米津玄師「地球儀」の歌詞の意味は? 宮﨑駿から受け取ったものと『君たちはどう生きるか』との共鳴
宮﨑駿の10年ぶりの監督作品『君たちはどう生きるか』。その圧倒的なアニメーションに心を揺さぶられた後、その余韻を包み込むように流れたエンディングテーマが米津玄師の「地球儀」だった。リリースに際した米津のコメントにもある通り、この曲は彼が宮﨑駿から受けとったものを返すための楽曲である。映画と音楽という違いはあるにせよ、表現者としての強い共鳴がこの曲には刻まれている。本稿では「地球儀」に込められた意思を読み解いてみたい。
『君たちはどう生きるか』は予測不可能な動きをするキャラクターや奇妙なシーンの連続が型通りの解釈を拒む、極めて幻惑的な映画だ。しかし終盤に訪れる展開によってこの物語は宮﨑駿の精神を巡る冒険譚であり、彼の想像と創造にまつわる想いが根底にあることが分かる。
米津はこのテーマに触れ、想像と創造の芽生えの光景から歌い始める。〈行っておいでと背中を撫でる 声を聞いたあの日〉というラインは映画の終盤から地続きになっているイメージが浮かぶ。続く〈季節の中ですれ違い 時に人を傷つけながら/光に触れて影を伸ばして 更に空は遠く〉には生みの苦しみが描かれ、サビにある〈この道の行く先に 誰かが待っている/光さす夢を見る いつの日も〉は自らの創造物が誰かに届くことを強く願う様が描かれている。
このように一貫して映画に込められた宮﨑駿の意思を汲んだ歌詞でありながら、同時に米津玄師の心の歩みとしても解釈できるのが「地球儀」の特別な点だ。空想がちな子供だった(※1)という幼少期。ジブリ作品を始めとする様々なカルチャーに触れて表現者になる道を選んだ少年期。ボカロPとしてたった1人で自己世界を描くことから始まった彼の表現は、ライブやタイアップなど様々な“異世界”での出会いに影響されより多くの人へと届くようになった。米津もまた〈この道の行く先に 誰かが待っている〉という思いで、まだ見ぬ聴き手を探す冒険を繰り広げてきたと言えるだろう。
“異世界の冒険によって成長し、開かれた創造へ向かう物語”とはまさに『君たちはどう生きるか』の内容である。宮﨑駿の根源を辿る映画でありながらもこの映画は米津自身の心象風景とも重なっている。映画のテーマソングとしての意義を越え、「地球儀」には宮﨑駿への強いシンパシーが溢れているのだ。