『BARAKAN CINEMA DIARY』

ピーター・バラカンが語る『サマー・オブ・ソウル』 映画で描かれた、1969年のハーレムとブラック・カルチャー

 リアルサウンド映画部のオリジナルPodcast番組『BARAKAN CINEMA DIARY』が配信中だ。ホストにNHKやTOKYO FM、InterFM897など多くのラジオ放送局でレギュラー番組を持つディスクジョッキー、ピーター・バラカン、聞き手にライターの黒田隆憲を迎え、作品にまつわる文化的 ・政治的背景、作品で使用されている音楽などについてのトークを展開している。

 第6回で取り上げたのは、現在公開中の映画『サマー・オブ・ソウル(あるいは、革命がテレビ放映されなかった時)』。スティーヴィー・ワンダーやB.B.キングらブラック・ミュージックのスターが集結し、30万人以上が参加した『ハーレム・カルチュラル・フェスティバル』の模様を切り取った本作について、バラカンがその魅力をたっぷりと語っている。

 今回はその対談の模様の一部を書き起こし。続きはpodcastで楽しんでほしい。(編集部)

ブラック・ミュージックに興味のある人だったら、見ないわけにはいかない映画

ピーター・バラカン(以下、バラカン):『サマー・オブ・ソウル(あるいは、革命がテレビ放映されなかった時)』は、数カ月前に試写会で観て、ものすごく興奮しました。『ハーレム・カルチュラル・フェスティヴァル』は、1969年にニューヨークのハーレムにある、マウント・モリス・パーク(当時の名称)という広い公園で行なわれたフェスティヴァルで、6回のコンサートに合計30万人が集まったそうです。映像を見ると、家族連れや近所の人たちが集まってワイワイしている雰囲気ですね。音楽的には、ポップ、ジャズ、ゴスペル、ブルーズ、ソウルなど、ブラック・ミュージックの中の様々なジャンルが次々と出てきます。

 プロモーターは、トーニ・ロレンスというハーレムに住んでいたアフリカン・アメリカンです。マーティン・ルーサー・キングが暗殺された1年後、ブラック・コミュニティは相当荒れていたので、“もう一度みんなで集まって一つになろう”という思いを込めた文化祭を開催することにしたそうです。彼はニューヨークの市長まで巻き込んで色々なところから資金を集め、さらにフェスの模様を全て撮影して、どこかのテレビ局に売ろうとしていたようですが、意外なことにどこも買わなかったんです。50年以上眠っていた映像を、今回映画に仕立てることになり、その監督役を引き受けたのが、The Rootsのドラマーであるクエストラヴです。彼は初めて日本に来たときに、バーかなにかでこのフェスの映像を見ていたようですね。そして、その20年後に映画のオファーがあり、改めて映像を見た途端に「これは20年前に日本で見たものと同じだ」とわかったそうです。それで監督役を引き受け、2時間の映画にまとめたわけですね。

黒田隆憲(以下、黒田):バラカンさんは、この映画のどんなところに価値を感じていますか?

バラカン:1969年は、『ウッドストック・フェスティヴァル』も含め、ポピュラー音楽の大きな転換点の一つです。一つのフェスティヴァルをこのように映画で取り上げると、「あれもこれも、全部同じ時に起こっていたのか」とわかるので、当時のブラック・ミュージックがどのような発展の途中にあったのかが感覚的に掴めます。ブラック・ミュージックに興味のある人だったら、絶対に見ないわけにはいかない映画ですね。でもそういうことを考えずに見ても、十分楽しい映像が次々と繰り広げられます。

 最初に出てきたのは、The Chambers Brothers。彼らは黒人グループですが、白人のメンバーもいて、ちょっとサイケな感じもあるので、普通のソウル・ファンには未知数だったんじゃないかな。その後に出てくるB.B.キングは、1969年には比較的ヒット・アルバムを出していましたが、このフェスの客層は、すでに40代半ばだった彼らよりも若い人たちが多いんです。だから、B.B.キングが一生懸命ブルーズをやっているんですが、お客さんの中にはちょっと白け気味の若い人たちもいて、「なるほどな」と思いました。1960年代の半ば以降、ブルーズという音楽は、親や祖父母世代の音楽で、率先してブルーズを聴こうという若い黒人はあまりいなかったようです。一方で、中年女性がノリノリでB.B.キングを聴いているシーンもあります。客席が映ると、それぞれの出演者がどのようにウケているかがよくわかって面白いですね。

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