アーティストたちも意見を表明、各所で白熱した“ギターソロ”議論について考える
あくまで筆者の意見だが、「若者はギターソロを聴かない」説は印象論のように感じる。ロックというジャンル自体が、音楽の多様化と混淆によって相対的にポップミュージックの中心ではなくなっているという事実。それはヒットチャートを眺めれば一目瞭然であるし、今や「ロックフェス」がロックバンドの独壇場ではなくなっていることからもわかる。世界的な潮流の中で、日本の音楽シーンも打ち込みが増え、ブラックミュージックのグルーヴを取り入れた音楽性が散見されるようになり、フォーマットはロックバンドでも、影響源とする音楽はさまざまだ。そのため「ロックらしいロック」の居場所は縮小しているように思う。ミュージシャンもリスナーも多種多様な音楽に触れ、その中から自由に自分の好きなものを見つけている。
中にはもちろん、「ギターソロは億劫だから聴かない」という人もいるだろう。その一方で、ライブハウスやフェスでギタリストの見せ所に拳を上げて盛り上がっている人もいる。逆にいえば、「ロックだからギターソロ」という短絡的な思考ではなく、楽曲として何に重きを置くか、どこを聴かせたいかという作り手の意図によって取捨選択がなされているという話かもしれない。もちろん、全体的な傾向として曲は短く、すぐ歌に入るほうがリスナーにキャッチされやすい点は仕組みとしてあるだろう。そういった意味でもギターソロは、ずいぶんと前から「あって当たり前」ではなくなっているということだ。
ギターソロに限らず、重要なのは、“それ”が曲にとって必然かどうかだ。そして、必然的に鳴り響き、楽曲をより豊かなものにしているギターソロというのは今も間違いなく存在している。
本稿の最後に、筆者の個人的な趣味で選んだ曲をいくつか紹介したい。中にはギター「ソロ」なのかは微妙なものもあるが、少なくとも、ギターの音がエモーションを増幅させている曲たちである。
※2:https://www.afpbb.com/articles/-/3124147