DOPING PANDA、再結成ツアーを経て見えた景色 ロックシーンが移ろう中で新たに目指すバンド像を語る

 今年1月に10年ぶりの再結成を発表したDOPING PANDAが、東名阪のZepp会場を回る『∞ THE REUNION TOUR』を見事成功させた。四つ打ちダンスロックの先駆けとして2010年代以降の多くの後続バンドに影響を与えた彼らだが、オールタイムベストなツアーのセットリストを生で聴くと、3ピース編成から飛び出す幅の広い楽曲たちに改めて驚かされた。しかも、エネルギッシュでマジカルな演奏は健在どころか、再びバンドで音を鳴らす喜びに満ち溢れたようなフレッシュな輝きさえ感じられた。1997年に結成し、ロックの面白さと強度を研ぎ澄ませつつ、海外のバンドシーンとも共振するサウンドを鳴らしていた一方、その先鋭性ゆえにどこまでも異端児であり続けたDOPING PANDA。同世代のバンドたちが25周年のアニバーサリーを迎える中、再びシーンに舞い戻ってきた彼らは今、何を思うのか。ツアーの手応えや再結成して感じたバンドとしての変化、そしてこれからの未来に至るまで、ロックシーンの変遷も踏まえながらDOPING PANDAの3人に語ってもらった。(編集部)

10年ぶりという不安、ライブで得た自信

ーー再結成して『∞ THE REUNION TOUR』を回ってみた手応えはいかがでしたか。

Furukawa Yutaka(以下、Furukawa):1公演ずつ、1曲ずつ、1小節ずつライブがよくなっていく感覚がすごく気持ちよかったです。昔を思い出すっていうのとも違いますけど、お客さんやイベンター、スタッフからのライブの評判もよかったので、ツアーを通して当初の不安がどんどん消えて、自信に変わっていきました。

ーー不安というのは?

Furukawa:(再結成を)発表したときのリアクションがすごくて、本当に意外だったんですよ。それなりに待ってくれている人はいると思ってたんですけど、まさかここまでかっていうくらいの大きなリアクションだったので、それに応えなきゃいけない責任を強く感じていました。あとは、なんと言っても3人で演奏するのは10年ぶりですから。しかもいきなりZeppでのツアーだったので、見合う演奏ができるのかという不安も普通にありました。

Hayato Beat(以下、Hayato):僕は丸10年ステージから離れていたので、どういうツアーになるのか全く想像がつかなくて。名前もHayatoからHayato Beatに変えたんですけど、それは完全に以前の自分ではないっていう意味でもあるんです。稲葉隼人としてこの10年でマネージャー業も経験したからこそ、次にステージに立つときは新しい何かになるっていう感覚が強くあったので、そういう期待と不安が入り混じって変な緊張感がありました。

ーー昔に戻るというよりも、新しいことを始めるようなイメージでしょうか。

Hayato:そうですね。Yutakaが言う1曲ごと、1小節ごとによくなっていくというのは、僕としては人格が形成されていく感覚に近くて。自分が少しずつ“Hayato Beatになっていく”ような感覚だったんです。

ーーというと?

Hayato:昔はどういう叩き方が流行ってるかとか、技のことばかり考えていたんですけど、今一番意識しているのは“どういう気持ちでその曲に向かっていくか”ということなので、失敗も成功もあまりなく、その日ならではの音が出せることがすごく楽しいんですよね。本当にそのときしか出せない音ってあるんだなとつくづく思うし、ドラムって、演奏って人生が表れるんだなと改めて思ったので。ツアーの最初はふわふわしてたけど、そうやって演奏がよくなることで、自分がDOPING PANDAの中に入っていって、3人でバランスを取りながら落ち着いていくみたいな感覚でした。

ーーTaroさんはいかがですか。

Taro Hojo(以下、Taro):いきなりZeppなんて無理だろうと口に出して言った気がするし、ものすごいプレッシャーを感じながらツアーしていたので、ずっと緊張してました。お客さんとの相乗効果で演奏がよくなっていくこともあると思うんですけど、僕にはそこまで感じる余裕はなかったです(笑)。「やっと今日が終わった」というのが続いていく感じでした。

Furukawa:まあ一切弾けなくても2時間半経てばライブは終わるから。

Taro:だから2時間半後にどんな風に終われるかなってドキドキしてる感じ。ツアーが終わった瞬間はすごく解放感がありました。

Furukawa Yutaka

「戦ってきた歴史があるからこそ、幸せな再結成がある」

ーー10年間のインターバルを経て、改めてDOPING PANDAをどんなバンドだと認識しましたか?

