松浦亜弥に続く“国民的ソロアイドル”、なぜ令和に不在? グループ優位になった背景を解説

“国民的ソロアイドル”が令和に不在の理由

ソロは長編小説、グループはオムニバスの短編小説

 グループの場合は、ひとりのメンバーが歌が苦手だったとしても、別のメンバーがそれを補うなど、誰かが誰かのフォローができる仕組みになっている。それはグループの大きなメリットだ。

 しかしソロは個人の総合力が試される。歌、ダンス、立ち振る舞い、特技などすべてを兼ね備えなければならない。しかもアイドルは単純なうまさだけではなく、ファンの感性に訴えかける魅力があるかどうかも重要になる。個人となると背負うものが多すぎるのだ。松浦亜弥が「アイドルサイボーグ」と言われていたのは、そういった完璧性を持っていたからだろう。

 加えて、現在のアイドルは成長過程のストーリー性も求められる。グループであれば、ひとりのメンバーが自分の一つの欠点を克服することで「成長」を印象づけられる。もし5人組であれば、その人数分だけ成長の物語が生まれるのだ。いわばバラエティに富んだオムニバスの短編小説のようなもの。

 しかしソロは長編小説である。5つの欠点があったとして、ひとつクリアしたとしても、まだまだゴールまで時間がかかる(ひとつずつ克服すること自体、十分にドラマチックなのだが)。様々なことがめまぐるしく起きる現在のアイドルシーンのなかで、瞬間的なドラマが生まれやすいのはグループである。トレンドの移り変わりが早い世の中において、ソロは長い目で見守る必要があるのだ。

アイドルはメンバーの数だけファンも多くなる

 ソロは育つまでに時間がかかる。それはアイドルを制作・運営する側にも影響を及ぼす。

 1990年代後半にモーニング娘。が登場して「アイドルの冬の時代」の突破口を切り開き、2000年代になると大所帯のAKB48が人気を獲得。以降も乃木坂46らの坂道シリーズ、ももいろクローバーZを筆頭としたスタダ系(スターダストプロモーション所属のアイドル)、モー娘。だけではなくアンジュルム(旧スマイレージ)なども輩出したハロプロ系(ハロー!プロジェクト所属のアイドル)、2010年代にはBiSH、PassCodeなども台頭。ヒットアイドル=グループの印象が強くなった。

 それらを鑑みてビジネスとしてとらえた場合、アイドルを制作・運営するならソロではなくグループへ傾くのも納得できる。

 筆者は数年前、大型アイドルイベントの関係者と話したのだが、そこでも「これは極論かもしれませんが、アイドルはメンバーの数だけファンも多くなるんです。だからアイドルを運営するとなれば、経営面では大人数のグループの方が可能性がある。イベントを企画する側も、儲けを考えた場合はそういったグループをブッキングした方が良い」との声を聞いた。その話を聞いて、ソロアイドルとしてやっていく難しさにあらためて気付かされた。

 今後、松浦亜弥のような国民的ソロアイドルは生まれるのだろうか。今はTikTok、YouTubeなど活動できる場所が多様になってきた。今後はそういったコンテンツ発の人気ソロアイドルが誕生するかもしれない。

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