細野晴臣、アメリカンルーツミュージックへの憧憬 Harry & Mac『Road to Luisiana』から『あめりか』に至るまで
レコードに針を落として、「Night Shade」の沈み込むようなニューオリンズ・“Gris Gris”・グルーヴをひさびさに喰らい、大きく息を吸った。Harry & Macの『Road To Louisiana/ルイジアナ珍道中』のアナログ盤を大きな音で聴き直した率直な印象は「溺れそう」だった。音楽のるつぼに。
オリジナル発売からは22年が経ってのリイシュー。当時、一度はアナログとして発売されているが当然ながらとっくに入手困難盤なので、こんなうれしい話はない。それに、むしろミレニアム直前の浮かれた気分があった当時よりも、トランプ政権や新型コロナウイルス禍を経た今、このアルバムに宿った漆黒の妖気はそれこそ稲光みたいに感覚をとらえてくる。
“ハリー”こと細野晴臣と“マック”こと久保田麻琴の二人が長年の縁を持つことは彼らのファンには周知の事実。1970年代半ば、当時まだ20代だったふたりが見果てぬ音楽を求めてレコードを聴き漁り、夢を見て、研究して、思い切って足を運んでつかまえようとした音楽の奥地で鳴る音。LA、ハワイ、ニューオリンズ、沖縄……とその探索と発掘は時代も国境も超えて広がっていった。
1975年6月に細野が発表した2ndソロ作『トロピカル・ダンディー』は、続く『泰安洋行』(1976年)『はらいそ』(1978年)を含めて“トロピカル三部作”と称されているのは有名だ。だが、1975年という同時代性に焦点を当てれば、細野と久保田が共同プロデュースにあたった久保田麻琴と夕焼け楽団『ハワイ・チャンプルー』(1975年11月)が『トロピカル・ダンディー』と並び立つ“トロピカル宣言二部作”として浮かび上がる。二人の遭遇は、後世に与え続けている影響から見ても間違いなく“事件”だった。
1999年、二人が再び音楽の旅でアメリカを訪れるにあたっては、アルバムの邦題『ルイジアナ珍道中』が鍵だったと思う。90年代の細野はアンビエント音楽が誘う内的な世界に深入りしていた。そんな細野をもう一度アメリカ旅に連れ出すにあたっての殺し文句が、久保田との“珍道中”だったのではないか。ビング・クロスビーとボブ・ホープのコンビで1940年代から何本も製作されたハリウッド映画の『珍道中』シリーズは、少年時代の細野にはコメディ/エキゾの両面で大いに刺激になっていたはずだから(細野の「HURRICANE DOROTHY」はシリーズのヒロイン、ドロシー・ラムーアに捧げられている)。
東京、LA、ニューオリンズの3カ所で行われたレコーディング。楽曲にはハワイやチャイナタウンの空気やアメリカのホーボー(放浪者)たちの気分もにじむ。細野のメインボーカル曲は「Night Shade」「Choo Choo Gatta Gotta ‘99」「Pom Pom Joki」3曲と多くはない。だが、あらためてこのアルバムの“道中感”に気をつけながら聴き直すと、それもまたいいバランスなのだ。歌や演奏の比重は違っても、両者の関係はイーブンに補完し合っていると再認識した。長いドライブの間ポツポツと打つ相槌が運転を助けるような、気の置けないサポートが歌や演奏からも伝わってくる。
「場所を用意しました。ガース・ハドソン、ジム・ケルトナーら大物も参加します。さあ録音しましょう」という無駄を排したお膳立てではなく、距離と時間をかけて、出会って、空気を吸って、人と混ざって、音楽を飲み干すという、律儀なほどの過程が音から見えるのもいいところ。つまり、音楽の旅の“道中”がちゃんと作品になっている。細野と久保田の作る音楽が離れて聴こえる時期があったとしても、会えばこうしていつもウマが合うのは、音楽で旅をする方法が最初から通じ合っていたからだろう。