連載「EXILE MUSIC HISTORY」第4回:中代拓也
EXILE MAKIDAI連載「EXILE MUSIC HISTORY」第4回:アートディレクター 中代拓也、デザインに込めた“リスペクト”
「いかにアーティストや曲に愛情を持って作れるか」
MAKIDAI:EXILE、EXILE TRIBEで印象に残っている作品はありますか?
中代:やっぱり14人になった時の『THE MONSTER ~Someday~』のジャケットかな。あれは本当にHIROさんの気合を感じたので「この作品は今後のEXILEを左右するな」と思いました。あれはオールスタッフで考えて取り組みましたね。今見ると、我ながらすごいデザインだと感じます。洋服など色が大洪水だし、ロゴもデカくて、とにかく情報量が多い。人も増えてるし。豪速球を投げまくっている感じのジャケットですよね。
MAKIDAI:EXILEの歴史のなかで可能性を広げるタイミングでしたね。今のEXILE像は、あの時の1歩を踏み込んだ気合、みんなの頑張りの延長線上にできていると感じます。
中代:あのジャケットをRHYMESTERの宇多丸さんが「これはいい意味で、馬鹿じゃないとできない」と褒めてくれて(笑)。そこからRHYMESTERの仕事も担当させてもらえたんですよ。ちょうど彼らが武道館ライブの後に活動休止になって、その後、またやるという時にデザイナーを探していて。本当にEXILEがきっかけになって、仕事の幅が広がりました。
MAKIDAI:意外ですね! そうだったんですか。
中代:アーティストの力に引っ張られて、それに応えようと必死にやった結果だと思います。CDのジャケットって、ファンとアーティストの間に物理的な接点がある手紙のようなものじゃないですか。だからファンの方の気持ちに近づけば近づくほどいいし、いかにアーティストや曲に愛情を持って作れるかが大事だと思っています。
MAKIDAI:なるほど、ジャケットを通じてファンとの距離もより近くに感じられていたんですね。
中代:EXILEのライブを客席で観ると、ファンの皆さんがキラキラと輝く目でステージを見ている顔に感動するんですよ。メンバーも一度、客席に座ってEXILEのライブを見てほしいくらいです。そのくらい、誰もが素敵な顔をしている。声にならない声で応援している子もいる。僕は裏方ですけど、実際にファンの皆さんを目の当たりにすると、そういう気持ちを大切にしなきゃいけないと日頃から思うんです。だから、ジャケットもアー写も実際に使うのは1枚か2枚だけど、最高にいいものを撮りたい。
MAKIDAI:そんなふうに思いを汲んでくれる中代さんをリスペクトです。DJ MAKIDAI名義でミックスCDをリリースさせていただいた時も、ニューヨークに在住していた時の写真だったり、渋谷のハーレムでDJをしていたらGang Starrのグールーが訪れた時の写真とかをアートワークに取り入れていただいて。やっぱりリリースするときはいつも「後々まで記録として残るもの」を意識してやってきたな、と改めて考えさせられました。
「“一緒に成長しよう”なんて言ってくれる人、なかなかいない」
中代:『ASIA』ツアー(『EXILE LIVE TOUR 2005 〜PERFECT LIVE "ASIA"〜』)のパンフレットも印象的でした。ツアー前に沖縄合宿みたいなものがあって、そこで写真を撮るという話だったのですが、やることが何も決まっていなくて(笑)。だからみんながプールに入ったり、ビーチバレーしたり、サウナに行ったり、フットサルやったり、釣りをしたり……ただ遊んでいる場面を撮った写真をコラージュして、パンフレットを作ったんですよ。
MAKIDAI:めっちゃいい思い出ですよ(笑)。
中代:その時にHIROさんが「これから俺らはどんどんデカくになるから。中代っちもまだまだだと思うけど、俺たちと一緒に成長してほしい」と言ってくださって。それが今でも心に響いているんですよ。「一緒に成長しよう」なんて言ってくれる人、なかなかいないですから。言ってしまえばビジネスの関係なのに。あの時は本当に感動しました。
実際、すでにEXILEは売れていたし、もっと売れているデザイナーに頼むという発想もあったと思うんです。あとはアルバム毎にデザイナーを変えるとか。なのにHIROさんは「一緒に成長していってほしい」と言ってくれて、ずっと仕事を任せてくれた。本当にやる気になりましたね。
MAKIDAI:温かいですね。それは自分も知りませんでした。「一緒に成長していってほしい」と言うのも勇気が要るはずです。
中代:お互いに酔っ払っていたのでHIROさんは覚えていないかもしれませんが、僕にとっては今でも思い返すくらい、心に残る言葉なんです。そういう精神が、EXILEには今も脈々と受け継がれていっているんだなと感じます。
MAKIDAI:あの合宿は全員が自由に過ごしながらも、ちゃんと「EXILEらしさ」があったんでしょうね。
中代:初めてミュージックビデオの監督をしたのもEXILEの「YES!」だったんです。あれが最初で、しかもハワイロケみたいな。初めてで分わからないことだらけで、かなりキツかったです(笑)。逆に、よくEXILEが任せてくれたなという感じでした。
MAKIDAI:今でも覚えていますが、スーパーマーケットみたいなところで、それこそ朝3時、4時とかに普通に行って。スーパーの中でものをチェックするようなことをやりながら撮影しましたね。
中代:全然打ち合わせしてなかったのに、よーいスタートでみんなアドリブで踊り始めるじゃないですか。あれはすごかった!
MAKIDAI:自分たちとしては、そこにいて、できることを探してやるというのが習慣になっていたんだと思うんですよね。あとサンセットのシーンが最高でしたね。
中代:時間ギリギリだった(笑)。
MAKIDAI:あの時「もしここでうまくサンセットが撮れなかったら」とかまで、中代さんは考えていると思うんです。でも、そこでいい感じのサンセットが来て、「今だ!」みたいな感じで撮れたからこそ、特別な想いが詰まっているのかなと。
中代:大変だった仕事こそ、よく思い出しますよね。あのビデオがきっかけでポルノグラフィティさんからMV制作のオファーを受けたり、また仕事が広がったんですよ。MVを撮っていていつも思うけど、ほんとにカットするのがもったいないというか。普通にずっと流しているだけでも面白いのに、と思いますもんね。「編集しなくていいんじゃないの?」みたいな(笑)。
MAKIDAI:ありがたいお言葉です。いつかまとめてみたいとは思っています。今回、中代さんとお話して、EXILEがどんなふうに作品を作ってきたのか、改めてそのワークスをいろいろと思い出しました。
中代:大変だったけど、いい思い出ですね。僕もEXILEとの仕事があったからこそ、今があると感じています。
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第2回:KENJI SANOと語り合う、“EXILEのキャプテン”として共に歩んだ軌跡
第1回:サウンドエンジニア D.O.I.と振り返る、EXILEサウンドの進化