Hayato:僕はYutakaがMCで言っていた「俺がダメでもタロティ(Taro Hojo)がいて、タロティがダメでもHayatoがいて、Hayatoがダメでも俺がいる」っていう言葉が印象に残っていて。最初から音楽でしか繋がっていない3人だったので、仲が悪いわけじゃないけど、普段から一緒に遊ぶような3人ではなかったんですよ。でも今回は、それぞれが期待に応えなきゃいけないプレッシャーを感じながら、音楽面だけじゃなく精神面でも無意識に助け合っていたんじゃないかなと思うんですね。Yutakaはロックスターだから、そういうことを以前は言葉にしない人だったけど、今はMCで普通に話すようになったし、それを観たお客さんも「3人とも楽しそうだな」「いい空気だな」と思って盛り上がってくれた気がするんです。

Furukawa:各会場のライブ映像を観ましたけど、人間味が出ていたと思います。昔はもっと人間味を削ってやっていたので。まあビッグマウスというわかりやすい人間味はありましたけど、それって“デカいこと言って他のバンドを攻撃して尖る”というシステムみたいなものだから。それよりも「この人はどんな人なんだろう?」ということを表現できたツアーになったと思いますね。昔のドーパンは、インディーズからメジャーになって「もう戻れないぞ」って思うと、どうしても強く出なきゃいけないと思ってた部分があって。「あのときドーパンが尖ってたのはキャラだったんですか?」とかよく聞かれるんだけど、それは環境とか性格とかいろんな要因が絡まってそうなっただけだったので、わからないんです。でも当時を思うと、今の3人はすごく自然な気がしますね。

Taro Hojo

ーーTaroさんもFurukawaさんにたくさんいじられてましたし。

Furukawa:ははははは。

Taro:そこも含めて自然な3人のままでやれました(笑)。

Furukawa:その“自然”っていうのと繋がるかわからないけど、Hayatoが「今のドーパンは求心力がある」っていう話をしていて、腑に落ちたところがあって。10年前の僕らって全く求心力がなかったんですよね。むしろブルドーザーとか除雪車みたいに、全部払い除けて更地を作ることがパワーになっていたバンドだったので、周りを受け止める包容力とか懐の深さは持っていなかった。今となっては蹴散らすのではなく、懐が深い方が最終的に人がついてきてくれるんだとわかったし、そういうことを若い頃からできるバンドが売れるんだなって思いました。ソニーのスタッフも、忙しい中こんなに観にきてくれるなんて10年前は考えられなかったですからね(笑)。1人減り、2人減り……最後は誰も観にきてくれなくなるという。

ーーそうだったんですか。

Hayato:僕はSMA(Sony Music Artists)にDOPING PANDAとして所属して、解散してからはマネージャーとしてSMAに就職したんですね。チャットモンチーのマネージャーをやってましたけど、スタッフがすごく楽しそうに仕事をしていて、それはアーティスト自身に「この人のために頑張ろう」って思わせる魅力があるからなんだなと。ギターの弦1本張るのでさえ、「橋本絵莉子のためなら丁寧に張ろう」って思える。無理するんじゃなくて、あくまで自然にそれができている必要があると思うんですけど、再結成したドーパンがそうなれているのがすごく嬉しくて。僕はマネージャー業を通して、当時のドーパンに一番足りなかったのはこれだなと思いました。

Furukawa:最後は本当に3人だけだったし、それでもいいと思ってたからね。

Hayato:そうやって突き進んだ結果、何もない更地だけが残ったという(笑)。僕はドーパンの華やかさを保ったままどんどん突き進んでいきたかったんだけど、それがなくなってしみったれていくのは嫌だったんですよね。続けられなくもないけど、泥水啜ってダサくなってるように見えるのは避けたくて、イメージを保ったままやめておきたくなったんです。

Furukawa:2010年あたりから僕らなりの正義として“フェスには出ない”と言い始めた矢先、2011年に震災が起きて、なんとなくバンドが先細っていくのを感じていたんですよね。もちろん個々で違うと思いますけど、そのタイミングになんとなく3人とも「そろそろ最後だね」と思った気がしていて。僕に至ってはPAを始めてましたから。バンドマンなのにPAをやるって意味わからないじゃないですか(笑)。そうやって歯車がだんだん狂っていったんだけど、3人とも「これが正しいんだ」って言い聞かせながらやってました。でも、そうやって戦ってきた歴史があるからこそ、今の幸せな再結成があるんだなと思うし、過去について反省はするけど後悔は絶対にしないって自分で決めているんです。

Hayato Beat

ーー解散は2012年でしたけど、ちょうどその直後からDOPING PANDAに影響を受けたバンドたちのシーンが一気に活性化しましたよね。そういう状況に対して、何か感じることはありましたか。

Furukawa:四つ打ちのダンスロックがフェスを席巻した時代ですよね。夜の本気ダンスとかがドーパンのファンだったと言って話しかけてくれたりしましたけど、僕らがやっていたことって厳密にはそういうダンスロックともちょっと違うんです。それ以降に流行ったバンドのBPMはもっと速かったと思うので。僕はソロになって四つ打ちじゃないこともたくさんやるようになったし、Hayatoはマネージャー業をやって、タロティは違うところでベースを弾くようになったから、若いバンドとは活動フィールドが全然被らなかったので、直接的に恩恵を受けることはなくて。でも、後続バンドたちがフェスのトリを務めるようになっていくのを見ると、「10歳以上も若いバンドたちが、始めたての頃からドーパンを聴いて第一線で活躍するようになったんだ」と思って嬉しさを感じることはありましたよ。

Hayato:個人的には再結成するまで、ドーパンを好きなバンドがこんなにいるんだってことすら知らなかったので、今一番実感できているかもしれないです。ドーパンって数字的にはそんなに売れてなかったと思うんですけど、その割に影響力があったのかなと思うとちょっと嬉しくなりました。昔は「もっと売れろよ」って思ってましたけど(笑)。

Furukawa:「こんなもんじゃねえだろ」っていうのは常に思っていたからね。

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