ORANGE RANGE、結成20周年を経て再確認した“沖縄”への想い 今だからこそ行き着いた次世代へのメッセージ

 昨年、結成20周年を迎えたORANGE RANGEがバンドの故郷である「沖縄」をテーマにした最新作『OKNW.ep』を2月23日にリリースした。まさにバンドのアイデンティティを再確認するような作品になったわけだが、はじめから「沖縄の作品を作ろう」という意図で作り上げたものではない。

 今年5月15日に沖縄本土復帰50周年を迎えるにあたり、NHK沖縄放送局の「本土復帰50年」テーマソングとして制作した「Melody」、1970年代の沖縄県コザ市を舞台にした映画『ミラクルシティコザ』主題歌に書き下した「エバーグリーン」、ほとんどのメンバーの母校である北谷(ちゃたん)高等学校で学生が踊る創作エイサーのために作った「フイリソシンカ」の3曲という、偶然にも同じタイミングで沖縄にまつわる楽曲の制作依頼が重なったことがきっかけで完成した1枚だ。

 改めて沖縄と向かい合うきっかけになったという今作について、NAOTO(Gt)、HIROKI(Vo)、YAMATO(Vo)の3人に話を聞いた。そこから浮かび上がるのは、想いや文化を未来につないでいくというメッセージだ。(秦理絵)

僕たちは“沖縄”をそんなに前面に出してこなかった(YAMATO)

ーー『OKNW.ep』は、改めて自分たちのアイデンティティに立ち返るような作品になりましたね。

HIROKI:意図的に計画したものではなかったんですけどね。

ーー沖縄にまつわる楽曲制作の依頼が重なったことで偶然生まれた作品というか。

HIROKI:そうですね。もともと地元愛は強かったけど、なかなかガッツリそれと向き合うことが少なかったんです。コロナ禍で単純に沖縄にいる時間が長かった時期に、偶然そういう案件がたくさんきて。狙ったわけじゃないけど、タイミング的にそうなったという感じですね。

NAOTO:過去にも沖縄テイストの曲はやってたんですけど、自分たちのアイデンティティも見直した上で楽曲制作に入ったのは初めてで。より強い芯のある作品になったのかなと思います。

YAMATO:僕たちは“沖縄”をそんなに前面に出してこなかったんです。いろいろなタイミングが重なって絶妙なものができたので、「そんなことってあるんだ」と思いました。

ーー「沖縄を出してこなかった」とおっしゃいましたけど、“ORANGE RANGEと言えば沖縄のバンド”というのはかなり認知されていると思うんですよね。

YAMATO:他の沖縄のバンドと比べると、そんなに出していないんですよ。BEGINさんがいて、モンパチ先輩(MONGOL800)がいて。他にもいろいろな沖縄のバンドがいますけど、そのなかではあまり沖縄っぽい曲をバーンとやってる感じはないんです。

ーーたしかに、いわゆる代表曲が沖縄の曲という感じではない。

HIROKI:そもそも沖縄をテーマに曲を作ることがあまりないんですよね。三線を取り入れることはありますけど、それもたくさんある楽器の中のひとつっていう感覚なので。

ーーただ、2018年の最新アルバム『ELEVEN PIECE』には「Ryukyu Wind」とか「Theme of KOZA」みたいな曲もあって。少しずつ沖縄の曲も増えてきてるように感じますけどね。

HIROKI:たしかに最近はそうかも。そう言われてみると、そのあたりの曲も今回のEPに入れるべきでしたね(笑)。その発想はなかったなぁ。

NAOTO:この取材を先にやっていたら、入れてたな(笑)。

HIROKI(Vo)

ーー今回は沖縄をテーマにした作品ということで、あえて聞きたいんですけど、そもそもORANGE RANGEが沖縄を拠点にしたままバンド活動をしてきたのはどうしてなんですか?

