EXILE THE SECOND TETSUYA、多彩なダンスでライブに添える華 熱心な研究で教育の第一線でも活躍

EXILE THE SECOND TETSUYA、熱心なダンス研究

 1999年、パフォーマーのHIRO(EXILE HIRO)を中心に、MATSU(松本利夫)、ÜSA、MAKIDAI、ボーカル SASAの5名で結成されたEXILEの前身グループ、J Soul Brothers。その魂を受け継ぐダンス&ボーカルグループが、EXILEとしても活躍する派生グループEXILE THE SECONDである。メンバーは、EXILE HIROプロデュースの新生 J Soul Brothers(二代目)として、2007年から活動を続けてきたパフォーマー 橘ケンチ、黒木啓司、EXILE TETSUYA。『EXILE VOCAL BATTLE AUDITION 2006 ~ASIAN DREAM~』に参加した実力派ボーカル EXILE NESMITH、EXILE SHOKICHI。そして、長年EXILEの一員として活躍し、2016年に加入したEXILE AKIRAの6名。オリジナルメンバーが全員勇退したEXILEにおいて一番上の世代となる彼らは、役職に就いているメンバーも多く、アーティストの枠を越えて所属事務所LDHを支える存在となっている。本稿では、そんなEXILE THE SECONDのメンバーを1人ずつフィーチャー。第3回はEXILE TETSUYAについて、グループの歴史を絡めながら紹介していく。

EXILE TETSUYA

 EXILE TETSUYAは、1981年2月18日生まれで、秋田県出身の神奈川県育ち。今となっては“先生”のイメージが強い彼だが、子どもの頃は「勉強は決してできるタイプではなかった」(※1)という体育会系。水に対する恐怖を克服するため、小学生の時には水泳も始めたという。12歳の時には「バルセロナ五輪で岩崎恭子さんがメダルを獲得したのを見て、衝撃を受けた」(※2)ことをきっかけにオリンピック選手に憧れ、中学校を卒業するまで10年間水泳を続けていたそうだ。中学3年生の時には県大会にも出場するほど、毎日何時間も練習していたようで、「現在のダンサーとしての基本的な持久力や、体の可動域の広さはその頃の練習で培われたものだと思います」(※3)と語っている。しかし、中学3年生の時に参加した大会で、トップクラスの選手との間に乗り越えられない壁を感じ、水泳選手になる夢を諦めることに。その後、実家がリフォーム業ということで、地元・横須賀にある高校の建築科に進学した。

 ダンスを始めたのは、高校を卒業して、父親が経営する会社で働いていた19歳の時。地元・横須賀がスケートボードなどストリートカルチャーに強い土地だったこともあり、自然とストリートカルチャーに興味を持ち、その中で「地元の先輩にハンドウェーブを見せてもらった」(※4)ことからダンスに夢中になった。まずは、先輩や地元の先生からダンスを習い始め、20歳の時には先輩に連れられて東京のクラブにも行くように。そこでショータイムのトリを飾っていたのが、EXILEの前身となる初代J Soul Brothersだった。とはいえ、当時は就職していたこともあり、ダンサーを仕事にするつもりはなく、ダンス1本に絞ったのは、始めてから3年が経ってから。ダンスへの熱い想いをダンスの先生に相談し、覚悟を決めると、翌日すぐに退社したというから驚きだ。それからはクラブで踊る日々が続き、2002年には、今でも“横須賀コンビ”と呼ばれている同郷の橘ケンチと共に、4人組のダンスチーム・POLY−3を結成。横浜、横須賀、東京のクラブイベントを中心に活動するようになった。

 また、ちょうどその頃、同じようにアンダーグラウンドで活動していたEXILE AKIRAと出会い、2004年8月、EXILE AKIRAの紹介でEXILE主演のミュージカル『HEART OF GOLD~STREET FUTURE OPERA BEAT POPS~』にサポートダンサーとして出演。その際にEXILE HIROからかけられた「みんなは今、クラブで頑張っていると思うけど、叶わない夢はないと思うから、自分たちの夢がもし見つかって、アーティストになりたいと思ったら、相談してみてよ」(※5)という言葉や、すでにアーティストとして活躍するEXILEの姿に感銘を受け、自分もEXILEのようになりたいと思ったそうだ。2005年1月には、舞台出演を機に意気投合した黒木啓司、橘ケンチと共にダンスチーム・FULCRUMを結成。2006年には、EXILE AKIRAと共に、KRUMPに特化したダンスチーム“RAG POUND”を結成。EXPG STUDIOのインストラクターとして活動しながら、EXILES(EXILEの派生ユニットなどの総称)が行った第1回武者修行にダンサーとして参加し、2007年、武者修行がきっかけで新生J Soul Brothers(二代目)のメンバーに抜擢された(※6)。当時のJ Soul Brothers(二代目)には、橘ケンチ、黒木啓司、EXILE TETSUYA、EXILE NESMITH、EXILE SHOKICHIの他、現在三代目 J SOUL BROTHERS from EXILE TRIBEとして活動しているEXILE NAOTO、小林直己が所属しており、7名で全国武者修行ツアーを行ったり、EXILE初のドームツアー『EXILE PERFECT LIVE 2008』に出演したりと、約2年間の下積みを経験した。だが、以前から、EXILE HIROの中にはJ Soul BrothersのメンバーをEXILEに加入させたいという想いがあったようで、2009年2月25日、J Soul Brothers(二代目)はアルバム『J Soul Brothers』でメジャーデビューを果たしたものの、4日後にはJ Soul Brothersとしての活動を終了。EXILEが第三章に突入するタイミングで、7名全員がEXILEに電撃加入することが発表された。念願のアーティストデビューが予想外の展開となり、当時は賛否両論あったが、後のインタビューで「その頃『EXILEみたいになりたい』から『EXILEになりたい』へ変わっていきました」(※7)と語っていることを思うと、念願のEXILEの一員なれたことは、あの頃の彼にとって本望だったのではないだろうか。

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