『存在理由〜Raison d'être〜』インタビュー
さだまさしは今この時代に音楽家として何を思うのかーー『存在理由~Raison d'être~』インタビュー
さだまさしが、約2年ぶりとなるオリジナルアルバム『存在理由〜Raison d'être〜』(読み:レゾンデートル)をリリースする。
グレープ時代から通算46作目となる本作には、タイトル曲「存在理由〜Raison d'être〜」のほか、2007年に放送された『クリスマスの約束』(TBS系)で制作された小田和正とのコラボレーション楽曲「たとえば」(作詞:さだまさし/作曲:小田和正)、さらに岩崎宏美、トワ・エ・モア、小林幸子、関ジャニ∞らに提供した楽曲のセルフカバーなどを収録。クラシック、フォーク、童謡などのテイストを取り入れたサウンド、深みのあるメッセージを含んだ歌をたっぷりと堪能できる作品となった。(森朋之)
「ひと粒の麦〜Moment〜」は中村哲さんに捧げる歌
ーーニューアルバム『存在理由〜Raison d'être〜 』がリリースされます。まず、このタイトルに非常に感銘を受けました。まさにいまの時代に必要な言葉だし、すべての人が意識していることだと思います。
さだまさし(以下、さだ):そういうふうになってしまいましたね。じつはタイトル曲の「存在理由〜Raison d'être〜」は、2019年の2月に作った歌なんです。スタッフのみんなも気に入ってくれていたし、「アルバムのタイトルもこれでいこうか」と決めたんですが、今年の2月にアルバムの制作に入ったとたん、コロナ禍が日本を襲って。「なぜ昨年、この歌を作ったのかな」と思いながらアルバムを作っていました。
ーー「存在理由〜Raison d'être〜」はもともと、どんなテーマで書かれたんですか?
さだ:いま直面している現実の世界と、僕の頭のなかにある社会のイメージが乖離しはじめている気がしていて。この国の人たちの礼節や秩序といったものを自分はもっと評価していたんですが、現実はどうも違うようで。善と悪という考え方にしても、以前はもっと柔軟性があったと思うんです。池波正太郎の小説を読んでいると、“善人が悪いことをしてしまう”“悪人なのに、つい善いことをしてしまう”という話がたくさんあって、「人間ってそういうものだよな」と思うんです。いまの社会では善と悪を分けすぎていて、それが不幸につながっているところもあるなと。
ーー“あの人は悪い”と決めつけて、多くの人が一斉に罰するような風潮がありますからね。
さだ:確かにいま起きている事件や騒ぎを見ると、僕が思っていた日本とはずいぶん変わってきたなと思うんですよね。自分の歩調がズレているのではという怖さもあるし、寂しさや苛立ちもあって……。そういう思いのなかで、「存在理由〜Raison d'être〜」という曲を書いたんです。いまの状況もそう。東日本大震災のとき、あれほど秩序立った姿を見せていた日本人が、いまの状況の中で信じられないような行動をしているじゃないですか。様々な情報を目にしながら「いったいみんなどういうふうに考えているんだろう?」と途方に暮れますね。
ーーこの楽曲はもちろん、アルバムの軸になってるんですよね?
さだ:そうですね。もう一つの軸となっているのが「ひと粒の麦〜Moment〜」で、これはアフガニスタンで亡くなった中村哲さん(医師)に捧げた歌なんです。アフガニスタンは内戦で疲れ果て、働く場所もなく、兵士にならないと生活ができない状況があって。「なぜ撃つのか?」もわかないまま、銃を撃ってるんですよね。中村さんはそういう場所に行って、「この人たちを救うには、診療所で医者として関わっているだけでは無理だ」と思い、水路を作った。そんな尊い方が銃弾に倒れてしまい、僕自身もすごく悔しかったんですよね。なのでぜひ、中村さんに捧げる歌を書きたいと。
ーーなるほど……。中村さんとは面識があったんですか?
さだ:じつはお会いしたことがなくて。ただ、つながりは感じていたんです。ナガサキピースミュージアム(さだまさしの呼びかけで集まった募金により2001年に建立されたミュージアム。「平和の素晴らしさを身近に感じられること」を展示の基本としている)の仲間が、勉強会として中村さんに講演をお願いしたことがあって。ペシャワール会(中村哲氏のパキスタンでの医療活動を支援する目的で結成された国際NGO(NPO)団体)とのつながりもあったし、いつかお会いできるだろうなと思っていたんです。あと、北九州の沖仲仕を束ねた玉井金五郎を描いた『花と龍』という小説があるのですが、中村さんは玉井金五郎の孫なんです。僕の母方の曽祖父(岡本安太郎)も明治時代、長崎港で港湾荷役を取り仕切った任侠だったから、勝手に親近感があって。ただ、玉井金五郎の孫と岡本安太郎のひ孫はあまりにも差があり過ぎますけどね(笑)。そんなこともあって中村哲さんに捧げる歌を書いたわけですが、出来上がったものを聞くと、中村さんからの手紙を受け取ったような気がしているんですよ。