櫻坂46、3rdシングル表題曲「流れ弾」が説く“愛”の大切さ 「サイレントマジョリティー」などにも通ずる力強い姿勢
何か目立つことをすると、すぐさま晒されるようにして非難を浴びることもある現代のネット社会。タイトルの「流れ弾」が意味するように、本来の標的以外にまで被害が及ぶことも少なくない。そうした世の中では、誰も何も言いたいことを言えなくなっているとこの曲は指摘する。そしてこの曲は、最後に皮肉めいた終わり方をして幕を閉じる。誰もが“流れ弾”を恐れて家に籠った結果、街から銃声が消えたのだ。
「飛んで来なくなった流れ弾 窓の外なんか見ちゃいない」
「週末の夜の街にも銃声は聞こえない」
訪れたのは、“流れ弾”を恐れるがあまりそれぞれが自分の家に閉じ籠り、人と人とが見つめ合うことをしなくなった世界。銃声はもちろんのこと、窓の外を見る者すらいなくなった世の中だ。激しさの中にもどこか歌謡曲的な悲哀〜哀愁のあるメロディや、一旦終わるように見せかけて再度始まるエピローグ的な展開を見せる構成は、このラストの“落ち”への伏線のように機能している。
つまり、人々が口を閉ざした状況でも“流れ弾”を恐れず語り合い、言いたいことを言えるような存在でありたいとこの曲は歌っている。それはまさに彼女たちが改名前、「サイレントマジョリティー」や「不協和音」といった作品を通して訴えかけてきた力強い姿勢に通ずるメッセージだろう。
しかし、そうした過去曲と「流れ弾」が異なるのは、そこに「愛がなくちゃ」と歌っている点である。確かに人々が言いたいことを好き勝手に言い合ったとしても、そこに“愛”がなければ結局お互いに傷つけ合って終わるだけ。それでは“流れ弾”が飛び交っていた状態とほとんど変わらないのだ。言いたいことを言おう。でもそこに“愛”がない限り人々はまた黙ってしまうよ、と。その意味で今作は、過去の作品の姿勢を貫きつつ、それが孕んでいたある種の“欠陥”への反省を踏まえた一曲と捉えることができる。
全国ツアーの開催も決まっている櫻坂46。改名を経てひと回り成長したこの最新曲が、どんなダンスになるのか、どんなMVになるのか。そして、どんな演出をライブで観せてくれるのか。今後のクリエイティブ面の展開も注目したい。