをやったんですけど、どの曲も他と曲調が被らないような、常に新しい試みにチャレンジしている曲を作ろうと思っていましたね。その姿勢は今も変わっていなくて。「今までのChevonっぽくないけど、でもChevonっぽい曲」というのを目指して作っています。

ーー最初にみんなでスタジオ入りした時には、どんな感触だったのでしょうか。

谷絹:最初はカバー曲をやったんですよ。wacciの「別の人の彼女になったよ」と、ナナホシ管弦楽団の「デリヘル呼んだら君が来た」、それからカラスヤサボウの「バッド・ダンス・ホール」というボカロ曲もやりました。ちょうどその頃、「歌ってみた」動画で「別の人の彼女になったよ」を歌っていたのと、私が歌いたかったバンドっぽいボカロ曲をやろうと思ったのが選曲の理由です。

 何より、まずは仲良くなれるかどうかを見極めたかったんですよね。ユーモアのセンスが合うかどうかも大事だったし。なのでスタジオに入って音を合わせたり、居酒屋に行ってみたりして(笑)。ちょうどコロナ禍だったので、なかなか会えなかったのもあったんですよね。

Ktjm:実際にオリジナル曲をやろうと思った時、最初はどうやって作ったらいいのかすら分からなくて。

谷絹:クラウドに最初、Ktjmがコード進行をループしたものを何個か上げて、その中から選んで歌いたいように歌ってみて。何個か提出して「いいね」となったものをオオノがキメとか構成とか考えて整えてくれて、そこからスタジオに入って3人で仕上げていくという感じでした。今も基本的には変わってないのですが、最初に作った曲は、いくつか挙げてくれたコード進行の中で4番目に入っていたやつを選んだから「No.4」という曲名なんです。

ーーなるほど。

谷絹:そういう作り方なので、私自身は3人でスタジオに入るまで曲の全貌が見えないんですよ。合わせてみて初めて「ああ、こんな曲になったのか」って把握するんです(笑)。この話をラジオとかですると、「珍しい作り方」と言われることもあるんですけど、でもこれこそが「バンドだな」って私は思うんですよね。

 今までずっとソロでやっていて、その時は「自分の出来ることの100パーセント」で作っていたけど、バンドはそうではなく、自分の出来ることをそれぞれ持ち寄って、3人で100パーセントを作るという楽しさがあるんだなと。自分だけで完結しているのではなく、自分ではない要素をある種受け入れたり、相手に受け入れてもらったりしながら化学変化を起こしていくのがバンドの面白さだと思っています。

ーーそうやって手探りで毎月新曲を仕上げながら、ライブ活動も定期的にやっていたわけですよね?

谷絹:実は、結成して最初の1年はライブを一切やっていなかったんです。最初のライブでぐちゃぐちゃな姿を見せるのは嫌だし(笑)、練習する期間をしっかり作ろうということで、2021年はしっかり練習をしていました。でも、それだと話題が作れずせっかく付いてくれたファンが離れてしまうなと。SNSって、1カ月に1回くらい何か惹きがないと飽きられてしまうと思っていて。もしライブをやらないのであれば、音源をしっかり出していくしかないなと。それで毎月新曲を発表し、その裏でずっとライブに向けての練習をしていました。

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