木下百花が世界に向ける明晰な眼差し 『生きるとは』で繰り広げた“愛”に満ちた世界

木下百花が世界に向ける明晰な眼差し

 木下百花という存在は、見る者の“視点”に揺らぎを与える。

 例えば、直近のシングルである「天使になったら」の木下自身が手掛けたアートワーク。インパクトの強いジャケットだが、細部には見る者の視点の流れを複雑化させる様々な仕掛けが施されている。イラストの天使(たぶん)が座るのは、“天使”という言葉が喚起する繊細で清潔なイメージからは一見かけ離れた、便器。背景となる部屋の写真は、よく見れば違った縮尺のものが切断されて重ねられており、写真自体はリアルであるにもかかわらず、どこか非現実的な質感を持っている。

 その中心で、裸で頬杖をつく天使は成熟しきっていない子供のような体つきをしており、股間は足組みで隠されていて、性器は見えない。私たちはこの天使の身体を直視していいのだろうか? いや、むしろ何故、私はそんなことを考えてしまうのだろうか?ーーそんな“問い”が頭の中を横切る。そうやって、私たちが普段から何食わぬ顔をして行っている“見る”という行為の奥にある様々な固定観念や思考の動きに、木下百花はメスを入れる。「自分は何を見ているのだろう?」「自分は何故、そこから目を逸らすのだろう?」ーーこうした様々な問いが、木下の表現に誘発される“見る”という行為の中には生まれる。

 では、このアートワークをどのくらい意識的に、戦略的に彼女が作り上げたのかと考えてみると、それはよくわからない。例えば、キスシーンが話題になった「悪い友達」や、皮肉的にピンク色のアイドル世界を映し出して見せた「えっちなこと」のMVなどはかなり戦略的に見る者の視点を翻弄していたと言えるが、「天使になったら」にまつわるビジュアルイメージには、そこまで戦略的な意図を感じない。それは、木下自身が監督を手掛けた「天使になったら」のMVも然り。このコラージュによって成型されたシュールな世界観は、彼女にとってはある意味、とても“自然”なものなのだろうという気もするのである。木下百花は外部から注がれる眼差しを翻弄するが、しかし反対に、当の木下自身はといえば、とても明晰な眼差しで、こちらを見ている。彼女は“在る”ものを“在るがまま”に受け止め、そしてまた、動物や植物がその命の複雑さを率直に謳歌しているように、この世界や人間の複雑さを、複雑なままシンプルに捉えているように感じるのだ。

 そんな彼女の“複雑なシンプルさ”とでもいうべき魅力は、“ライブ”という現場においてはとてもユーフォリックな景色になって表れる。2月13日に恵比寿LIQUIDROOMで開催されたワンマンライブ『生きるとは』も、まさにそういうものだった。“生誕祭”とも銘打たれた今回のワンマンは、2月6日に25歳になった木下の誕生日を祝うものであり、誕生日当日の2月6日には、梅田Shangri-Laにて同タイトルのワンマン公演も行われていた。

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