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ESME MORI、作家活動での出会いとクリエイティブ「常にいろんなものに触れていれば、次の作品が自分でも楽しみになる」
CM音楽の制作がプロデュースワークに生きた
ーーESME MORIという名前を名乗るようになったのは2016年からで、先ほど名前の挙がった七尾旅人さんが名付け親だそうですが、それはどういう経緯だったのでしょうか?
ESME:もともと「ESME」という名義はサリンジャーの『9 stories』の中の「エズミに捧ぐ」から取ったんですけど、旅人さんがテンテンコさんのプロデュースをしていたときに、「一緒にアレンジしてくれない?」っていうオファーが急にDMで来たんです。実はPOPGROPUP RECORDINGSから2枚目の作品を出す予定で、その話はなくなっちゃったんですけど、音源は旅人さん含めいろんな人に送ってたんですよね。で、旅人さんとレコーディングをした後に、下北沢のおでん屋で「ESMEは覚えにくいから、本名のMORIをつけた方がいいよ。メメント・モリみたいでかっこいいじゃん」って言われて。最初はまったくピンと来なかったんですけど(笑)、でもESME MORIにしてみたら、結構認知されるようになって。
ーー名前がツキを呼んだのかもしれない。
ESME:旅人さんは自分の人生にとって大きな人で、メンターみたいな感じです(笑)。「幻のファーストアルバムがおじゃんになって、連絡してきた青年が、こんなに仕事をするようになって感慨深い」みたいなことを言ってくれたときはすごく感動しました。
ーー実際にESME MORIという名前をよく目にするようになったのは、iriさんやchelmicoの作品に関わるようになった頃かなと。
ESME:そうですね。その前までは主に広告音楽をやっていて、ウェブCMの音楽を作ったりしてました。『SPEC』からの流れもあって、周りにそういう関係の人たちがいて、それが生計を立てる手段だったんですけど、chelmicoとかiriちゃんに出会ったタイミングで、アーティストプロデュースが本格化していったんです。
ーーおそらくその手前には、ピスタチオスタジオとの出会いがあるわけですよね?
ESME:はい、ピスタチオスタジオのryo takahashiくんに初めて会ったのが2014年とか2015年だと思うんですけど、「ラップができる女の子2人がトラックメーカーを探してるんだけど」って言われて、本人たちと会って話すことになり、コーヒーもおごってもらって(笑)。それで最初に「ママレードボーイ」を作りました。その次にやったのがiriちゃんの「Never end」で、それはピスタチオスタジオのryo takahashiと%Cと僕の3人の共作。そこで名前を認識してもらった気がするんですけど、その後にiriちゃんの「Wonderland」と、chelmicoの「爽健美茶のラップ」と、あとヒプノシスマイク(シブヤ・ディビジョン/Fling Posse)の「Stella」が3カ月連続で出て、そのあたりから風向きが変わった気がしますね。
ーー「Wonderland」はiriさんにとっても代表曲と言っていいと思うのですが、制作当時はどんなやりとりがありましたか?
ESME:リリースされてからですけど、2人で「あんなに売れるとは思わなかったよね」っていう話はよくしてます(笑)。構成としてはすごくシンプルじゃないですか。でも、シンプルに削ぎ落とすためにめちゃめちゃやりとりをして、スネアの音を決めるのに1~2週間ずっとスネアの音を聴き続けたり、こだわり過ぎて途中でよくわかんなくなっちゃって。なので、トラックダウンの後も、「これでいいのかな?」という感じではあったんですけど、今聴くと試行錯誤した痕跡がちゃんと残ってるというか、ああいう質感のヒップホップはあんまりなかったと思います。すごく思うのは、CM音楽って30秒の中でいかにインパクトを残すのかが大事だから、一つひとつの音の仕掛けが重要で、最後の最後までこだわり抜く美学をそこで学んだんですよね。歌ものとは作り方が全然違うけど、CM音楽の制作で培われた音色にこだわる姿勢というのは、プロデュースワークにも生きてると思います。
ーー最近ではAwesome City Clubの作品にも関わられていますが、バンドのプロデュースは彼らが初めてだったんですよね?
