BiSHはなぜ我々を夢中にさせ続けたのか 商業性を超えて提示してきたロックバンドとしてのアティチュード
「楽器を持たないパンクバンド」というキャッチコピーを掲げ、アイドルシーンからロックシーンまで幅広く駆け抜けたBiSHが、2023年6月29日に東京ドームで解散ライブ『Bye-Bye Show for Never』をおこなう。
2014年7月8日にアイドルグループ・BiSが横浜アリーナでのライブ『BiSなりの武道館』をもって一旦解散し、その公演直後に同グループのマネージャーをつとめていた渡辺淳之介が音楽プロダクション・WACKの設立を発表。翌年1月に渡辺が「BiSをもう一度始める」と宣言し、スタートしたプロジェクトから誕生したのがBiSHだ。
黒目カラコン、自撮り禁止……数字を意識したデビュー戦略
渡辺は、アイドルシーンを騒がせ続けたBiSの奇襲的かつ破天荒な企画、プロモーションなどをBiSHでも実践した。
BiSHとしてユカコラブデラックス、モモコグミカンパニー、セントチヒロ・チッチ、アイナ・ジ・エンド、ハグ・ミィという5名のメンバーが決まってからもすんなりとそのビジュアルを発表するのではなく、黒目のカラーコンタクトを付けたアーティスト写真のみ公開(その見た目はまるでホラー映画『呪怨』シリーズに出てくる少年・佐伯俊雄や、ロックミュージシャンのマリリン・マンソンを彷彿とさせた)。アイドルがファンの心を引きつけるために必須となる自撮り写真の投稿も禁止され、Twitterのフォロワー数に応じてそれらの制約を外すなどした。
アイドルシーンではそれまでも、リツイート数などSNSの数字面で目標を設定して、それらが達成できたら「新曲発表」「解散中止」などのプロモーション方法をとることがあった。ただ、新しいアイドルグループとなれば、やはりビジュアルなどを華々しく披露することが主流。しかしBiSHのデビュー戦略の成功以降、それをモデルとするやり方がアイドルシーンのスタンダードのひとつになった感がある(それが良いか、悪いかは話は別だ)。
また、2016年9月にデジタル配信されたメジャーデビューアルバム『KiLLER BiSH』を配信開始日の9月5日のみ300円でダウンロード販売するなど、思い切ったリリース展開も積極的におこなった。こういった「数字設定」「拡散方法」はいずれも賭けでもあった。ただ、とにかくなりふり構わず大多数に聴いてもらうためにはどうするべきか、そして既存のメディアよりもSNSで話題になるにはどんなことをやった方がいいのかが、徹底的に意識されていたように思える。BiSHは、「地下」「インディーズ」ではなく、かなり広い視野を持って作られていたのではないか。
チッチ、アイナが語っていた渡辺淳之介の存在
楽曲やパフォーマンス面では、下ネタ上等でどんどん攻め込んでいった。男性器を連想させる曲や、性行為をあらわすワードも躊躇なく口にした。これらはBiSからの系譜でもあるが、そういった過激なイメージもファンをおもしろがらせた理由のひとつだろう。
そんななか、筆者がもっとも刺激的に思えたのは、2016年3月30日に大阪・BIGCATで開催されたアイドルイベント『IDOL ROCKS!~BOUQUET 1st Anniversary SPECIAL! in BIGCAT~』である。同イベントには、PassCode、BELLRING少女ハート(後のTHERE THERE THERES)、大阪☆春夏秋冬、MAPLEZという当時のアイドルシーンで特にハードな路線をいくグループが共演者として顔を揃えていた。観客から見れば「どうぞ暴れてください」と言われているようなメンツで、実際に会場内はそんな雰囲気が充満していた。
そんななか、トリで登場したBiSH。しかしステージへ真っ先に上がったのは、メンバーではなくプロデューサーの渡辺淳之介だった。渡辺は観客に「無茶な行為があったら音を止める」とピシャリと言い切った。それをフリだと思った観客が野次を飛ばすと、渡辺は「お前、ナメてんのか?」と真顔でキレた。
ちょうどBiSHはメジャーデビューを発表したばかり。これからもっと大きな会場でライブを実現させたり、より幅広い層のファンをつけたりするためには、それまでたびたび起きていたファンの荒々しいノリを抑える必要があったはず。真顔の渡辺を前に会場全体が静まり返り、緊張感が広がった。そんななかBiSHのメンバーがステージにあらわれた。披露した曲は、BiSの代表曲であり常に狂乱を巻き起こす「nerve」のカバー。「無茶な行為があれば音を止める」とクギを刺した上で「nerve」をいきなりぶつけ、観客を煽りながらも我慢を強いるそのセットリストはこれ以上になく挑発的だった。
渡辺はまさに仕掛け人である。そしてグループ初期の頃、メンバーはそういった彼の存在を強く意識していたところが印象深かった。グループ結成からメジャーデビューして間もない頃、何度かメンバーをインタビューしたが、セントチヒロ・チッチ、アイナ・ジ・エンドは「渡辺さんを超えたい」「渡辺さんのことを考えてしまう」という風に話していた。
あの手この手でいろんな起爆剤を放ち続け、ある意味、カリスマ的な支持を集めていた渡辺は、メンバーにとって頼もしい大人であり、身近にして最大のライバルだったのかもしれない。しかし活動が進むにつれて、BiSHの各メンバーはそれぞれの特徴がはっきり見られるようになった。グループとしてだけではなく、ひとりのアーティストやタレントとして際立っていった。良い意味で「BiSH=渡辺淳之介」ではなくなった。それは、メンバーがちゃんとグループを自分たちのものにしたからではないか。
ちなみにこれはまったくの余談だが、セントチヒロ・チッチ、アイナ・ジ・エンドの上記の発言を聞いたのは、『KiLLER BiSH』に収録される各曲のデモがあがってきたくらいのタイミングだと記憶している。彼女たちは取材後、筆者に「間違いなく良いアルバムになると思うんですけど、そのなかでもひとつ、本当にすごい曲があって。(音楽プロデューサーの)松隈ケンタさんのなかでも傑作だと思う。デモを聴いて泣いてしまいました」と話してくれた。そしてのちにリリースされたアルバムを聴いたとき、その曲が「オーケストラ」のことを言っていたのだと確信した。