ブルース・スプリングスティーンが閉塞した日常に灯す“希望の光” 映画『カセットテープ・ダイアリーズ』を観て
音楽には人生を変える力がある。このコラムを読んでいるみなさんの中にも、それを実感したことがある人はいるだろう。ひとつの曲に心を射抜かれ、それまでの価値観や世界が一変するーーミュージシャンなど音楽を仕事にしている人はもちろんだが、一介の音楽ファンにとっても忘れ得ぬ「最初の一撃」というのがあるはずだ。
そんな、誰もが経験したことのある「心のアーティスト/歌」との出会いがテーマの映画が、現在公開中の『カセットテープ・ダイアリーズ』。英国のジャーナリスト、サルフラズ・マンズールの回顧録を元にした自伝的映画である。
この映画が描くのは、イギリスの田舎で閉塞した日常を送る少年、ジャベドとブルース・スプリングスティーンとの出会い。
パキスタン人ゆえに受ける言われのない差別、父親の失業、見えない進路にあえぐ日々——そんな時、友達が借してくれたスプリングスティーンのカセットテープを聴いてジャベドは「これは自分のことを歌っている音楽だ!」と雷に打たれたような衝撃を受ける。社会の隅っこでつましく暮らす人々の気持ちを理解し、彼らに寄り添うスプリングスティーンの楽曲に、ジャベドは今までどんな音楽を聴いても感じられなかった心の高ぶりを覚えたのだ。以来取り憑かれたようにスプリングスティーンを聴きまくり、彼の歌に勇気と行動力を授けられて、そこからジャベドの日常は少しずつ変わり始めていくーー。
ジャベドがスプリングスティーンにハマったのは1987年、彼が16歳のときだが、当時流行していたのは耳当たりの良いポップス、中でもシンセサウンドをフィーチャーしたものがファッショナブルな音楽として若者に人気があった。ちなみに映画冒頭で流れるPet Shop Boysの「It’s A Sin」は、1987年の英国におけるナンバー1 シングル。同じく劇中にも出てくるが、アメリカのティーンアイドル、ティファニーの1st アルバムが世界的に大ヒットしたのもこの年だ。
つまり、そんな時代にシンプルで土臭いロックをしゃがれ声で歌うブルース・スプリングスティーンは「時代遅れ」と思われていた。1980年の『The River』、1984年の『Born in the U.S.A.』で全米1位を獲得しスターダムに上り詰めたビッグアーティストではあるものの、1987年にスプリングスティーン漬けになるジャべドは、周囲からちょっとズレた存在として描かれている。
劇中では前述のPet Shop Boysやティファニーのほか、Cutting Crewやa-haなど当時のヒットナンバーが登場するが、それらと比べるとスプリングスティーンの音楽は明らかに異質なものだとわかるはずだ。だが、それがかえってジャベドとスプリングスティーンの特別な因縁、出会った必然性をくっきりと浮かび上がらせていて秀逸だ。
とりわけ、放送室をジャックして「明日なき暴走(Born to Run)」を全校に響き渡らせる痛快なシーンや、スプリングスティーンのコンサートのチケットを買うために全速力でレコード屋に走るシーンは青春そのものという感じで胸が熱くなる。熱いボスには熱いファンがつくのである。
映画では重要な楽曲が登場する際、歌詞をのせることで、スプリングスティーンの歌がジャベドにどう響いたのかがハッキリと可視化できるようになっている。一見MV的な演出だが、目的はスプリングスティーンが何を歌っているか、その言葉を観る者にしっかり伝えるため。監督をはじめとする制作陣が楽曲を丁寧に扱っている証拠だ。