三上ちさこ、一人ひとりと想いを重ねた感動のステージ fra-foaやソロ初期曲を辿りながら届ける“ありのままの今”

三上ちさこ、fra-foa曲で届ける“ありのままの今”

 ひと口に“良いライブ”と言っても様々なタイプがある。演者のカリスマ性やスキルや演奏にただただ酔いしれるライブや、観客の心の奥底を掬い取るような共感性の高いライブ、キャリアのオールタイムベストのようなセットリストでアーティストの人生を垣間見るようなライブ……など。12月16日に下北沢CLUB Queで行われた三上ちさこのライブ『Re: Born 20+2 Anniversary Live 2nd -Final-』は、そうした要素を全て含みながら、セットリストが進むにつれて三上と観客の心がゆっくりと重なり合っていくーーそんな凄みと温かみが溢れるライブになっていた。

 コロナ禍で20周年(2020年)のアニバーサリーイベントが延期になったことで、2022年に入ってから精力的な活動を行っている三上ちさこ。ライブの充実ぶりは別記事で総括しているのでぜひ一読いただきたいのだが(※1)、この半年間で異なるコンセプトのライブを断続的に行ってきたことで、多様な表現力が露わになっただけでなく、“聴き手と心で繋がるために歌っているのだ”という、シンガーとしての軸となるアティテュードが目に見えて浮かび上がってきたように思う。しかもそれは“自分らしさ”に縛られてがんじがらめになってしまうと決して見えてこないものだからこそ、音楽や歌への向き合い方がますます柔軟になってきた証ではないかと感じるのだ。

 もちろんその要因としては、初のアコースティックツアー(『三上ちさこ Acoustic Live Tour 2022 “fuleru”』)や、キャリア史上もっとも幅広い曲が揃ったアルバム『Emergence』のレコ発ライブを2年越しに実現できたことなど、広がりのある活動を展開できたこともあるだろうが、一方で、fra-foaの2ndアルバム『13 leaves』のプロデューサーである根岸孝旨(Ba)ともう一度タッグを組んで楽曲制作するなど、原点も同時に見つめられたことが大きかったのではないだろうか。表現の間口をどこまでも広げてみることで、逆に変わらない“自分の軸”もまた見えてくるもの。そうやって自覚できた強みを決して手放すことなく、見事なパフォーマンスへ昇華していることこそ、今の三上が輝いている理由だ。

 まず、今回のライブを観ていて真っ先に感じたのが、約半年が経った現編成の“バンド”としての抜群の安定感である。平里修一(Dr)のカウント、西川進(Gt)のギターリフ、根岸のベースラインが重なったところに、三上のパワフルな歌声が乗って「TRAJECTORY -キセキ-」からライブの幕が開けると、「Parade for Destruction」では、2番でどっしりとテンポを落とした演奏を聴かせ、鋭さと揺らぎのある西川のギターソロも炸裂。「レプリカント(絶滅危惧種)」は、根岸のグルーヴに西川の歪んだギターが絡まり、音源以上にヘヴィでグランジ感の強いロックアンセムに生まれ変わっていた。こうした楽曲の印象が大きく変わるようなアレンジは、三上の伸びやかな歌唱力あってこそ成り立っているものだろう。

 続く、根岸のうねるようなベースラインと平里の小刻みなドラミングが先導していく「Break Your Shell」でも顕著だが、波に乗るように自在に声色を操る三上を見ていると、純粋にバンドの音を楽しんで、歌唱の可能性を広げていることがしっかり感じられた。「Red Burn」では、観客の名前を即興で歌詞に取り入れるスタイルがすっかり定着したが、「自分らしくないかなと思っても案外そんなことはない。何でもやったもん勝ち」というMCにも表れている通り、思い切って型にとらわれない表現にチャレンジしてみることで、届けたかったことが見えてくることもある。今の三上はそんな在り方を体現している存在だ。

 歪んだギターのイントロから始まり、メランコリックな歌を通して轟音の中で感情を吐き出す「解放区」、ステージ前方に乗り出すように力強く訴えかけた「望」は、fra-foa解散直後にリリースされたアルバム『Here』からの選曲。こうしたソロとしてのキャリア初期の楽曲たちが放つのは、劣等感や孤独に苛まれて他人の人生が羨ましく思えたりしながらも、最後は自分の道を生きていくんだという強かな決意であり、これまで懸命に歩んできた、あらゆる瞬間の自分自身に想いを馳せるような名演であった。ソロ1stアルバム『わたしはあなたの宇宙』収録のロックンロールナンバー「咲かない花」も含め、ありのままで突き進もうと自分に言い聞かせるように歌うこの時期の楽曲たちは、fra-foaから今の三上に至るまでの“もがき”を象徴する過渡期的な楽曲だと言えるだろう。それらもまた、現在に続く道を辿る中で、とても大切な楽曲たちだ。

 そして砂漠に登る太陽のように、真っ赤に照らすライトの下で、あのベースイントロが鳴り始めてライブは後半戦へ。三上が「音楽人生の出発点となっている曲」とひと言添えて始まったのは、fra-foaのデビューシングル曲「月と砂漠」だ。漂うような演奏の中で三上は、時に妖艶でゆらめくように、時に激しくシャウトするように圧巻の歌声を響かせていく。根岸、西川、平里が奏でるMy Bloody ValentineやThe Verveを彷彿とさせる轟音のアウトロもとにかく凄まじいのだが、その中で、まるで出口のない寂寞の大地で鎧を脱ぎ捨てるかのように、マイクスタンドを手に舞い踊る三上の姿が強烈だった。その後、例えば「blind star」ではストレートなメロディに乗ってポジティブな空気を充満させていったのだが、fra-foaの曲が持つこの振れ幅は、今の三上だからこそ、より堂々と歌いこなせるのではないだろうか。

 対して、その前後に披露された「夜とあさのすきまに」「crystal life」では、両手でマイクを握りしめ、まるで天に祈るかのような歌声を聴かせていく。その真骨頂が「青白い月」だ。西川が弾くアルペジオを合図にステージが青く照らされると、三上はまるで少女のように無垢な歌声をそっと響かせ、サビではそれを燃え盛る炎のようにたぎらせた。こうした純なる祈りのような歌唱は、きっと三上の原風景と重なっている曲でこそ現れるもので、記憶を一つひとつ紡ぎながら、語るような感覚で歌っているのではないかと想像する。先述した「解放区」や「望」と同じように、孤独だったかつての自分に手を差し伸べるように歌うことで、同じ境遇にある誰かのための歌になればいいーーそんな願いが観客の内なる想いと共鳴することで、この歌の中に描かれている悲しみ自体が救われているような気さえした。

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