長谷川白紙×長久允『オレは死んじまったゼ!』対談 “軽薄”に対する音楽面でのアプローチ、作家としての使命も語り合う
両者が考える映像と音楽、音響の関係性
ーー監督は若いころ音楽をやられていたということで、音楽へのこだわりも強いと思いますが、例えばどういうところで自分が音楽から受けた影響が出ていると思われますか?
長久:結局人の知覚って、音が一番強いと思うんです。それは音楽をやっていたから感じることで。下世話な話ですけど、高校時代にアダルトビデオを録音したMDがクラスで回っていて、みんなで聴いていたりしたんですよ。アダルトビデオの音だけ。それでみんなすごく興奮していて。かつ、家のビデオが壊れちゃって音が出なかったんですけど。それ(音が出ない映像だけ)だと興奮しなくて。つまり、絵より音の方が人はダイレクトに知覚しやすいっていうのを、それを通して感じていたんですね。自分が映像を作る上でもそれは感じていて。絵ももちろん大事ですけど、音が司るものがすごく大きい。それもロジックじゃなくある種の悲しみとか、そういう感情の部分は音の大きさと音色と、どっちから聞こえるかという方向と、音楽の質感とか進行とかが、ほとんど決めてしまう……司っていると思って作っているので。音楽から始まったSEとかセリフの語尾の聞こえ方とか音量とか、そういうものの設計をすごく大事にしています。
長谷川:すごく納得ですね。さっき感覚の、運動そのものみたいなことを言ったと思うんですけど。ストーリーテリングから感じるのは、これがこれである例、ここ自体に必然性はなくて、ただ替え難くこれがこれであるという事象があるというのが、長久監督の作品でよく出てくると思うんです。長久監督が言っているような音響の優越性って、耳は閉じることができないっていうことに強く由来しているのかなと。説明のつかない形で在ることと、音は常に聞こえていて、耳をふさぐことは基本的には出来なくて、音を知覚しない、っていう選択肢が基本的にない、っていうことは、すごくリンクしているように思います。面白いお話をありがとうございます。
長久:いやいや(笑)。
ーー一方長谷川さんのライブを観ていると、音楽にビジュアルのもたらすモノって大きいなと実感します。映像と音楽、音響の関係性について何か考えることはありますか。音楽と視覚、視覚と聴覚の関係性というか。
長谷川:知覚というものが想像している以上に複合的なものであるということは、よく考えてますね。例えばコンサートに行くとして。クラシックのコンサートみたいなのが一番話しやすいので、それを想像して頂きたいんですけど。
――はい。
長谷川:600円くらいの交通費を払って、チケットを買って、入場して、仰々しい椅子に座らされて、ステージはものすごく暗くて、厳かにチェロの奏者がゆっくり出てきて、赤い椅子に座り……そういう一連の過程が、コンサートとは無関係であって音楽そのものではない、という言説は無理がある、と私はずっと思っているんです。交通費がいくらかかるのかも、照明がどれくらい明るいのかも、椅子の材質が何なのかも、私はずっと、音楽の一部だと思っていて。けっこうナイーヴな捉え方だと勘違いされるんですけど、そうじゃなかったら何なんだというくらい、ある地域の音楽、クラシックで言うと西洋音楽は、それが演奏される場に合わせて進化してきているんですよ。けっこう色んな音楽がそうじゃないですか。私は視覚的であるとか、触覚的であるとか、嗅覚とか、味覚とか、その他もろもろの、来てくださる方の感情の動き、そのすべてのものが音楽であると常に考えているので。
ーー体験であるということですね。
長谷川:はい、全ての音楽、例えアップルミュージックで一人で聴いていても、それは同じことだと思うんです。あの部屋で聴いたら良かったけど……ということはありませんか?
ーーつまり長谷川さんの音楽も、家で一人で音源を聴いているのと、ライブに行くのと、あるいは監督の映像作品の中で聴くのとでは、全く違う体験になるという。
長谷川:えぇ、その通りです。だからライブも、ある曲において何か本質的なものが仮にあったとして。それは本当じゃなかったかもしれないって常に提示できる可能性にあふれている場が最も音楽的な場だと、私は思います。だからそこはすごく意識しています。そのためにはすごく、“まぶしい”とか“色とりどりだ”とか、みたいなことは、けっこう重要だと思っています(笑)。
長久:そういう意味で、映像につく「劇伴」になった時って、意味合いがお互い圧縮されて、パッケージングされている状態で聴いている。この曲たちを絵のない、意味合いのない状態で、空間で聴きたいな、聴いてみたら何を受け取るのかな、受け取るんだろうなっていうのは知りたいと思います。
長谷川:すごい。確かに気になりますね。それは。
長久:お互い意味合いに向けて作っているからって言ったけど。ポンッと置かれたときに違うものを受け取ったりすると思うんですけど。そこが楽しいと思うから。
ーー我々がレコードレビューとか書くときにね、サントラ盤が回ってきたら「映画観ないと書けないでしょ?」っていうのが、一応基本的な態度なんですけど。
長谷川:えぇ。
ーーでもそうじゃなくて、サントラ盤だけを聴いてそこに立ち上がってくるものもある。という風に考えると、必ずしも映画を観て、その中での体験がすべてではないって言うこともできますよね。
長谷川:そうですね。すべてではないと思います。私たちがそれこそ、意図して、複合的に作り上げようとした知覚っていうもの……もちろん、映画とかドラマの中にあると思うんですけど。それがサントラだけを聴いている状態に対して優越しているわけではないと、思いませんか(笑)?
