ceroは無邪気なポップミュージックラバーであり続ける 『e o』の隙間から問いかける“古今東西の音楽の原点”

 ceroのニューアルバム『e o』には全部で11曲が収録されている。だが、厳密に言うなら、ここからは最低でもその倍……いや、5倍、10倍……100曲、200曲……あるいはそれ以上もの楽曲を聴くことができるだろう。

 例えば1曲目「Epigraph エピグラフ」。ゴスペルかコーラスグループさながらの美しくぬくもりある、でも、どこかに不穏なムードを孕んだハーモニーから始まる。このアルバムが歌の世界によって成立していることをそっと宣言するような曲だ。けれど、冒頭から薄いトーンのバックトラック音が静かに敷かれていて、この部分のみを抜き出せばアルヴァ・ノトやウィリアム・バシンスキを下地にしたようにも聴こえる。加えて、40秒付近からはストリングスがそこに重なってきて、ピチカートがメロディと並走。1分24秒あたりからは、ネイト・スミスやケンドリック・スコットのプレイを連想させるシャープだが滑らかなドラムが滑り込んでくる。しかも、これらは対象となる楽曲の要素の単なる断片でも、歌のための奇妙な伴奏でも、演奏のアレンジとしての創意工夫されたアイデアでもない。むしろ、全く別のいくつかの曲が同時に一つのスピーカーから流れてくるようにさえ聴こえるほど異物感がある。PCで音楽を聴く人なら一度は体験したことがあるだろう、ブラウザの複数のタブからうっかり同時に音を出してしまった時のような違和感と、それがかえって面白い聴こえ方になってハッとした時のような、あの感覚に似ていると言ってもいいかもしれない。

Epigraph エピグラフ Official Audio

 しかしながら、それは情報量が多い、という意味ではない。もしくは、マッシュアップしているような恣意的な作業をそこに感じるということでもない。もちろん、「Epigraph」は闇雲に複数の曲を鳴らそうとしたわけではないだろうし、ましてや偶然の産物でもないだろうが、だからと言ってうまく整合させようともしておらず、その匙加減の具合に思わず唸ってしまう曲に仕上がっている。いや、その「仕上がっている」という言い方も適切かどうかわからない。ただ、普段から新旧、洋の東西問わず多くの音楽に魅了され、自分たちもそれら先達(もしくは同志)のようにいい曲を制作し、発表し、残していきたいというメンバー3人の熱意とストラグルの表れではないか。そういう意味では、少なくとも筆者が最初に彼らの作品に出会った10数年前とほとんど印象は変わっていない。彼らは変わらず邪気のないポップミュージック(大衆音楽)ラバーだ。

 筆者はたいてい新しく聴いた作品を実際に脳内のレコード棚に並べてみるのだが、その際、この作品の両サイドには何を置いたら楽しいだろう? 意外なつながりを実感できる並びはどういうものだろう?……ということをよく考える。ceroのこのニューアルバムについては、まずはその1曲目を聴いただけでもいくつもの“両サイド候補作”が浮かび上がった。もちろん最初に名前を出したようなアルヴァ・ノト、ウィリアム・バシンスキ、あるいはネイト・スミスが関わるロバート・グラスパーやブリタニー・ハワードと横一線に並べつつ……でも、もしかするとThe Beatles『Abbey Road』もその前後に連ねたら面白くないだろうか? と思ったりもする。なぜなら「Epigraph」の最初のハーモニーを聴いた時、The Beatles「Because」とのシンクロもほんの一瞬感じたからだ。ある種の大ネタにも物怖じしない、こうした包容力ある振れ幅の大きさもまたデビュー当時から変わらぬceroの魅力だが、現在のceroは、それを音の中で咀嚼し切らないまま造作なく形にし、さらに3〜4分程度のコンパクトな楽曲のフォルムに落とし込むテクニックを身につけている。本作が際立っているのは、いくつものスタイルを取り入れてポップミュージックのフォルムを解体しようとしつつも、実際は結構忠実にその形式を継承してもいる、そのさり気なくも真摯な技術ではないかと思う。しかも、少なくとも本作はどの曲も多くの要素が混在した複雑な様相を呈しているようで、実際の結び目は案外緩い。紐解いてみると、そこには思いのほかわかりやすい骨格が露わになるような気もする。

The Beatles「Because」

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