村井邦彦×安倍 寧「メイキング・オブ・モンパルナス1934」対談

プロデューサーは人間関係に通暁していないと事が運ばない

取材はZoomを使用して、東京ーロサンゼルス間で行われた。左が安倍 寧、右が村井邦彦

村井:安倍さんは「インプレサリオ」という言葉をよく使われていますね。僕は川添梶子さんから聞いたんです。例えば「ヒューロックは素晴らしいインプレサリオなのよ」というふうに。今でいえばインプレサリオはプロデューサーですよね。

安倍:そうですね。日本語に訳すと興行主というのかね。

村井:僕が調べたところによると、オペラをやるときに、貴族がオペラ劇場を持って、そこでオペラをやりたいんだけど、興行のこともお金のこともよく分からない。出し物の内容もよく分からない。だから貴族に頼まれてそういう興行をやったのがインプレサリオの始まりだそうです。

安倍:劇場を持っている人ではなく、興行の主体を担う人ですね。

村井:そうです。要するに芸術とビジネスの両方に通じた人のことでしょうね。

安倍:ブロードウェイでは、劇場オーナーがプロデューサーを兼ねる場合もありますし、劇場を貸すだけで、プロデューサーは別の人がやる場合もあります。バレエやオペラのようなクラシック芸術になると、金儲けじゃない。財団組織になりますからね。今はそれを仕切るのは芸術監督なんですよ。だからインプレサリオという言葉は最近あまり聞かなくなりました。

村井:そうですね。

安倍:ヒューロックなんかはインプレサリオと呼んでもいいでしょう。川添さんはもう少し後の時代だったら、芸術監督をやる、あるいはインプレサリオをやるということができた人でした。生まれるのが早すぎたのかもしれないね。

村井:安倍さんは個人的に川添さんとお付き合いがあったと思うんですけど、何か思い出はありますか?

安倍:いちばんの思い出はさっきの日生劇場の記者会見の出来事ですね。それから川添さんは人間関係がよく分かっていた人ですよ。『ウエスト・サイド物語』を呼ぶなら、まずポール・ジラードを押さえればいい、ジラードならばジェローム・ロビンズに話をしてくれるだろう……と。ファッションの世界でも、例えばピエール・カルダンの次はイヴ・サン=ローランになるとか、フランスのファッション界における人間関係の地図がよく分かっていた。やっぱりプロデューサーは人間関係に通暁していないと事が運ばないんです。川添さんはそこに敏感でした。

村井:まさに安倍先生ご自身、人脈評論家という肩書があったくらいで、人をよく知っているし、素晴らしい人間関係をお持ちでしたね。

安倍:ありがとうございます。僕も人間が好きなんでね。そうだ、ひとつ思い出しました。僕が執筆でちょっと行き詰まっていたときの話です。「原稿がたまっていて、書けないんだ」ってキャンティで愚痴をこぼしたら、川添さんが「俺がヒルトンに部屋を取ってやるよ。部屋代は払わなくていいから」って3~4日、缶詰めになれる場所を提供してくれたんです。若者に無償の行為をしてくださった。

村井:すごい話ですね。

安倍:もうひとつ川添さんに関して覚えているのは、キャンティの名物料理のバジリコスパゲティーにまつわる話です。「本当はイタリアのバジリコっていう野菜で作るのがいいんだけど、日本にはないんだよ。だから自分の家の庭でバジリコを育てているんだ」って川添さんが言っていた。ある程度育つと店に持ってくるわけです。でも常に自分の庭で作るバジリコが供給されるわけじゃなくて、無いときはシソの葉(大葉)で代用していた。場合によっては、シソの葉とバジリコを混ぜたりしていて、とても苦労されていましたね。

村井:実際、自宅の庭でバジリコを育てていましたからね。

安倍:キャンティのメニューでいえば、もう一つ覚えています。あるとき川添さんが「安倍君、今日は本当の生ハムを食べさせてあげるよ。スイスから友達が持ってきたんだ。キャンティでも生ハムとメロンは出しているんだけど、本当の生ハムじゃないんだよ」って言うわけ。当時、日本国内では、生ハムは厚生省だか農水省だか管轄は知らないけど、許可が得られなかった。

村井:輸入禁止の食品だったんですね。

安倍:そう。輸入もできないし、日本で作ることもできない。でも友達がスイスから持ってきたのは、本当の火を通していない生ハムだというんです。川添さんいわく「スイスのアルプスの雪が積もっている山で、豚肉を紐でキュッと縛って、塩、こしょう、いろいろと香料をすり込んで、雪の上に何日か転がしておくと生ハムになるんだ」って。本当か嘘か分かりませんよ。

村井:本当らしいですよ。

安倍:へえ、本当なんですか。それで、僕は生まれて初めて生ハムというものを知りました。そういうワンステップ、ワンステップを経ることで、僕たちは本物の西洋料理を知ることができたんですね。

村井:川添さんは本物を知っていたんですよね。

安倍:もともと本物を知っている方が、本物のヨーロッパを日本に伝えたい、と。そういうことだったんじゃないでしょうかね。

村井:反対に、日本の本物を外国の人に見せるということもやりましたね。

安倍:代表例が『アヅマカブキ』ですよね。本物を世界に紹介したいという思いがあったのでしょう。

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