ESME:そうなんです。なので、最初はあんまり想像がつかなかったんですけど、やっぱりバンドのプロデュースはシンガーさんとも全然違って、よりチーム戦なんですよね。変な話、メンバーになったつもりでやるというか、「プロデューサー」っていう偉そうな感じじゃなくて、「このチームの中でどういう働きをすればいいのか?」っていう考え方でした。そういう有機的な集合体に属したことがあんまりなかったので……バンドっていいなと思いましたね(笑)。ピスタチオスタジオが唯一そういう仲間だったけど、オーサムはオーサムでこれまで戦ってきたわけで、そういう人たちと一緒に曲を作ることでまた違った視点を得ることができて、これ以降バンドのプロデュースも増えたし、いい勉強になりました。
ーーオーサムのメンバーとは世代も近いから、変に「プロデューサーとバンド」という形式にはならず、それがバンドにとっても良かったんだろうなって。
ESME:atagiさんが僕の家に来て、くだらない話だけして帰ったり(笑)、今みたいな状況になる前は制作終わりに飲みに行ったりもしていて。信頼できる人たちに出会えたと思うし、言語が一緒な気がするんですよね。最初に「アンビバレンス」を作ったときは、お互い不安だったと思うんですけど、レコーディングやミックスで「ここをこうしたらかっこよくなるね」みたいな会話が自然にできて、そこが共有できてるから、変にぶつかることもなく、すごくやりやすかったです。
ーーアルバムで言うと、『Grow apart』と『Grower』の2作に関わられていますが、制作時にはどんなやりとりがあったのでしょうか?
ESME:『Grow apart』のときはまずatagiさんがメロと簡単なリズムを持ってきて、それを僕がアレンジしたんですけど、『Grower』の2曲は僕から「こういうのをやってほしい」っていうアイデアを出して、簡単なビートとコードを何パターンか送った中から、2曲が採用されたんです。atagiさんがインタビューで「前はアレンジャーと組むのが苦手だった」って言ってましたけど、今回は結構お任せしてくれて、いい意味で分業制でできたというか。それによって、atagiさんはトップライン、メロとか歌詞がより研ぎ澄まされたと思うし、バンドとしてどんどん進化してると思うんです。それこそ「勿忘」は爆発的にヒットする前から、atagiさんに「これやばいですね」って言ってて、正直ちょっと悔しかったですからね。もちろん、永野(亮/APOGEE)さんのアレンジも素晴らしいし、到達すべくして到達した一曲だったんだと思います。
ーー永野さんはAPOGEEをやってきたこともあり、オーサムのバンドサウンドを更新した印象なのに対して、ESMEさんはやはりビートメーカーとしてのバックグラウンドがあるので、特に『Grower』の曲ではその個性が出ていて、「tamayura」の緻密なサウンドデザインや、特徴的なキックの音は非常に印象的でした。
ESME:サビでキックにリヴァーブをかけたくて、普通にやったらダサくなっちゃうと思うんですけど、シンプルだからこそ一個の音をデカくできるというか、大きい音像で鳴らしたくて、それが上手く行ったかなって。あと僕が「tamayura」に関して言ったのは、atagiさんは高音が素晴らしいけど、あえて低く、抑えめで歌ってみてほしかったんですよね、チャレンジではあったんですけど、デモが返ってきたら、atagiさんがすごくいいメロを乗せてくれてて、これはもう大丈夫だなと思いました。最初は「アンビバレンス」一曲だけかなと思ってたけど、気づけばオーサムが自分の中で大事な存在になっていて、作家人生の中でも大きな出会いだったなって、ここ最近すごく思いますね。