L'Arc~en~CielのMVを通してより深い“沼”へ 現実離れした世界観や音と映像のリンクなどを紐解く
L'Arc~en~Cielの全楽曲サブスク解禁。ラルクの楽曲は聴く度に新たな発見があるぐらい、様々なアイデアやテクニックが盛り込まれている。しかも、楽曲の幅はとてつもなく広く、世界中のどのような風景すらも描写できるのでは、と感じるほどである。そんな全ての楽曲がいつでもどこでも聴けるとなると、より深くその魅力に浸かることができるし、様々なシチュエーションに合わせて楽しむことが可能となる。だが彼らは楽曲の解禁だけに留まらず、「より深く沼に沈め」と言わんばかりに全51本のMVも解禁してきたのだ。聴覚だけでなく、視覚も満たしてくれるMV。ただのプロモーションビデオではない、ラルクミュージックビデオの魅力を様々な角度から紐解いていきたい。
まず挙げられるのが、音と映像のリンクである。タイトルや歌詞、音の空気感とMVの世界観が絶妙にマッチしており、楽曲のイメージが頭に残りやすいのだ。例えば、あまりラルクを聴いたことがない人との会話になっても、「あのほら、車のやつ!」と言われれば、「あ、『Driver’s high』ですね!」とわかってしまう。このように楽曲が持つ疾走感や、タイトルが連想させる車のイメージと、MVの世界観が一致しているからこそ、他人とのイメージを共有できるのだ。これこそラルクというロックバンドの音がどんな層にも響く要因の一つと言えるだろう。他にも「HONEY」は思いっきりハチミツをフィーチャーした映像であるし、「NEO UNIVERSE」はタイトル通りに近未来を描いたような映像である。このように音と映像のリンクは、ライトなファン層に対して、楽曲をキャッチーに感じさせるという利点があるが、ディープにハマっているファンの目線から見たときには、楽曲が音だけで表現できる限界を、映像の力も交えて超えていると捉えることができる。一部の楽曲では映像由来の音が入っているMVや、CDで一度完結している楽曲のその先を描いているものもある。「DIVE TO BLUE」の猫がいい例だろう。そういった音源との違いや、楽曲のさらに向こう側にあるストーリー性といったMVならではの部分を知ると、耳で聴くだけではなく、映像も込みで楽しみたくなるものである。
また、ラルクの映像はどこか現実離れしているものが多い。現実世界と少しずれた不思議かつコミカルで壮大な空気感が、楽曲や歌詞と非常にマッチしている。これに関して何がすごいかというと、その異世界感に溶け込むメンバーと楽曲である。現実感がない映像に入り込んだときに違和感がないということは、言い換えれば実在している人間ではないかのようだ、ということだ。「hydeさんは実在していたのですね…!」とTVアナウンサーがインタビュー時に話していたことがあったが、正にそう思わせるほど現実味がないのだ。加えて、ラルクのMVにはとても綺麗な海外のお姉様方が沢山出演している。あれだけ沢山の美女に囲まれるというのは一見夢の空間のようだが、正直誰でもその真ん中に立った時に絵になるというわけではないと思う。ラルクのメンバーだからこそ様になっているし、非日常を感じさせる。そんなラルクだが、過去のライブでkenが「Blurry Eyes」恒例のダッシュ時に、この上ない大転倒を披露したこともあったし、hydeがライブやテレビ収録で歌詞を間違えるなどというお茶目な一面も覗かせている。まったく手が届かない人物に見えるメンバーのそういったギャップも、ファン心をくすぐる要因の一つだろう。