ヨルシカの音楽が引き立てる、ストーリーの“輪郭と奥深さ” 映画『泣きたい私は猫をかぶる』から考察
普遍的なメッセージを放つ「花に亡霊」、“大人になること”を描いた「嘘月」
「花に亡霊」は、今作の最終盤からエンドロールにかけて流れる楽曲である。今作の舞台となる季節は夏。「亡霊はつまり想い出なので、夏に咲く花に想い出の姿を見る、という意味の題です」とn-bunaはコメントしている。だが実際の使用シーンを見てみると、その意味の深さに気付かされる。
映画の最終盤で彼女は「一生懸命に好きにならないようにしていた。みんないらない、みんなカカシだって」と語る。いつか自分が愛されなくなるという状況に気づくことへの恐怖に違いないだろう。次に彼女は、「でも、やっぱり、みんないる。帰ったら、好きになってみる」と言葉を続ける。周囲に対して受け身となっていた彼女が、自分を省みて、自分を変えてみようと決心する本作のラストシーン。この次のカットから、「花に亡霊」が流れ始める。
曲の歌詞を全部読んでみると、様々に出会ってきたシーンを思い出として捉え、これからも忘れないように大切にしようと歌ってみせている楽曲である。
この曲を、今作に寄せて捉えてみよう。〈もう忘れてしまったかな/夏の木陰に座ったまま、氷菓を口に放り込んで風を待っていた/もう忘れてしまったかな世の中全部嘘だらけ/本当の価値を二人で探しに行こうと笑ったこと〉という始まりの歌詞。実はここで想起できるシーンは、今作序盤のシーンと、日之出と笹木の2人が作中でどのように変化したかを物語るとある印象的なシーンと、2つをモチーフに描いたように読み解けるのだ。彼らがどう出会い、どう振る舞って、ラストに向けてどう変わっていったのかを、思い出として大切にしようという結び方に受け取れる。さらに、作品を代弁しつつも、作品から離れた上でもなお、強いメッセージ性を感じられる一曲になっているのだ。
「花に亡霊」が終わった直後、「嘘月」が流れてくる。「歌詞の節々に尾崎放哉の句を散りばめています」とn-bunaはコメントを寄せていたが、おそらく〈こんなよい月を一人で見ている〉〈底が抜けた柄酌で飲んでる〉の部分がそれにあたるだろう。
ここで一つ、すこし屈折した見方をしてみよう。「夜行」においてn-bunaは「大人になること、忘れること、死へ向かうこと」を夜に置き換えたと語っていた、それをこの曲にあててみてみると、「大人になる」もしくは「大人へと変わっていくタイミング」とみても良いだろう。
大人になったというように嘘をついては「猫をかぶる」自分、それは今作における笹木と日之出の在り方をモチーフにしているように読み解けるのではないだろうか。そういった見方を踏まえつつ、作中において笹木と日之出が、夜のなかでどのように過ごしていたかを見た方なら、とてつもなく沁みる歌ではないだろうか。
ストーリーを代弁するだけでなく、作品のシナリオ展開やカット切りといった演出効果にも、本作から離れてもなお強いメッセージ性を残す、そんな3曲ではないかと思う。この3曲が同時に収録されたアルバム『盗作』が、7月29日に発売となる。もとよりコンセプチュアルに作品作りに励む彼らが、今回の3曲をどのように自分たちのアルバムのなかに組み上げるのか、そういった部分を含めて、非常に注目すべきではないだろうか。
■草野虹
福島、いわき、ロックの育ち。『Belong Media』『MEETIA』や音楽ブログなど、様々な音楽サイトに書き手/投稿者として参加、現在はインディーミュージックサイトのindiegrabにインタビュアーとして参画中。
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