米津玄師、『馬と鹿』初週売上40万枚超え 収録曲「でしょましょ」をボイスサンプルの観点から分析

 さらに続くシングル曲「Flamingo」にも、「ウェッ」を彷彿とさせる歌ならざる声がひしめいている。「Flamingo」リリース当時のインタビューでは、この曲にあふれるボイスサンプルについて「自分の声の肉体性みたいなものを今まで以上に曲に落とし込」んだと述べている(参照)。イントロからカットアップされたボイスサンプルが登場し、笑い声や気の抜けた相槌が散りばめられたとても奇妙な曲だが、そこからまっすぐ伸びた線のうえに「でしょましょ」がある。

 「Flamingo」に登場するボイスサンプルにこめられた意味というか意図については先に引用したインタビューで本人の口から述べられている。そのためあえてふたたび振り返ることはしないが、重要なキーワードである「みっともなさ」は「でしょましょ」にも通じる。「伝えたいこと/歌いたいこと」をはぐらかすかのように修辞的な表現を連ねた「Flamingo」と比べると「でしょましょ」の歌詞は露骨に厭世的で、最小限のビートとギター、ベースで構成されたサウンドもあいまって、親密さとともに息苦しさも感じられる。そこに壁一枚隔てたかのような距離感で響くボイスサンプルは楽曲が醸し出す虚ろさ、やるせなさをこれでもかと強調している。

 タイアップも付き楽曲としてのチャレンジも明確(ポストクラシカル的な弦楽アンサンブルの導入やプリズマイザーのような加工を取り入れた変声)な「馬と鹿」や「海と幽霊」と比べると、「でしょましょ」はより力の抜けたプライベートな色合いが強いように見えるかもしれない。実際シンプルで内省的な詞もサウンドもそうした印象を強化している。しかし、ボイスサンプルの活用という観点で見ると、近年の米津玄師が試みてきた流れのなかに確かに位置する一曲だ。

■imdkm
ブロガー。1989年生まれ。山形の片隅で音楽について調べたり考えたりするのを趣味とする。
ブログ「ただの風邪。」

関連記事