『紅白歌合戦』でのまふまふカバーも話題 「命に嫌われている。」を生んだ新鋭ボカロP カンザキイオリの魅力

 カンザキの生々しい歌詞は、VOCALOIDとの相性がいい。VOCALOIDという、生死に関与しないバーチャルな存在がこの歌詞を歌うことで、どこかエグみが軽減されるからだ。VOCALOIDの声色を調声して人間の歌声に似せることも可能だが、カンザキは、VOCALOIDならではの機械感を残したまま音色を作ることが多い。人間のドロドロとした感情を機械的に歌うというギャップが、歌詞とボーカルの距離感を広げ、どこか淡々とした歌が聴きやすさを生んでいる。

 また、MVでも歌詞が強調されているのが特徴だ。カンザキの楽曲のMVは、縦スクロールする画面に淡々と歌詞が表れるものや、原稿用紙に歌詞が記されるアニメーションなど、文字を基調にしたシンプルなものがほとんど。文字が持っている意味や力、そこから想起されるものに解釈を委ねるという描き方をしている。文字量の多い歌詞は小説のような特徴を持っているため、リスナーは物語を読んだような没入感と満足感を得ることができる。

 以上のような魅力を持つカンザキの楽曲の中でも、「命に嫌われている。」は多くの歌い手にカバーされ知名度を伸ばしてきた。YouTubeのコメント欄でも「この曲を聴いて励まされた」という人は多く、〈誰かを嫌うこともファッションで〉や〈生きる意味なんて見いだせず 無駄を自覚して息をする〉の歌詞は、大小の生きづらさを抱えながら日々を過ごすリスナーの共感を呼んだ。歌詞の大部分が皮肉や自虐のようなニュアンスで構築されていながら最後には〈それでも僕らは必死に生きて〉〈生きろ〉と弱さを抱えながら前に進もうとする歌詞も多くのリスナーの背中を押した。

 VOCALOIDが歌うことで歌詞の魅力を逆説的に引き立てるのは先に記した通りだが、だからこそ人間のボーカリストがカバーする面白さも感じられる。Aメロ、Bメロに対して勢いのあるサビは高音域にまで広がって盛り上がり、〈生きろ〉と繰り返す終盤は感情を込めやすい。そのため原曲の模倣にとどまらない歌い方ができ、人によって表現は大きく異なるため同曲のカバーを聴き比べるだけでもその違いを楽しむことができる。

命に嫌われている(「不器用な男」Live ver.)/ カンザキイオリ

 カンザキイオリは2021年6月からシンガーソングライターとしての活動を始動し、7月にワンマンライブ開催、8月には「命に嫌われている。」「あの夏が飽和する」のセルフカバーも収録したアルバム『不器用な男』をリリース。カンザキの歌声はとてもピュアで、純朴な青年像をイメージさせる。そのてらいのないストレートな歌声が、切実にメッセージを訴えてくる「命に嫌われている。」は、制作者だからこそ導き出せる一つの正解を感じさせるものだ。2022年以降、音楽クリエイターとしての制作に加え、シンガーソングライター カンザキイオリとしてどんな歌を届けてくれるのかにも期待の目が向けられている。

 そして最後に、『紅白歌合戦』で「命に嫌われている。」を歌うことが決まっているまふまふは、10年以上歌い手として活動するベテランだ。中性的な歌声に定評があるほか原曲へのリスペクトも深く、ボカロカルチャーを新たな形でお茶の間に届ける存在としてふさわしいと言えるだろう。そんなまふまふが『紅白歌合戦』の場でVOCALOID曲として名高い楽曲をどう歌い上げるのか、目が離せない。

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