DEATH SIDE・ISHIYAのオーストリア/セルビアツアー記 肌で感じた、東欧パンクスたちの熱気

 そして翌日はセルビアだ。近年まで紛争地帯であった国であり、南部のコソボではいまだに緊張感の高い情勢が続いている。しかし全く知識がない国であり、ユーロ圏でもないために通貨も違えば言葉もロシア語に近い表記と感じられるセルビア語で、全く理解ができない。一緒にツアーを行う、オーガナイズしてくれたウィーンのRUIDOSA INMUNDICIAでさえ、セルビアでのライブは初めてだという。一体どんなところなのだろうか? 期待と緊張、ウィーンでのライブの余韻や時差などもあり、筆者は全く眠れずに翌日出発することとなってしまう。

 翌日のオーストリアからセルビアまでの移動は、車で約6〜7時間だという。東京から京都ぐらいの距離だろうか?しかしハンガリーを通らなければならず、ハンガリーとセルビアの2回入国審査がある。

 幸い筆者は車で爆睡していたために、寝ている間にセルビアに到着した。たまに起きたときに寄ったガソリンスタンドのショップなどでは、通貨がハンガリーのものでユーロが使えないことも多く、カードがなければ買い物すらできない。このあたりの感覚は日本で体験することができない貴重なものであった。しかし寝ていても通過できる程度だったということは、地続きのヨーロッパでは入国審査も簡単なのかと思っていたのだが、帰りにとんでもない目に遭ってしまう。それは後述するとして、初めて訪れるセルビアは、オーストリアよりも寒く感じ、函館に住む弁慶によると湿気が無いために寒く感じるという。確かに11月の終わりではあるが、東京の真冬ぐらいの寒さである。

 しかしこの日に、日本のハードコアパンクを創世記から牽引し続け、世界最古のハードコアパンクシリーズ GIGである『消毒GIG』主催でもあり、日本最古でありながら現役でもバリバリに活動していた日本を代表するハードコアパンクバンドのGAUZEが解散したという衝撃的なニュースが飛び込んで来た。

 RUIDOSA INMUNDICIAのメンバーにもGAUZE解散の事実を伝えると、かなりのショックだったようだが、筆者個人的にもかなりショックで信じられない思いを抱えたままセルビアに到着した。一体GAUZEに何があったのだろう……。

 今回のツアーでメインとなるセルビアのノヴィ・サドで行われる『TO BE PUNK FESTIVAL』は15年間続いているフェスであると、主催のイゴールが話してくれた。

 ノヴィ・サドでは、この『TO BE PUNK FESTIVAL』が始まる以前には、様々な音楽フェスはあったがパンクのフェスはなかったという。このフェスの最初の目的は、セルビアとその周辺国のバンドとの2日間のパンク/ハードコアの集まりを持つことだったが、毎年様々なバンドが出演するようになり、チケットも毎回低価格のフェスであるという。

 過去にはこの『TO BE PUNK FESTIVAL』に、PETER AND THE TEST TUBE BABIES、THE VIBRATORS、STUPIDS、SNUFF、G.B.H、COCKNEY REJECTS、COCK SPARRERなどの世界的なパンク/ハードコア/Oi!バンドが多く出演しており、そのようなフェスでメインアクトを務める大役だった。

 今回は2日間に渡って行われ、両日共に€12(約¥1700〜¥1800)という低価格で、両日合わせて11バンドの出演であり、会場もFABRIKAという700人収容の大きなクラブだった。

 このフェスには、主にセルビア、クロアチア、ハンガリーの観客を中心としたものであるのだが、今回はヨーロッパの様々な国々、オーストリア、イタリア、ギリシャ、ドイツ、ブルガリア、ハンガリー、ルーマニア、ロシア、クロアチア、ボスニア、マケドニアから多くの人間がやって来たという。初日には500人、そして DEATH SIDEの出演する2日目は600人の観客が押し寄せ、そのほとんどの人間がDEATH SIDEを観に来たと聞いて驚くばかりであった。

 『TO BE PUNK FESTIVAL』主催者のイゴールに、なぜ日本のバンドを呼ぼうと思ったのかを聞いてみると、ヨーロッパでは日本のシーンがリスペクトされており、日本からバンドが来ることをずっと夢見ていたという。ヨーロッパをツアーする日本のバンドはあまりいない上に、飛行機代などの予算の問題もあるため、今回は日本のアーティストのヨーロッパ進出をサポートしているEUジャパンフェストという所に連絡を取り応募したという。どうやらDEATH SIDEは、ヨーロッパのアンダーグラウンドシーンでは有名のようで、こうした支援が受けられる形となったようだ。

 こうしてセルビアで演奏できる機会を得たのだが、過去に日本のパンクバンドがセルビアで演奏したことは無いという。そしてDEATH SIDEが、初めてセルビアでライブをやる日本のパンクバンドだということを当日に知り「これは下手なことはできない」と、気合いが入る。

 楽屋ではフランスからきたスキンズバンドRIXEの連中がやたらと賑やかで面白い。フランス語、英語、スペイン語を操る彼らは友人も非常に多く、楽屋が盛り上がり始めると、海外のライブではお馴染みのケータリングによる出演者のための食事が用意され始めた。

 ウィーンでも食事と酒は用意してくれたのだが、こちらはフェスなだけあり、かなり豪華なケータリングで、もちろんヴィーガン(肉・魚・乳製品・蜂蜜などの動物性のものを、極力可能な限り食さない・身につけない・使用しない行動によって、動物の権利を守ろうとする人間)のための食事も種類が豊富なため、筆者は非常に助かった。

