くじらが初の自身歌唱アルバムで向き合った“生活”や“生きること” 楽曲提供とフィーチャリングの違いも明かす
まだオリジナル曲を出す前のyama、Adoをフィーチャリングして発表した楽曲がスマッシュヒットし、yama初のオリジナル楽曲として提供した「春を告げる」の大ヒットにより一躍注目を浴びることとなったクリエイターのくじらが、8月17日に初の自身歌唱のアルバム『生活を愛せるようになるまで』をリリースする。
これまではボーカロイド作品や歌い手を迎える形で楽曲を発表してきた彼だが、今作では一転して顔を出し、自らの声で様々な楽曲を歌いこなしている。今まで「自分のやってきたことを肯定できた瞬間が一回もなかった」という彼が、生きることや生活に焦点を当て、日々への愛を歌い上げる姿が印象的だ。曰く「これからどれだけ落ち込んだとしても、このアルバムは自分を救ってくれる」という。そんな新境地とも言えるこのアルバムで表現したことや、今後について話してもらった。(荻原梓)
“生きる”ということに焦点を当てた背景
ーーアルバムが完成して率直に今の感想を教えてください。
くじら:完成できてよかったなと思います。なんとなく自分で歌うアルバムを作ろうという構想は昔からあったんですけど、どうすれば最良の形で世に出すことができるのかまでは分からなくて。このアルバムの制作を始めた頃にソニーミュージックさんにお世話になりだしたんですけど、それまでは本当にフリーで一人だけでやってたんです。アルバムを作るには人の力がかなり必要だと思ってたので、リリースまでのプロセスの違いとかにも戸惑いながら、ようやくここまで来れたなという感じですね。
ーー今の時代全部一人でやってしまう方もいるなかで、そうしなかったのはなぜですか?
くじら:自分で歌うとなると、ボーカルレッスンをしたいという気持ちが出てきたり、その先生やエンジニアさんを選んだり、一緒にその方達とレコーディングしたり、プレイヤーさんの座組みだったり……なかなか一人じゃできないことばかりなんですよね。一人で完成させられる範囲のものは前回のアルバム『寝れない夜にカーテンをあけて』ですべてやり切った感があったので、それを踏まえた上で、プロモーション含めて人の手を借りてやってみたらどうなるのかっていうのが今回のアルバムなんです。
ーーなるほど。ご自身が歌っているのもあって、今回のアルバムにはくじらさんの日々思っていることや根底にある考え方が、そのまま歌詞に表現されている印象を受けました。
くじら:ファンタジーとかフィクションのものを作り出すというよりは、本当に自分が見たもの感じたもの、見たままのことを嘘偽りなく、平易な言葉で、なおかつ綺麗に伝えられるように心掛けてます。ただただ思ったことをそのまま歌詞にしてる感じですね。逆に、他の方に提供する楽曲だったりすると、自分と相手それぞれのリスナーのこと、そしてアーティストさんご自身のことも考えながら制作する必要があるので、相手に歌ってほしいと思うものを書いたり、こういう曲調だったら僕とコラボする意味があるなとか、相手のリスナーさんも喜んでくれるだろうなと考えながら曲作りをすることが多くて。それはそれで楽しいし勉強にもなるんですけど、いざ自分が歌うとなるとその制約が取っ払われる感じがあるので自由に制作できます。なので、このアルバムではよりパーソナルなこと、より自分が自分を通して歌いたいこと、自分がくじらというアーティストに歌ってもらいたいことを書けたかなと思います。
ーー普段考えてることをメモしたりしてるんですか?
