大塚 愛、一生懸命でガムシャラだった19年 感謝を伝える『LOVE IS BORN』開催前に振り返る

大塚 愛、一生懸命でガムシャラだった19年

 大塚 愛が、9月11日に毎年恒例となるアニバーサリー&バースデーライブ『LOVE IS BORN ~19th Anniversary 2022~』を開催。同公演の模様が、WOWOWプラスにて独占生中継される。

 公演のタイトルにもあるように、9月でデビュー19周年を迎える大塚 愛。デビューから現在まで、多様な音楽表現でリスナーを楽しませ、シンガーソングライターとしての成長と進化を繰り返し確固たる地位を築いてきた。近年では代表曲「さくらんぼ」がTikTokを中心に再び注目されるなど、今もその人気は止まることを知らない。

 今年の『LOVE IS BORN』は3年ぶりに日比谷野外音楽堂にて開催、つまりは大塚にとってホームグラウンドとも言える会場にて行われる。この記念すべきライブを前に、ステージにかける思い、そしてデビューからの19年間で抱いた様々な感情を語ってもらった。(編集部)

色々なジャンルができる“オール3”を取るアーティストになろうとしていた

ーー『LOVE IS BORN』は、大塚さんの中でどんな位置づけのライブでしょうか。

大塚 愛(以下、大塚):懐かしい友人との集まりでもあり、「今年1年、ありがとね」っていう忘年会でもあり、「今年1年よろしくね」っていう新年会でもあり……要約すると感謝祭ですね。

ーー過去にはあっこゴリラさんやハラミちゃんやトミタ栞さんなど、世代が下のアーティストとコラボされたり、シングル全曲披露もありました。その時々で新しい試みに挑戦されてきた『LOVE IS BORN』ですが、特に記憶に残っている回はありますか?

大塚:一番強く残っているのは7周年のときですね。ダンサーの人数もすごかったですし、花道があって花火も打ち上げて、ストリングスもいて。演出が盛りだくさんで、まるでオリンピックのような感覚でした。もちろんライブに対する高揚感もありました。

ーー色々なドラマを刻んできた特別なライブですが、今年のテーマはなんでしょう?

大塚:19周年にかけて、一休みできるようなステージにしたいですね。コロナへの緊張や不安を抱えている日々で、みんな疲れていると思うんです。だからこそ、ちょっと一休みできる場所になったらいいなって。ライブを通して休んで、癒されて、元気を出してもらって。また、それぞれの日々に向かっていけるようなステージになればいいなと思います。

ーー今年はWOWOWプラスの生中継が入っています。映像をご覧になっている方に対しては、どのようなことを提示しようと考えていますか。

大塚:みんなが東京に集まれるわけじゃないですからね。お住まいの地域や仕事の事情で「行けない」となってしまうと、どうしても気持ちがクールダウンしてしまう。今回WOWOWプラスさんに入っていただけることで「今年は自分も参加できた」と感じてもらって、画面の向こうからでもファンの皆さんと繋がれたら嬉しいです。

ーー会場は3年ぶりとなる日比谷野外音楽堂です。

大塚:自然の演出がすごいんですよね。野外なので天井は空ですし、歌っている最中に虫の鳴き声が入ってくる。人工では作り出せない光の加減だったり音だったりが、曲のロマンチックさをより引き出してくれて、特別なムードになると思います。

ーー以前、野音で『LOVE IS BORN』を行なったときは、大塚さんが歌ったと同時に雨が止んだこともありましたね。

大塚:逆もありましたね! 雨の曲を歌っていたら、タイミングよく雨が降ってきて。特に、6周年のときは“ロック”がテーマだったので「ロックに行こうぜ!」みたいな感じで臨んだら大雨が降ってきて激しさが増幅された。それが視覚的にもすごく良かったんですよね。