 ヨーロッパでヴィーガンは当たり前に認識されており、街中やレストラン、高速道路のガソリンスタンドと併設されるコンビニのようなショップやスーパー、空港の売店などのあらゆるところでヴィーガンフードが容易に手に入る。こうしたパンクバンドが多数出演するフェスでも当たり前にヴィーガンフードは提供、もしくは販売されている。こうした世界のスタンダードに、日本は全く及んでいないのが現実だ。様々な海外との交流が必要だと感じるならば、生活のために不可欠な「食」の部分は非常に重要である。食について日本は見直す部分が多すぎるので、今後必然的に課題として浮き彫りになるだろう。

 食事をしたり他のバンドと交流したりしながら出番を待っていると、会場内も人が溢れ出す。ビールなどの酒を買いに会場内のBARへ行くと、その度に写真を撮ってくれとせがまれるので、みんなが楽しみにしてくれているのがひしひしと伝わってくる。

 そして出番の時間が迫ってくるのだが、ちょうど同じこの日に、日本で急遽GAUZEのラストライブも行われるというではないか。

 日本のハードコアを牽引し続け、創成期から活動し続けてきたGAUZEの主催する「消毒GIG」への出演によってDEATH SIDEは知名度が上がっていった。ほかにも様々なGAUZEのライブのときに、いつも警備という名目でまだガキだった筆者を無料でライブに入れてくれたGAUZEがなくなってしまう。そんな日に「セルビアという国で初めて演奏する日本のパンクバンド」という重大さを背負う現実で、複雑な思いが入り混じった。

 そしていよいよ出番の時間がきた。前日2回のライブに、長距離の移動、時差ボケの治らない体調で非常に疲れてはいたが、全力を尽くす以外にできることはない。サウンドチェックが無かったために、本番前に行ったのだが、そのときに客席に行き曲の演奏を始めると、すでに客席は異常な盛り上がりを見せる。いくら「サウンドチェックだ!」とマイクで言っても、観客の思いは爆発している。

 すぐさまステージに戻り演奏を開始すると、会場内の観客全員が注目しているのが手に取るようにわかる。これがセルビアか!俺たちが日本のハードコアバンドだ!二度と来ることはないだろう、思いの全てを叩きつけるしかない。大盛況の中アンコールも含め14曲を演奏し、今回のツアーでの演奏は全て終わった。

 俺たちは日本のパンクバンドとして、セルビアにどれだけのインパクトを与えられたのであろうか? それはGAUZEが世界に与えてきた影響に及んでいただろうか? 複雑な思いが入り混じる中、終演後に主催者のイゴールへ「DEATH SIDEはどうだった?」と聞いてみると「GOOD!」と帰ってきた。

 自分の英語力やGAUZEや日本のハードコアパンクへの勝手な思いもあり「GOOD」では物足らないと感じたのは事実である。「AWESOME」や「GREAT」では無かったところが非常に心残りではあったが、後日のメールのやりとりでは非常に満足したライブだったと言ってくれた。

 これを機に、日本のパンクバンドがセルビアでライブが行えるようになれば頑張ってやってきた甲斐もあるというものだ。次回以降の『TO BE PUNK FESTIVAL』への日本のバンド出演を楽しみにしたいと思う。

 こうして今回のツアーは無事終了した。あとは帰るだけなのだが、メンバー5人のうち1人しかワクチン接種をしていないために、帰国のためのPCR検査をしなければならない。幸い1日オフ日を設けているので、翌日にウィーンに戻り無料の検査をやる予定になっていたのだが、ここでセルビアの複雑な過去の歴史によって、前日のPCR検査が受けられない事態になってしまう。

 セルビアからウィーンに戻るためには、ハンガリーとの国境を超えなければならないのだが、過去にハンガリーはセルビアとの国境を封鎖した歴史があった。過去の紛争やコソボ問題、近年ではシリア問題での難民が、大挙としてセルビアからハンガリーに入ってきたために、様々な問題があったようだ。そのため1台1台全ての車を調べるのでかなりの時間がかかってしまい、ハンガリーとの国境での入国審査に5時間以上かかってしまった。

 ヨーロッパを多くまわった経験のある弁慶でさえ「こんなのは初めてだ」というもので、東欧のユーロ圏ではない国々では、まだまだ解決されていない複雑な事情が山積みであり、日本や西側諸国との大きな違いを実感する経験となった。

 今回初めてと言っていいリアルな東欧を、ライブと共に街並みや文化、国境で感じられたツアーになったが、アメリカやヨーロッパの西側諸国とは違う独特の雰囲気があった。

 毎回海外を訪れる度に実感するのだが、世界は本当に広い。幸いにも筆者は、多くの友人たちや筆者のバンドを求めてくれる観客たちのおかげで、様々な国で演奏する経験を得られているが「世界」というものに出ていくことは、日本という国を理解するためには非常にいい経験である。世界の事実や現実を体験することで、自分の住んでいる日本という国が見えて来る。それが人生にとって、有意義なものであることは間違いない。是非チャンスがあれば、いや、無理やりチャンスを作り出してでも「世界」というものを体験することをお勧めする。

 最後に、今回全ての面でサポートしてくれたRUIDOSA INMUNDICIAとオーガナイズしてくれたドラムのゲオルグ、宿泊で素晴らしいホスピタリティで迎えてくれたベースのムンディと彼女のソフィー、『TO BE PUNK FESTIVAL』主催で、今回のツアーをできるようにしてくれたセルビアのイゴールに、心からの感謝を送ります。本当にありがとう。みんなまたどこかで会おう!

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