くじら、シンガーとして切り拓いた新たな表現方法 デビューからの成長過程と今後の展望を語る
ボカロPとして2019年に活動を開始すると、「ねむるまち feat. yama」や「金木犀 feat. Ado」など様々なシンガーを迎えた楽曲で話題を集め、現在ではSixTONES、DISH//など様々な人気アーティストに楽曲提供を行なっているくじら。彼が4月より顔出しでの活動を解禁し、これまで軸にしてきた「ボーカロイド曲」や「フィーチャリング曲」に加えて、自身が歌唱を担当する「シンガーソングライター」としての活動を本格化させている。
また、デビュー曲「アルカホリック・ランデヴー」の投稿日となる4月1日には、過去の楽曲を再アレンジする毎年恒例の企画の一環で、3作目「Dance in the milk」のリアレンジ&セルフカバーバージョンを発表。続いて、この夏には初めて全編を自身の歌唱曲で構成した最新アルバム『生活を愛せるようになるまで』のリリースも予定されている。新たな活動をスタートさせた彼に、これまでの歩みや、その中で経験した自分自身の変化を聞いた。(杉山仁)
3年間の活動における3つのアンカーポイント
――くじらさんはこの4月1日で、デビュー曲「アルカホリック・ランデヴー」の初投稿から3年を迎えました。まずは率直な感想を教えてもらえますか?
くじら:本当に色んなことがあって、長かったような短かったような、濃密な3年間でした。たとえば、SixTONESさんやDISH//さん、yamaさんのような方々に楽曲提供の仕事をいただいたことは、当初のプランにはない予想外のありがたい出来事でした。ただ、僕は活動当初から「音楽で食べて行くにはどうしたらいいだろう」「ひとつの曲を皮切りに、自分の存在が求められていくとはどういうことだろう」ということをひとつずつ科学して、最終的にどうなりたいかを逆算して活動してきたので、自分の現状については、「まさかこんなことになるとは思わなかった」という感覚ではまったくないんです。「音楽でご飯を食べると決めた以上、こうなってもらわないと困る」というところには来られたのかな、という感覚です。
――yamaさんやAdoさんを筆頭に、様々なシンガーを迎えた楽曲も増えていきました。
くじら:yamaさんとの「ねむるまち」を出させていただいてから、少しずつ色んな方に聴いてもらえるようになって、色んな方と曲を出させていただきましたけど、自分は熱しやすく冷めやすい部分があって、前にバンドをやっていた経験からも「同じ人と組んでずっとやっていくことは避けたい」と思っていたんです。それよりも曲ごとに色んな方とつくることで、一緒に化学反応を起こしながら、自分の長所も見つけていきたい、と思っていました。
――方向性を決めずに、毎回色々な音楽性を試していったんですね。3年間の中で思い出深い出来事があれば、そのときのことを詳しく思い出してもらえますか?