長久:思います。特にね、書き下ろしであればそうですよね。むしろその方が良かったりする。サントラだけで聴いた方が良い説があったりとかね(笑)。
長谷川:そうですね(笑)。
ーー今回のアルバムもサントラではあるけど、長谷川さんの作品として、確固とした独立したものとしてもある、ということですね。
長谷川:そうですね。あるというか、別の視点を以て書かれている。その視点はずっと統一するように気を付けているんですよ、私は。そういう意味で、単純に音響的にも……ちょっと良い言い方が思いつかないんだけど……興味深いものになっていると思います(笑)!
現代に足りていないのは「悪趣味な攪乱」
――もう一つ。『WE ARE LITTLE ZOMBIES』もそうですし、今回も主人公・桜田和彦(柳楽優弥)とか佐々木咲(川栄李奈)のエピソードは親子の関係性がテーマになっています。監督にとって重要なテーマということでしょうか。
長久:まぁ通じ合わない、というのは一貫しているというか。通じ合おうだなんておこがましいよねっていうことは一貫しているかなと思います。
ーーわかり合えないというのが。
長久:そうですね。わかり合えないですよね、誰も(笑)。血縁関係があろうとも、他人ですから。
長谷川:うん。
ーーそれは私も日々、痛感しています。
長久:そうそう。それを巷の映画とかドラマとか物語というものは、安易に「通じ合えました」ってやっていくから。
ーーやっていきますよね。
長久:そんなわけないよねっていうのは、やっぱりこう、ちゃんと発信しなきゃなっていうのは意識しています。
ーーそういう“わかり合えるんだよ”っていう常識的な結論に落ち着きがちっていうのは、それを求めてる力があるというのもありますかね。
長久:うーん、楽だからじゃないですか。
長谷川:規範性の運動だから。そこに落ち着くと作品として、作品の価値が代弁されるような感覚がある。作品を作っていると、そういうのがある。例えば、関係性が落ち着く、わかり合えることで、この作品ではなくて、家族の愛というものの素晴らしさに、作品の素晴らしさが委託されるというか。
長久:そうそう。
長谷川:それがけっこう強い誘惑なんですよ。作家としては。
長久:多分そう。
長谷川:作品そのものではなくて、それの外の。“幽霊”もそうだと思います。その外にある何かに、自分がしなくちゃいけなかったことをそのまま任せられるというか。
長久:そうそう。理想的な家族が素晴らしいとしたら、でもそれを描くことが素晴らしい、わけではないというか。
ーーあぁ。当たり前といえば当たり前ですけど、そういう自分の中の誘惑があるということですね。
長谷川:そうですね。
長久:でも、誘惑があるもの、誘惑に負けたなと思うものを感知しちゃうから(笑)。でも僕も「わかり合えないのである!」って声高に言いたいわけではなくて。わかり合えないということは、基本前提ですよね、というくらいの。手前のものとして扱いたいという感じですけどね。
長谷川:すごくわかります。同じです。
長久:同じで良かった(笑)。
ーー長谷川さんは以前、すべての規範をぶち壊したい、とおっしゃってましたが。
長谷川:そうですね……(笑)。
長久:そうか、ぶち壊したい?
長谷川:でもあまり最近、ぶち壊したい! じゃなかったなと思っている感じですね。
ーーそうなんですか。
長谷川:ぶち壊す、というより……
ーー今あるすべてをぶち壊したいって、私とのインタビューでおっしゃっていたのが、すごく印象的でした(笑)。
長谷川:なんというか、突っ込んだことを言っていたんですね、私は(笑)。今は、破壊より攪乱の方が自分の興味と手段に合っています。規範があったとして、それが重要でないもののようにあからさまに見せてあげることとか。規範が絶対の真実だとしたら、成立しないことを次々と、ベタに、悪趣味にやってみることというのが、私の興味ですし、そっちの方が合っているなと思います。今回もそうですし。
長久:悪趣味、めっちゃ良いですね。うん。「悪趣味な攪乱」はしたいかも。
ーーああ。今回の作品はそんな感じかもしれないですね。
長久:そうですね。みんなこっち向けって言ったら向いちゃう方が楽なのを、悪趣味な攪乱は、そうじゃないよっていう可能性をピックアップできるんで。それが現代に足りていないと思うから。その使命感というのは現代の作家としてーー小人数かもしれないけどーー持っていないといけないなと思っています。
■リリース情報
『オレは死んじまったゼ! (オリジナル・サウンドトラック)』
発売:2023年10月4日(水)
価格:2,530円(税込)
https://ultravybe.lnk.to/orewashinjimattaze
長谷川白紙オフィシャルサイト
https://hakushihasegawa.com/
■番組情報
連続ドラマW-30『オレは死んじまったゼ!』
WOWOWにて放送・WOWOWオンデマンドにて全話配信中
第1話無料放送【WOWOWプライム】/無料トライアル実施中【WOWOWオンデマンド】
視聴はこちらから
https://wod.wowow.co.jp/program/185510
※10月31日(火)18時までは第1話を無料で視聴可能
※10月13日(金)午後11:30より、最終回(7話)が放送
出演:柳楽優弥 川栄李奈 松田ゆう姫 賀屋壮也(かが屋) 長澤樹 草村礼子/三遊亭好楽
監督:長久允 串田壮史 脚本:長久允 脚本協力:益山貴司 音楽:長谷川白紙 プロデューサー:長谷川徳司 日枝広道 鈴木康生 山邊博文
制作プロダクション:ギークサイト プロダクション協力:ゴーストイッチ 制作協力:電通 製作著作:WOWOW