YAMATO:いろいろ理由はあるんですよ。自分のお家が好きとか(笑)。沖縄にいることで心がリラックスできるので、そこから仕事モードに切り替える方が、僕らはモチベーションを保ちやすかったんです。もし全員こっち(東京)に来てたら、もっとバンドは変わっていたと思うんですけどね。

ーー当時、珍しい選択だったんじゃないですか。ブレイクした若手バンドは東京に拠点を移すのがセオリーみたいなところもありますし。

HIROKI:このバンドの出発点として、「上京して音楽でのし上がろうぜ」みたいなモチベーションでやっていたわけじゃないんですよね。そこが目指す場所ではなかったから、自ずと上京するという選択にはならなかった。(メンバー同士で)「どうします?」っていう会議もしたこともないし。(スタッフに)「帰れますよね?」と言って(笑)。

NAOTO、YAMATO:そうそう(笑)。

HIROKI:「東京で何日仕事をしたら、いつ沖縄に帰れますか?」みたいなやりとりのなかで、スタッフも「あ、あいつらは沖縄に帰さないといけないんだな」って思ったんじゃないですかね。

ーー「のし上がろうぜ」がモチベーションじゃないとしたら、当時のバンドのモチベーションは何だったんですか。いい曲を作ろうとか、長く続けたいとか、そういうこと?

NAOTO:長く続けようなんて、最初の頃は思わなかったですね。ただ、自分たちで計画を立てるよりも、たくさん計画が進んでいたんですよ。正直、日々それをやることで精一杯というか。

YAMATO:当時はね。

HIROKI:最近の若いバンドってみんな器用だし、ちゃんと自分たちでプロデュースできるじゃないですか。すごいなと思います。でも、当時の僕たちは明日、明後日、1週間後のことをバタバタ精一杯やってたという。ありがたいことでしたけどね。

ーーNAOTOさんは一時期、東京に住んでいましたね。

NAOTO:そうですね。ガツガツした若さと興味もありましたから(笑)、あれもやりたい、これもやりたいという感じで、東京が楽しかったんですよ。刺激はたくさんありました。ただ、沖縄でやれていることのありがたみは年々増えてきているというか。ちょっとリフレッシュしたいときは、歩けばすぐに海があるので恵まれているし、それがいいなと思います。

NAOTO(Gt)

ーーもしかしたら、ORANGE RANGEが20年続いた秘訣のひとつは、沖縄にい続けたことだったのかもしれないですね。

HIROKI:それがなかったら崩れてたかもしれないです。

YAMATO:うん、たぶん崩れてた。

HIROKI:忙しいなかでもずっと沖縄に帰る時間だけは作っていたので。

バンドと沖縄というのは一緒なのかなって(HIROKI)

ーーここからは『OKNW.ep』の収録曲について、1曲ずつお話を聞かせていただければと思います。まず、1曲目「Melody」は、NHK沖縄放送局の「本土復帰50年」テーマソングへの書き下ろしですね。お話をもらってどう受け取りましたか?

NAOTO:難しかったです。こういうテーマに向き合うときって、確実な正解はないですし、自分の思想も出てしまうものなので。ちょうど1年前ぐらいに作ったんですけど、そのときにHYやBEGINさんが、過去に「本土復帰」に関わったときの映像を資料として見せてもらったんです。それで、改めて沖縄と向き合った歌を作ってみたいという気持ちも出てきたんですよね。メロディ自体は、話をした翌々日にはできていました。

ーー誰もが口ずさみたくなる素敵なメロディです。

HIROKI:そこは本当に意識しました。曲とメロディに我を出さないようにしたんです。そういうものを3パターン作って、ヤーマー(YAMATO)を呼んで、「子供からおばあちゃんまで、歌いやすい曲はどれだと思う?」っていう相談をして。癖が一番少ないものを選んでもらいましたね。

