マリアンヌ東雲が明かす、キノコホテル休止から新章を迎えるまでの裏側 「自分の選択は正しかった」

マリアンヌ明かすキノコホテルの新章

 マリアンヌ東雲を中心に女性4人でスタートし、昨年には創業(結成)15周年を迎えたキノコホテル。その15周年を記念したツアー『サロン・ド・キノコ~厄除け総決算ツアー』の最終日、6月18日の神田明神ホールでの公演をもって総支配人であるマリアンヌ東雲以外の、全従業員(メンバー)が脱退し、バンドは長く実演活動を休止することとなった。それから1年、今年6月。キノコホテルは新たなアルバム『マリアンヌの教典』をリリースするとともに、6月24日には東京キネマ倶楽部で創業16周年の単独実演会で、新章を幕開けた。アルバム制作、ライブ活動にはそれぞれパートタイム従業員(サポートメンバー)を迎えたフレキシブルな活動となっており、ガレージロックでサイケで、さらにビザールな中毒性に溢れたキノコホテルサウンドをよりグルーヴィに展開するものとなった。アルバム『マリアンヌの教典』は、まさにマリアンヌ東雲の色を全開にしたロックでノスタルジックで、エキゾチックなものである一方で、感情をあらわに、またうごめく心模様を見つめる内省的な作品にもなっている。アルバムのリリース、そして1年ぶりとなった単独公演を無事に終えたマリアンヌ東雲に、この新章の裏側について話を聞いた。(吉羽さおり)

自分で自分を許すための作品

ーーまず、6月24日にキノコホテルとして新たな体制となって、東京キネマ倶楽部で創業16周年記念単独実演会が開催されましたが、いかがでしたか。

マリアンヌ東雲:キネマ倶楽部はキノコホテルにとって特別な、節目節目で公演を開催してきた場所だったので、そこに帰ってこられた喜びが大きかったですね。アルバムのリリースとこのキネマ倶楽部での公演は、1年計画でした。6月14日に無事にアルバムをリリースすることができて、キネマ倶楽部でこの1年計画の総仕上げをできた安堵感がまずはあって。会場は昨年の7月くらいから押さえていたんですけど、決して大袈裟ではなくそれはもう賭けに出るくらいの気持ちで。誰に演奏をしてもらうかというところからでしたので。何とか無事終わって、心が解放された、肩の荷が降りた気分にはなりました。

ーー久しぶりのステージが、コロナ禍の規制が緩和されてお客さんも発声ができる状況となっての公演というのもよかったですね。

マリアンヌ東雲:胞子(ファンの総称)の皆さんは寡黙な方が多いんだけども、この日は声出し解禁ということをオフィシャルでもアナウンスしていたから、私がステージへ出て「ただいま」って言ったら、「おかえりー!」って返ってきて。もう全米が泣いたくらい、全宇宙が泣いたくらいの状況でした。泣いちゃったらどうしようとも思っていたんですけど、意外とそこは、喜びをかみしめながらもいい意味でフラットな気持ちのまま公演を終えることができて。それがよかったですね。

ーー固定のメンバーによるバンドとはちがう、サポートを迎えてのステージというのはマリアンヌさんの体感として変化はあったのでしょうか。

マリアンヌ東雲:あまり感じなかったですね。実際にステージに立って2時間弱くらいやりましたけど、それよりもキネマ倶楽部に戻ってきて、1年ぶりにキノコホテルの楽曲を歌う。それを多くの胞子諸君が見届けに来てくれたことが大きかったものだから。当日支えてくれた3人に関しては、本当にいい意味でそつなくやってくれたので。変に意識をせずにできたんです。確かにパートタイム従業員(サポート)ではあるけれど、彼女たちもキノコホテルの従業員として全うしようとしてくれているのが伝わってきたというか。観に来てくれた胞子の皆さんも、予想以上に前向きに3人を受け入れてくれているように感じたし。とにかくそこにほっとした気持ちがありました。そもそも、こういっては身もふたもないですけど、もともとメンバー間で結束が固いわけでもなくある意味ドライな関係性のグループだったと思うので。そういう意味ではあまりマインドに変わりはなかったです。

ーーでは改めて、昨年3月からキノコホテル創業15周年記念『サロン・ド・キノコ~厄除け総決算ツアー』がスタートして、最終公演を6月の神田明神ホールで迎えたわけですが、そこからキノコホテルの歩みについて、アルバムの制作に向かうまでをお聞きしていきたいと思います。この神田明神の公演でマリアンヌさん以外全従業員(メンバー)が脱退し、実演活動を休止するというのは、胞子の皆さんも驚かれたと思います。

