野田あすか、みずから進んで開けたポップスのドア 「ココロノイロ」は“誰かとしあわせになる”音楽へ

 昨年の今頃だろうか、コロナ禍の無聊に任せてYouTubeを繰っていたとき、偶然野田あすかの「生きる。」というピアノ曲を耳にした。キタキツネの写真でナショナル・ジオグラフィック誌で日本人初のNo.1に輝いた写真家・井上浩輝と共に北海道を訪れた彼女が、そこにいる野生動物の姿に心を動かされて作ったという。両者がコラボしたMVの愛らしい動物たちに誘われ、いつしかそのピアノの音色に聴き入った。

野田あすか - 「生きる。」

 「生きる。」のメロディや和声は、演奏技術に頼るとかそれを誇るといったものとはまったく無縁のシンプルさ。凛としながらもけっして孤高ではなく、こちらの心にスッと滑り込むような無垢なパワーを持っている。このピアノ、好き! と瞬間的に思ったその感覚は、アンドレ・ギャニオンの『静かな生活』に初めて触れたときに感じたものと似ていた。クラシックをベースとしながらも、もしかしたら本人も気づかぬまま、ポップスへの憧憬のようなものを持っている人ではないかという気がしたのだ。MVでなにより印象的だったのは、ピアノを弾き終えた野田の少しはにかんだようなしあわせそうな表情だった。

 興味の向くまま、2018年リリースのアルバム『哀しみの向こう』に耳を傾けた。ドビュッシーやラフマニノフの曲と野田自身のオリジナルのピアノ曲が分け隔てなく並ぶその作品は、時に力強く、時に優しく、時にキラキラと踊るように心に語りかけてきた。ますます知りたくなってYouTubeでさらに検索。そこで目にしたさまざまなドキュメンタリーから、彼女が広汎性発達障害を持っている人であることを知る。正直、最初はそこで少し戸惑いを覚えた。野田あすかの作品を聴くときに、「だから」とか「なのに」という先入観を持ってしまうんじゃないかと思って怖かった。障害があるとかないとか、音楽の前では関係ないじゃないか、と、頑なに思っていたのだ。

 それをほぐしてくれたのは、他ならぬ野田あすかその人だった。小さい頃からまわりと同じようにはできなかったものの成績優秀で、宮崎大学教育文化学部にも合格した野田。ご両親でさえ娘は個性的なだけなのだと思い、障害にはまったく気づかなかったという。2015年出版のCDブック『発達障害のピアニストからの手紙 どうして、まわりとうまくいかないの?』には、22歳まで障害とわからずに苦しんだ野田自身の声と、ご両親の思いが率直に綴られていた。ハッとしたのは、「あすかの手紙」と題された本人の言葉だ。発達障害と診断されたときのことを野田は、「『ああ、なるほどね~。だから、私はみんなと同じようにできなかったんだ』と納得して、ほっとしたのです」と記していた。悩み苦しんできたことが、自分の努力が足りないせいではなかったとわかった安堵感。そこに触れ、なぜか私もほっとした。診断されて以降始まった新たな人生を知るにつけ、障害も全部ひっくるめた野田あすかの音楽をそのまんま感じようと思うようになった。「だから」とか「なのに」で音楽を聴くのはイヤだと思ったのは、単に私自身が身構えていただけだったのだ。

 出会ったピアノの先生に「あなたはあなたのままでいいんです」と言われたことで、否定され続けてきた人生からようやく自分を解放できた野田。すると、あふれ出たその表現力で、内外の多くのコンクールで目覚ましい結果を出した。二次障害である解離性障害のパニックで右足を粉砕骨折すれば、左足でペダルを踏む術を身につけ、左耳感音難聴のため低音を強く鳴らしてしまいがちになるとわかれば、微妙な力加減で調整する。話すのが苦手なぶんピアノで心を伝えたい野田は、けっして努力を惜しまない。その格闘があの繊細な音色を生むのなら、彼女の人生をできるだけ知ってより深く音を味わいたいと思う。もちろん、本人はいたってシンプル。「みんなが私のピアノを聴いて、ただそれだけでしあわせになってくれるようなピアノが弾けるようになっているでしょうか」と、10年後の自分に問いかけるほどに。

 そんな野田あすかが昨年11月、YUIや絢香を輩出した音楽塾ヴォイスの西尾芳彦をプロデューサーに迎え、野田あすか with FRIENDSとして「Happy Together~いつか見たあの場所へ~」をリリースした。出会った瞬間から始まったセッションを通して、野田に大きな可能性を感じた西尾が、ポップスを前面に打ち出した野田あすかを見てみたいと楽曲を制作。野田も作詞、ピアノ、コーラスで参加した。アイリッシュ・フレイバーのメロディとやわらかなスカのリズムに乗って、お気に入りのぬいぐるみをダンスさせながら歌うMVの野田は、とても新鮮でキュートだった。

野田あすか with FRIENDS-Happy Together ~いつか見たあの場所へ~(Music Video)

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