ピーター・バラカンが語る『ウエスト・サイド・ストーリー』 ミュージカルは苦手でも……

 リアルサウンド映画部のオリジナルPodcast番組『BARAKAN CINEMA DIARY』が配信中だ。ホストにNHKやTOKYO FM、InterFM897など多くのラジオ放送局でレギュラー番組を持つディスクジョッキー、ピーター・バラカン、聞き手にライターの黒田隆憲を迎え、作品にまつわる文化的 ・政治的背景、作品で使用されている音楽などについてのトークを展開している。

 第11回で取り上げた作品はスティーヴン・スピルバーグ監督作『ウエスト・サイド・ストーリー』。「ミュージカルは苦手」と語るバラカンは本作に何を感じたのか。スピルバーグ監督の過去作への言及も交えながら、本作の楽曲・舞台背景などについて語っていく。今回はその対談の模様の一部を書き起こし。続きはPodcastで楽しんでほしい。(編集部)

1940年代後半から1950年代のウエスト・サイドの背景

ピーター・バラカン(以下、バラカン):今回取り上げる映画は『ウエスト・サイド・ストーリー』です。

黒田隆憲(以下、黒田):スティーヴン・スピルバーグ監督がリメイクした作品ですね。

バラカン:昔の『ウエスト・サイド物語』の監督は、ロバート・ワイズ(&ジェローム・ロビンズ)でしたね。

黒田:バラカンさんは『ウエスト・サイド物語』もご覧になりましたか?

バラカン:かなり昔に観ました。その後もテレビで映画のワンシーンが紹介されたときなど、数分単位で観たことはあると思うんですが、全編通して観たのは1回だけかもしれません。大雑把に言えば、シェイクスピアの『ロミオとジュリエット』を、20世紀のニューヨーク・マンハッタンのウエストサイドに置き換えたという話ですね。

 今回のスピールバーグ監督の作品のド頭のシーンで、リンカン・センターの絵が一カ所映るんですが、そこで「あ、こういうことだったのか」と思いました。というのも、今のウエスト・サイドはすごく洗練された綺麗な街ですが、昔はスラム街のような場所だったんです。黒人やプエルトリコ系の人たち、カリブの人たちが大勢住んでいる地区だったんですが、1940年代後半から1950年代にかけての再開発で古いアパートがどんどん壊され、町の住民が立ち退きを強制された場所が多かった。取り壊された建物の代わりに建ったのがリンカン・センターなんです。だからそういうバックグラウンドでこのストーリーが展開しているということを、冒頭のシーンで初めて意識しました。

黒田:それで言うと、僕は『ALWAYS 三丁目の夕日』と似た印象を受けました。あの映画は、高度成長期で日本がどんどん再開発されて東京タワーなどが建っていく中で、まだ貧乏だけどこれから豊かになっていくぞというエネルギーに満ちた町が舞台になっていましたね。

バラカン:きわめてよく似た状況だったんだろうと思います。そういった貧しい街の中で、白人のギャングと主にプエルトリコの若者たちのギャングが縄張り争いをしているという状況も、当時のニューヨークではありがちな話です。ある意味でリアリスティックな部分をバックグラウンドにして、白人の男の子とプエルトリコ系の女の子という、普通ならありえないラヴ・ストーリーが展開する。元々のシェイクスピアの方も似たような状況なんですが、これが大ミュージカルなわけです。

 『ウエスト・サイド物語』は、元々1957年にブロードウェイでミュージカルとして上演され、1961年に映画化されましたが、約60年前と今でどんな違いがあるのか。いくつか読んだレヴューの中で多くの人たちが批判していたのは、民族に対する認識のなさでした。『ウエスト・サイド物語』では、プエルトリコ系であるマリア役を、白人であるナタリー・ウッドが演じていたんですね。まぁ人々の意識が変わる前の作品だから、今指摘しても仕方がない気もしますが。今回のスピールバーグ監督は、その辺のことも意識しているようです。ただ、今回のトーニーとマリアはちょっとアイドルっぽいので、可愛いけどあまり深みがないところも若干ありますね。マリアのお兄さんの恋人であるアニータがこの映画の中で一番かっこよかったです。存在感も強いし。

黒田:後半はかなり重要な役どころを演じていましたね。

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