マリアンヌ東雲:そうですね。私としては、なるべくしてなった事態というか。そもそも2021年にジュリエッタ(霧島)さんという前任のベーシストの方が辞めて(長年の蓄積疲労による頚椎症性神経根症を発症)。正直、私の中のジュリ島ロスが大きかったんですよね。これまでも何度か人員交代はあったのでいちいちセンチメンタルになることもなかったんですけど。彼女が抜けた穴が当時の自分の中ですごく大きくて。まずそこから気持ちを立て直すということがありました。

ーーちょうどコロナ禍にも入っていてバンドの活動はもちろん、世の中の動きも試行錯誤があったり、流動的な時期でしたね。

マリアンヌ東雲:そうですね。ジュリエッタさん以降はドミノ倒し的に人員の確保が不安定になっていって、サポートを立ててミニツアーをやったりと臨機応変な対応が求められるようになっていきました。その段階で、今までみたいに決まったメンバーで、安定した形でキノコホテルを続けていくのは多分無理だし、もはや自分もそこにまったく固執していないことに気づいたんですね。臨時従業員を連れて、2021年6月に東海地方で3カ所くらい回ったんですけど、それがすごく楽しくて。それってきっとパーマネントなメンバーじゃないからなんだと思って。それが行った先でのライブやバンドサウンドにも反映されて、まさに一期一会的な、旅と音楽といった感じで。その流動的な感じがとてもよかったんです。ああ、楽しいと思って。私自身、もともと旅行も好きだしこの日だからこその出会いとか刹那的なものが好きなので。そういった旅と音楽がリンクしたような、キノコホテルでは今まで考えられなかったニュアンスが生まれてきて。そこから結構、物事を柔軟に考えていけるようになったみたいで。結局、詞曲を書いてアレンジまで全部私がやっているわけだから、あとはいいプレイヤーの方とその都度巡り合って音を出すのもすごく楽しいんじゃないかとか、むしろそっちを求めはじめている自分に気づいて。

ーーマリアンヌさんももちろん、それぞれに気持ちの変化が芽生えていったんでしょうね。

マリアンヌ東雲:昨年15周年を迎えて、本来であれば胞子の皆さんを巻き込んでお祝いをする、めでたい節目のはずだったのになんてことよという不満はあったけど。でもそれもタイミングがあまりよくなかっただけのことです。とくに今、無事にアルバムをリリースしてキネマ倶楽部も終わって肩の荷が降りて思うのは、本当に自分の選択は正しかったし、辞めた子たちに対してどうこうというのもないですし。キノコホテルをこれからも続けていくためには、これでよかったんだと、今は120パーセント思っているんです。

ーーアルバム『マリアンヌの教典』を聴いてまず思ったのが、サウンド的には高揚感があるのですが、内面的なところでいろんなものを抱えながら、それを一つひとつ消化して、納得させてという、内側の気持ちを素直に吐き出している作品だなと感じていたんです。それがキノコホテルの作品としては、あまりないとてもリアルなものですよね。

マリアンヌ東雲:そうなの(笑)。昨年からの一連の経験、昨年どころかコロナ禍以降ということになるけど、コロナ禍に入ってマネージャーとも離れて、あらゆることを私が一人でやらなきゃならない状況になったというのもあるから。この3年はとにかく苦境に次ぐ苦境でーーそれは、世の中全般に言える事でもありましたけど。その経験を無駄にしたくない、ただ辛かっただけで終わらせたくないという。何かしらに昇華して、結果的には得をしたいという欲張り根性がうまく自分自身を支えてくれたような気はしています。

ーーその心の変遷が形になったというか。

マリアンヌ東雲:昨年のツアー後半は特に、イライラとか怒りとか、マイナス感情にあふれていたわけなんですよね。せっかく15周年を迎えて神田明神での公演もソールドアウトもしたのに、しばらくの間休止で身動きが取れない状況に対する苛立ちも当時はありましたので。でも程なくして、これは全部作品に落とし込めってことでしょ、と自分に言い聞かせたわけです。そういう経験があったからこの作品にたどり着くことができたので、結果的には良かったと今は思えているんですけども。リアルに自分がしてきた体験や心境がこれほどわかりやすく落とし込まれた作品は、キノコホテルとしては新しいもので、9枚目にしてようやく自分自身がそれを許したんだと思うんです。自分で自分を許すための作品というか。