くじら:してますね。曲を書く時は始めに歌詞から書くんですけど、まずはメモ帳に書いてある中からフレーズを引っ張り出すんです。サビのワンフレーズだけ思いついて、そこから他を組み立てていったり、足りないパーツを探したり。たとえば「悪者」だったら出だしのフレーズを最初に思いついて、そこから最後まで一気に書き切りました。「四月になること」もそうです。
ーー〈ケタケタと笑う君の声が狭い部屋に響く午前3時〉(「悪者」)みたいに場所や状況が一発で理解できる歌詞は、くじらさんのソングライティングの特徴の一つですよね。「春を告げる」の〈深夜東京の6畳半〉もそうでした。
くじら:聴きながら頭の中で情景を再生できるような曲が良い曲だと思っていて。一度映像を想像させてしまえば、あとは単語の一差しで予想を裏切って切り返すことができたり、そのままクライマックスに持っていくことができたり、聴いている人をより曲の世界に没入させることができます。だからなるべく映像的な歌詞になるように心掛けてはいますね。
ーー他にくじらさんにとっての“良い曲”の定義があれば教えてください。
くじら:本を読んだり友達と喋ったりしてる時に、普段モヤモヤしてることを言語化されて「それだ!」ってなるのが好きなんです。音楽でもそういう体験は何度もあるので、自分もそういうことをさせたいですし、逆にそういう音楽を聴くと「やられた!」ってなります。
ーー最近だとどんな曲でそうなりましたか?
くじら:PEDROの「感傷謳歌」の〈生きていればいつかきっと/良いことがあるらしいが/良いことは生きていないと起こらない/やってやろうじゃないか〉というフレーズに「すっげえ……」ってなりましたね。アユニ・Dさんには自分も曲を書いたことがあるんですけど、ありえないぐらいのスケジュールで連日働かれてて、本当にすごいなと。そうやって努力が外にも伝わる人が、こういう言葉を歌ってくれることって本当に聴いてる人にとって力になると思うんです。これをアユニ・Dさんが歌うからこそ意味があるというか。
ーー言葉に説得力があると。
くじら:本人の生き様と歌詞がきちんと合ってるんですよね。それでいて自分の日常に落とし込める哲学が盛り込まれてたりすると「くぅ〜!」ってなります。そういうものを自分が作りたいと思ってるから尚更なんでしょうけど。
ーー今挙げていただいたフレーズもまさにそうだったんですけど、今回のくじらさんのアルバムの歌詞には〈生きる〉だったり、〈生ききれてしまった〉とか〈生き方〉〈生活〉など、“生”という字がほとんどの曲に登場するんです。くじらさんがこれほどまでに“生きること”を歌う理由は何でしょうか?
くじら:新型コロナウイルスが流行り出した頃、まだどういう病気かも分からないなかで急に体調不良になったことがあって。風邪だと思って2日寝ても全然治らなくて、咳も止まらないし悪寒も酷くて……本当に死ぬかもと思ったんです。人生で初めて“死”に直面したというか。そうしたら、まだやりたいことがたくさんあるなとか、自分って意外と生きたいんだなって感情が出てきたんです。それまでは死にたいとか、生きてても仕方ないなとばかり考えていたのに。
ーー“死”が近づいたことで“生”の感情が芽生えたと。
くじら:なので、今回のアルバムで“生きる”ということについてきちんと焦点を当てられたのは、その経験がきっかけでどう生きたいかとか、今後の人生をどうしていくべきかみたいなことを考えていたからなのかもしれないです。
ーーなるほど。ちなみにくじらさんって普段どんな生活してるんですか?
くじら:どんな生活してるんでしょう……(笑)。朝起きてご飯を食べて、曲を作るなり映画を観る日もあれば、朝からこうやって取材を受けたり。
ーー勝手なイメージですけど、昼夜逆転の生活とかはしてないですか?
くじら:昼夜逆転してたり食生活が不規則だったりするとアーティストっぽいですよね(笑)。でも基本的にはいつも朝8時に起きて、夜12時には寝てるんですよ。
ーー健康的!
くじら:はい、とても健康的で。少し前は夜遅くまで起きてることもあったんですけど、朝早く起きて夜早く寝た方が元気だし、作業効率も良くなるので、もう最近は夜更かしはしないですね。
ーー制作に費やす時間はどれくらいですか?
くじら:始まったら長くて、8〜10時間くらいは普通にあります。それまでは映画を観たり本を読んだりして、なるべく詞に使えそうなフレーズを溜めておいて、そろそろ溜まったなと思ったところで始めてみたり。音楽を聴いて面白いと思ったら自分で再現してみたりとか。朝起きて作業部屋に入って出たら夜になってた、みたいなこともありますし、逆に普通に生活してるなかで「来た!」と思ったら取り掛かってみたり。寝る前に思いついた時は書き起こさないと忘れちゃうので、そういう時は寝るのが深夜2〜3時になることもありますね。