ーー改めてメジャーデビュー19周年は本当にすごいですよね。

大塚:19年も続けられるなんて奇跡だと思います。2003年に『桃ノ花ビラ』でメジャーデビューしたときは「息の長いアーティストになりたいです」と言っていたものの、まだ考えが浅かったので「じゃあ息の長いアーティストってなに?」ってところまではイメージができていなかったんですよ。どこかで「そのときに考えよう」みたいなのもあって。実際、自分のビジョン通りにならないことが多かったから、その時々でストレスや苛立ちを抱えるよりは、今ベストを尽くしていく。そうしたスタンスで続けていたら、19年も経っていました。

ーー「こんなアーティストとして世に出たい」というイメージはお持ちでしたか。

大塚:最初に考えていたのは「存在してなさそうな人」だったんです。楽曲のイメージを毎回バラバラにして「この人、本当に自分で曲を作ってるの?」「この人は存在してるの?」と思われるのが狙いでした。だからソロではあるけど、複数の名前を使い分けて、ジャンルごとに作品を出したいと思っていたんですよ。そしたらavexの松浦(勝人)さんに「そんなことしないよ。大塚 愛で行くよ」と即却下されましたね(笑)。

ーー大塚さんが一躍有名になったきっかけは、2ndシングル『さくらんぼ』ですね。この曲ができたときの手応えは覚えていますか?

大塚:リリースしたのは21歳ですけど、制作をしたのは10代の頃だったんです。作っているときはそこまで名曲というか、ヒットするだろう、みたいな確信は持っていなくて。ただ、売れるために楽しいアッパーな曲が作れるようになりたい、作れるようにならなきゃダメだっていう意識でした。私の声がどちらかというと暗めだったので、アッパーな曲が似合う声も探さなくちゃいけない。ある意味、研究しているような感覚でした。

ーー「さくらんぼ」が優れた曲だと実感したのはいつ頃?

大塚:アレンジが完成したときですね。「あ、これは売れる。むしろ売れないんだったらもうダメだ」と思いました。

ーーレコード会社の方に「どうにかして、この曲を売ってください」と大塚さん自らが働きかけたそうですね。

大塚:「お願いだからタイアップを取ってきて」って、距離を近づけながらプレッシャーをかけました(笑)。スタッフの人に会うたび「タイアップの件、どうなりました?」みたいな感じで、何度も念押ししましたね。

ーーしかも、大塚さんの中でタイアップは『めちゃ×2イケてるッ!』(フジテレビ系)に決めていたとか。

大塚:私は『めちゃイケ』を観て育ったので、憧れも強かったですし、『めちゃイケ』のタイアップがつけば売れるって考えがあったんですよね。あとは『HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP』(フジテレビ系)に出て浜田(雅功)さんに頭を叩かれたら売れる。もはや、それがワンセットでしたね。

ーー読み通り「さくらんぼ」は「着うた」史上初の100万ダウンロードを達成し、『第46回日本レコード大賞』で最優秀新人賞を獲得しました。そして、3rdシングル『甘えんぼ』で可愛らしい女性アーティスト像を確立されましたね。そのときの心境はどうでしたか?

大塚:タイトルが「甘えんぼ」だし、あのときは「自分はこうしたい」「自分はこういう人間なんだ」とアピールするよりも曲に合わせて、曲のイメージを落とさないように生きていました。「甘えんぼ」という曲を出しているのに、すごいパンクな出で立ちだと曲の足を引っ張るというか、説得力がなくなってしまう。「甘えんぼ」のときは、そういう甘い格好をして、髪型も全部それに合わせる。自分がどうとかは、二の次でしたね。

ーーでも自分の考えだったり想いだったりを曲に乗せて「これも私なんです」じゃなくて「これが私なんです」と示すところからスタートするのが、アーティストなのかなと思っていて。

大塚:同じ方向性を貫くのであれば、そっちの方がいいと思うんですよ。だけど「大塚 愛と言えばこれだよね」ぐらいの突き抜ける実力も才能も自分にないと分かっていたので、1本で攻めるのは危険だと思って。幅広いジャンルができる“オール3”を取るアーティストになろうとしてました。

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