ーーその15周年の神田明神を終えて、キノコホテルをクローズさせるという選択肢はなかったんですか。

マリアンヌ東雲:一切なかったです。よそのバンドとかで誰かひとり辞めたら別物になってしまうから解散、なんていうのをネットニュースとかで見ると本当に潔い人たちだなと思いますよ。私は単に往生際が悪いというのと、あとはただの野次馬根性というか。従業員が全員辞めた後のキノコホテルが一体どうなるのか、見てみたかったのよね。しかもそれを身を以て体現できるのは自分しかいないので。単にバンドとしてもそうだし、ミュージシャンとしてそこからどういうものが出るのか、果たしてちゃんとキノコホテル名義でリスナーをがっかりさせないものが作れるのかどうかっていう。でもやれる気がしたのでもちろんいつか終わりは必ず来るわけですけど、それは今じゃない。という気持ちが強かったです。

ーー「アケイロ」は昨年配信となっていますが、アルバムとしてはどの辺りから最初にできていったのでしょう。

マリアンヌ東雲:アルバムを出すと決めた段階では「アケイロ」しかなくて。レコーディング開始が今年1月の末なので、そろそろはじめないとまずくない? と思ったのが、おそらく昨年11月くらいだったと思うんですよね。

ーー結構、近々な感じだったんですね(笑)。

マリアンヌ東雲:いつものことなので(笑)。デモを作りながら、着手した順に通し番号を振っていくんですけど、完成したアルバムとそんなに曲順が変わらないんです。最近その傾向があって。だから1曲目の「諦観ダンス」はわりと早い段階で作った曲です。

ーーサウンド的に、めちゃくちゃいいノリの曲が最初に出てきているというのが面白いですね。

マリアンヌ東雲:歌詞は相変わらず苦戦しましたけど。そうやってジタバタしながら作っていくうちに、段々とレコーディングのメンバーも決まり、キネマ倶楽部で弾いてくれるメンバーも決まっていって、少しずつ希望の光が見えてきて。そうしたら作る曲調も段々と前向きになっていって。それがアルバムの流れにも見事に反映されたわけです。全然狙った部分はないんですけど。だから本当に私自身のストーリーなの。昨年の神田明神での15周年の後は燃え尽き症候群みたいになってしまって、しばらくはキノコホテルの曲も聴きたくないし、すべてから一旦距離をおこう、と。そのうち戻ってきたくなるのはわかっていたので。でも曲を作りはじめた頃は、まだマイナス感情をひきずっていて。そこから曲を作っていく中でいろいろな心境の変化があったりだとか、デモができればできるほどアルバムに近づいていくわけだから、これで先に進むことができるぞっていう思いが出てきて。

ーーまさに心のあり方というか、自分が好きなもの、心を捧ぐものを取り戻していくような時間ですね。

マリアンヌ東雲:私は私生活では無宗教ですけど、例えば宗教って迷える子羊のような人が何か救いを求めていくわけじゃないですか。それで何らかの教義だとかに触れて、信心しながら段々と心の浄化やよりどころを得ていいふうに変わっていく、本来そういうものであって欲しいと個人的には思うんですけど。最近はいろいろありますけどね。音楽もある意味宗教なのかも知れないですし。もしも私が新興宗教の教祖だったら、なんてたまに妄想したりしますけど……結局金の亡者に成り下がって最終的には逮捕されて終わるのかもしれないけど(笑)。

ーーやめてください(笑)。

マリアンヌ東雲:本来、信じたものに救われたいという気持ちは誰しもが大なり小なり持っていると思うので。最終的には浄化されてポジティブになって、自分を受け入れて、人のことも愛せるようになるようになるまでのストーリー、ですね。それを今回、アルバムリリースを経てキネマ倶楽部までの流れで体現したと思っています。昨年の今頃に抱いていた失望感や他人に対する苛立ちとか、そういうのが今は本当になくて。多分キノコホテルをはじめて史上最も、気持ちが穏やかなの。ああいう経験を経たから今の自分がいて、『マリアンヌの教典』という作品ができて。美しく着地できたと思っているんです。正直、支配人一人でやっていけるの? って思っていた胞子の方もいたと思うんです。それこそ私じゃないメンバーを推していた人もいるだろうし。そういう空気を感じれば感じるほど、絶対に鼻をあかしてやるっていう気持ちに薪がくべられて(笑)、ひたすら孤独に走ってきました。アルバムをリリースして、キネマ倶楽部の前の日に、ディスクユニオンの日本のロックインディーズチャートで首位をとって。次の日に因縁の場所で皆さんが迎えてくれて……。いや、美しすぎると。これはもちろんいろんな人の協力があってのものですけど、本当に自ら勝ち取ったんだなと。最初にキネマ倶楽部を終えてどうでしたかとご質問いただきましたけど、こんなに頑張った1年はなかったです、今までの人生で。

ーー気持ちのうねりもかつてなく凄まじいものでしたしね。

マリアンヌ東雲:うねりまくりでしたよ。

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