くじら:まずはやっぱり、くじら名義での最初の曲「アルカホリック・ランデヴー」を思いついたときです。自分はもともと、他人と感じるものが違ったり、特殊な感性を持ったりしているんじゃないかと思って過ごしてきたんですけど、「アルカホリック・ランデヴー」は、「そんなことはないな。自分はまったくの一般人だったんだ」と気づいてから書いた曲でした。たとえば、渋谷や新宿のような場所でみんなで遊んだり飲み会をしたりして、そこから1時間ぐらいかけて家に帰るとき、すごく寂しい、孤独感が際立つような瞬間がありますよね。この曲は「その雰囲気に合う曲ってなかなか多くは見つけられないな」「僕がそう思うということは、結構な人がそう思っているんじゃないかな」と思ってつくりはじめた曲です。
――「アルカホリック・ランデヴー」は、くじらさんが初めて投稿した楽曲でもありますね。
くじら:自分はそれまでにも色々な活動をしていて、「くじら」という名義をはじめる前にすべての活動を辞めているので、「今回は絶対に失敗したくない」という気持ちが強くて、投稿前は緊張で震えていました。そこで、人生の中でもすごく仲がいい友達が鍋を用意して家に呼んでくれて、「大丈夫だよ」と(〈革命起こす幕開けの夜〉という歌詞が含まれる)MOROHAの「革命」を流してくれて、投稿ボタンを押したのをよく覚えています。
あとは、2つともアルバムのタイトル曲ですけど、「ねむるまち」(2019年の1stフルアルバム『ねむるまち』収録)と「寝れない夜に」(2020年の1st feat.&VOCALOIDアルバム『寝れない夜にカーテンをあけて』収録)が書けたことも印象的でした。「ねむるまち」は先にボーカロイド版をアルバムに収録していて、MVを投稿する際に「新しい形で聴いてもらいたい」と思ってyamaさんにボーカルをお願いしました。当時yamaさんはBINでの活動もあって、個人としても活動されていて純粋にファンだったので、「yamaさんに歌ってもらいたい」と思っていたんです。この曲が、自分の楽曲にボーカリストの方が参加してくれるきっかけになりました。
「寝れない夜に」は2020年の春、コロナが世に出はじめて間もない頃につくった楽曲で、当時はまったく家を出ない生活をしていました。そのとき、オンライン飲み会のし過ぎや運動不足などがたたって逆流性食道炎を併発してしまったんですが、自分ではそれが何か分からないまま「本当に死んでしまうかも」と思った瞬間があり――。それまでは、比較的“希死念慮”がある人間だったように思えるのですが、そのとき初めて「自分って、もしかして生きたいのかもな」「もっとああいうこともしたい。まだ生きていたい」と気づいて、自分の価値観が一歩進んだ感覚がありました。それを初めて曲にしたのが「寝れない夜に」です。この3つは自分の中でもアンカーポイントのように残っている曲です。
――同時に、この3年間の中でくじらさんがボーカルを担当する曲も増えていきました。
くじら:それこそ、「ねむるまち」などの話にも繋がるんですけど、この1~2年の間にyamaさんやAdoさんのような方々とフィーチャリングをして楽曲をつくっていく中で、「ボーカロイド」や「フィーチャリング曲」に加えて、もうひとつ表現の幅を増やせないかと思うようになりました。そこで、自分の歌を自分で歌うこともはじめよう、と思いました。これまでのスタイルをやめるわけではなくて、「より活動の幅を広げたい」と思ってはじめたものです。
――活動スタイルを変えるのではなく、新しい選択肢が加わった感覚なんですね。
くじら:そうですね。最初の曲の投稿日にちなんで毎年4月1日に行なっている「アルカホリック・ランデヴー」や「狂えない僕らは」「Dance in the milk」のような自分の曲のリアレンジ&セルフカバーの際に、段階的に自分のボーカルVer.を増やしていきました。新しいことをしながら、僕も聴いてくれるみんなも楽しめる合意点を見つけられるといいな、と思っています。
――誰かのために書いた曲と自分で歌うために書いた曲では、できるものは違いますか?
くじら:やっぱり、大分違うと思います。誰かと曲をつくるときは、相手の意思も尊重して、全員が最高だと思える一番いいポイントを探していく感覚ですが、自分でつくる曲は誰にも迷惑をかけないので、歌詞や曲調の自由度が高いんです。その結果、楽曲の幅が今までより広がったり、使える音数がこれまでとは変わってきたりするのかな、と体感しているところです。
――そうしたセルフカバーを経て、2021年の「悪者」では、相沢さんとくじらさんそれぞれのボーカルVer.や、小説での表現も加えたハイブリッドなリリースも行なっていました。
くじら:「こんなのはどうだろう?」「こんなのは面白いんじゃないか?」と新しいやり方を発明するのが好きなので、そういうものを組み合わせた結果が「悪者」になったんだと思います。