アイナ・ジ・エンド&アユニ・D、ソロでの躍進支えた“キーパーソンとの出会い”

 アユニ・Dはその後もインタビューなどで、たびたび田渕ひさ子との出会いが自分自身の人生の大きな転機になったと語っている。単にPEDROのサポートメンバーというだけでなく、音楽との向き合い方やアーティストとしての在り方に至るまで、価値観が根底から変わるほどの影響を受けてきたようだ。

 つまり、アイナ・ジ・エンドは亀田誠治との出会いによって、そしてアユニ・Dは田渕ひさ子との出会いによって、それぞれソロアーティストとしての才能が引き出されたと言える。

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 90年代初頭から編曲家やスタジオミュージシャンとしてキャリアを積んできた亀田誠治だが、プロデューサーとして大きく飛躍するようになったきっかけは、1998年5月にシングル『幸福論』でデビュー、1999年2月リリースのアルバム『無罪モラトリアム』で大ブレイクした椎名林檎を手掛けたことだった。

 そして、田渕ひさ子にとっての転機もやはり1998年にかけて訪れている。この年にNUMBER GIRLは上京し、翌1999年5月にメジャーデビューシングル『透明少女』、7月にメジャー1stアルバム『SCHOOL GIRL DISTORTIONAL ADDICT』をリリース。当時のロックシーンに衝撃的な登場を果たしている。

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 ちなみに、当時の椎名林檎とNUMBER GIRLが所属していたレコード会社は東芝EMI。こうして考えると、その流れを汲む名門レーベル<EMI Records>にPEDROが所属していることにも、ある種の符号が感じられる。

 つまり、2021年のアイナ・ジ・エンドとアユニ・D、その覚醒をもたらした“出会い”の背後には、1998年から2018年に至る“日本のロックの20年史”を読み解くこともできるわけなのである。

※ライブ写真は、アイナ・ジ・エンド『1st solo Tour “THE END”』、PEDRO『生活と記憶』より。

■柴 那典
1976年神奈川県生まれ。ライター、編集者。音楽ジャーナリスト。出版社ロッキング・オンを経て独立。ブログ「日々の音色とことば:」/Twitter(@shiba710)

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