YAMATO:一緒に話をしながら、歌い手として思っていることをできるだけ伝えたんです。NAOTOは昔からリズムを重視して作る人なので、特徴的な曲が多いんですよ。例えば、リズムに対して裏拍にキメみたいなものが入るから、日本っぽくなくなっちゃう。でも頭(表拍)でないと、おばあちゃんは歌えないよって。わかりやすさ、聴きやすさ、歌いやすさがテーマの曲だったから、メロディ以外のものはできるだけ削る方向で整えていきました。

ーー「Melody」の歌詞を書く上では、改めて沖縄の歴史を学んだそうですね。

HIROKI:この曲を作る前、最初はみんなに受け入れてもらいたいっていう気持ちがすごく強かったんです。歴代のアーティストがやってきた曲と並べて遜色のないものを作らなきゃいけない。そういう重圧のなかでスタートしたんですけど、そのなかで自分たちのオリジナリティが自然と出てきたんです。そこに意味があるのかなって気づいたというか。

ーーこういうテーマだと、普遍性とか大衆性を意識してしまうけど、ちゃんと自分の気持ちを乗せることのほうが大事だと思えたんですね。

HIROKI:どちらかを無下にするわけではないですけどね。僕は見られ方ばっかり気にしてたんですよ。万人に届くようにって。だけど、自分の気持ちを乗せることも大切なんじゃないかなって思えた。その過程のなかで、もちろん沖縄の歴史も勉強しましたけど、それで全部がわかるわけでもないし、捉え方も人によって違う。だから、この曲を作ったことで、自分が自信を持って歌えるところに辿り着けたことに意味があったのかな、と思いますね。

ーーなるほど。

HIROKI:さっきNAOTOも言ってましたけど、答えのないものを作らないといけないから、最初はメンバー同士でズレもあったんです。そういうなかで、自分の気持ちを主張しながら、お互いの気持ちも尊重して、最終的にこの1曲にまとまったんですね。それは結局、沖縄の歴史問題と同じなのかなと思ったんですよ。考え方が対立する人間がいて、そこに答えはないけど、どうにか混ざり合って暮らしていく。バンドと沖縄というのは一緒なのかなって。

ーー違う人間同士が集まれば、それぞれの価値観も違うのは当然ですからね。

HIROKI:そうです。「お前、間違ってるよ」っていうわけじゃないんですよね。

NAOTO:沖縄の地域によっても考え方が違うんですよ。特に僕らの地元のコザは、(米軍)基地があるので本当に特殊なんです。だけど、僕らはそこの文化で育って、ライブハウスとかクラブで米兵が演奏しているのを見てかっこいいと思った。その文化が好きで音楽を始めたし、それが僕らのアイデンティティを形成してるものなんですよ。そういう文化が伝わればいいのかなとも思いました。

ーー想いや文化をつないでいくというのは、この曲の大きなテーマなんでしょうね。

YAMATO(Vo)

YAMATO:もういい年なので、いつまでも若手気分ではいられない。気づけばバンドも20年が過ぎていますし、次の世代に託していくようなことをしていかないといけないなとは思っているんです。僕らもいろいろな先輩たちの背中を見てきましたから。沖縄には今、必死で頑張っている子たちがいっぱいいるんです。そこにさりげなくバトンを引き継げるようなポジションでやってもいいのかなとは思いました。本当にさりげなく、「行こうよ、行こうよ」ぐらいの感じで引っ張れるようなポジションでいたいですね。

ーーそれは〈宛名のない贈り物に 気づいた時 涙こぼれた〉というフレーズに表れていると思います。YAMATOさんが言ったバトンが、〈贈り物〉というか。

HIROKI:直接的に血のつながりがある父ちゃん、母ちゃん、じいちゃん、ばあちゃんだけじゃなくて、いろいろな先人が作ってきたもののおかげで、今の世界があるんですよね。そういうことって、普段は考えずに生活するじゃないですか。だけど、今こうやって自分が生きていられるのは、そういった血のつながりもない人たちの苦労が脈々とつながっているからなんだろうなと思って、それを言葉にしたかったんです。今というのは、人間が生きてきたつながりですよね。

ORANGE RANGE – Melody(Lyric Video Short Ver.)

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