ヨルシカの音楽画集『幻燈』を体験してみた “CDが付属しない”ユニークな作品が投げかけるもの
さて、そこからは繰り返しだ。次の「都落ち」を読み込んでみる。思わず夢中になって、続く「ブレーメン」「チノカテ」「雪国」と一気に進んでいった。音楽面でも今作は、繊細でみずみずしいアコースティックなサウンドが心地いい。楽器一つひとつの音の粒立ちがよく、音質としても申し分ない。
ちなみに、最初に開いた専用ページからは好きな絵(曲)を選べるため、たとえばいきなり「靴の花火」や「アルジャーノン」を再生することも可能。だがやはり、アルバムはこうして順番通りに聴いてこそ意味がある。ただ、こうやって一曲ずつ読み込むのは面倒だという人のために、アルバム全体を自由に聴くことができる機能もある。最初のページの「幻燈」を開き、カメラで表紙を読み取ると、全曲を自由に再生できるプレイヤーが開かれる。そこからはいわゆる一般的な音楽アルバムのように楽しむことができるのだ。だが、やはり一曲一曲、いや“一枚一枚”見て、聴いてこそこの『幻燈』の本当の良さを味わえるというものだろう。
一冊の画集から、様々な世界が飛び込んでくる。そう、“飛び込んでくる”という感覚に近い。もはや我々にとって欠かせないスマホという存在は、ある意味で自分自身の体の一部になっていると言っても過言ではない。そのスマホに、画集に込められた音楽世界が次々に飛び込んでくる。この感覚は新しい。
ヨルシカがこの画集で投げ掛けているもの
ヨルシカは、なぜこうしたユニークな作品を作ったのだろうか。その理由の一端を知ることができるのが、この画集に掲載されているn-bunaによる序文だ。そこで彼は、音楽が技術の進化によって得た便利さと引き替えに失った「唯一性」という側面について言及している。
これまでもヨルシカは、楽曲の世界観を再現した特典をCDに付属したり、小説を同梱したりと、音楽パッケージに対して挑戦的な試みを続けてきた。音楽がデジタルデータでやり取りされ、所有されず、ストリーミングで聴かれることが一般的となったなかで、ヨルシカは一貫して手に触れられる“物”とともに音楽が聴かれることにこだわってきたユニットである。そこにはヨルシカの時代に対するスタンスが如実に表れていた。
一方でこの『幻燈』には、音楽が実際に手に取った“物”から流れてくる感覚がある。それは画集そのものの重さや温度感、インクの匂い、ページをめくる時の音、指先と紙が触れ合う感覚など、あらゆる物理的な刺激を伴った体験で、データのやり取りだけでは決して得られないものだ。と同時に、それは確実にレコードやCDとも違った、スマホ時代だからこそのまったく新しい体験でもあるのである。これこそがn-bunaの予言する「唯一性」の恩恵なのではないだろうか。
この音楽画集が投げ掛けているのは、便利さを享受するがあまり我々が見失ってしまったものの大切さと、それと同じくらい重要な最新技術による感動なのである。
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