Koji Nakamuraが『Epitaph』で試みた“新しい音楽” 小野島大が一連のプロジェクトを振り返る

Koji Nakamura『Epitaph』評

 ナカコーことKoji Nakamuraが、新作を発表する。『Epitaph』と題されたこの作品は2014年発表の『Masterpeace』以来5年ぶりのアルバムだが、2017年4月よりスタートしたストリーミング配信サービス限定の同名プレイリストで発表されてきた楽曲をまとめたものだ。

  このプレイリスト「Epitaph」は、ナカコーが気ままに楽曲を追加し、入れ替え、作り直し、手直しして日々更新を繰り返しながらバージョンアップしていく”作品の完成を目的としない”プロジェクトだった。それはストリーミングサイトという新たな楽曲発表の場がもたらされたからこそ、可能な試みだった。このプレイリストプロジェクトがスタートしたタイミングで筆者は、ナカコーへのメールインタビューを素材に彼の意図を解き明かすコラムを書いたが、それから2年が経ち、「ある程度曲が出揃い、作り込みもできて、ひとつのまとまりの形が見えてきた」(ナカコーの発言。以下同)ので、CDアルバムとしてリリースすることを決めたわけだ。つまりこれが「Epitaph」プロジェクトの一応の完成形である。

 今回のアルバムリリースにあたり、筆者はナカコーにインタビューし、アルバムのコンセプトやテーマ、制作の経緯などを聞き、ナカコーの公式サイトに書き原稿の形でまとめた。(参考

 このコラムでは、そこでは書ききれなかったことも含め、もう少し音楽面について突っ込んで書いてみたい。

 とはいえ、本作の音楽性について言葉で語るのは難しい。それはナカコーがやろうとしているのが、「かつて聴いたことのないような新しい音楽」だからだ。それは過去へのオマージュではない、既存の音楽の引用がなされていない、「○○のようだ」「××みたい」「△△っぽい」と言われない音楽である。

 もちろん、例えばH・R・ギーガーがデザインしたエイリアンの造形が、どんなに奇抜で斬新なものに見えたとしても、彼が過去に知見したさまざまな既存の要素を加工、ミクスチャーすることで成り立っているように、世の中に「完全に新しい表現」はありえない。もし「新しい」ものがあるとすれば、それは「その人にとって新しい」に過ぎないのだが、それでもときおり音楽を聴いて「これは新しい」と直感してしまうことは、現実としてある。それは既存の要素を加工、ミクスチャーする際に、お決まりのセオリーや定石や常識を疑い、決まりきった視点をずらしてみることで生まれた表現である。

 『Epitaph』でのナカコーの音楽をあえて言葉にしてみれば、ポップソングの伝統的な構造や構成、クリシェを回避し、音色や音の質感、レイヤーやテクスチャーを重視した音楽、ということになるだろうか。制度的なリズムを排除し、コードとメロディのありきたりな関係を見直し、Aメロ→Bメロ→サビ、といった定番的な曲構成を再構築し、ギターやキーボードといった既存の楽器に依存した語法をできるだけ排除した、それまでの音楽の歴史から外れたような、純粋な音の重なりとカタマリだけが鳴っているような音楽。内在するリズムがグルーヴを生み、肉体感覚を生む。それは無理やり既存のジャンルに当てはめれば、アンビエント〜ドローンやノイズ、アブストラクトヒップホップ、ポストロック〜エレクトロニカといった実験的音楽に比較的近いと言えるだろうが、本作の場合、そこにナカコーの声と言葉が乗る。さまざまな素材が融合され加工されエフェクトされた音の複雑なテクスチャーとは対照的に、ナカコーのボーカルは明快にメロディを紡ぎ出し、ノイズに埋もれさせることなくしっかりと言葉を伝えている。そうすることで、既存のエクスペリメンタルな音楽とはひと味違う景色が広がるのである。『Masterpeace』とは全く違う。それはとても美しく、エモーショナルで、そしてスピリチュアルでさえある。

 「新しい音楽」を作るにあたって、ナカコーがライブの現場やネットで出会った新しい世代の音楽家たちの感性に触れたことが大きなヒントとなったという。その一人が本作でプロデュース、プログラミング、エディットまで手がけ、ほとんど共作者と言っていい働きをしているMadeggことKazumichi Komatsuだ。ナカコーは彼の音楽に出会った時の衝撃を「今までと全然違うものが来たと思った。ある種の突然変異的な、いきなり今まであった時代をバッサリ違うほうに切り替えるような力がある」と語っている。

 Madeggは1992年生まれ、高知県出身で現在は京都を拠点に活動するトラックメイカーだ。彼はフィールドレコーディングされた現実音などの様々な音素材をサンプリングコラージュ、プロセッシングした音楽作品をいくつか発表している。例えばそのうちの1枚、その名も『NEW』という2016年のアルバムは、確かにナカコーのアルバムに通じる音響作品となっている。「これは音楽じゃない」と言い出す人がいても、驚かない。既存のロックやポップミュージックのセオリーを無視し、あるいはある種の制度的なテクノやエレクトロニカとも異なるアブストラクトでエクスペリメンタルな電子音響は、ナカコーが言うように、楽器を演奏するところからスタートして曲を作る、という既存のミュージシャンには作りにくい作品であることは確かだろう。

 とはいえ、ナカコーの強みは、ギターをかき鳴らし、鼻歌を口ずさみながらメロディを紡ぎ出し、言葉を乗せ、コードを当てて曲を作っていく、まさにミュージシャン的な仕草にあることも間違いない。ナカコーの武器は彼が天性のものとして持っている魅力的な声、甘美なメロディ、ミュージシャン/サウンドメイカーとしての経験と卓抜した感性、そしてポップセンスだ。Madeggら新世代ミュージシャンの感性や方法と、ナカコーの持つ武器を組み合わせることで、「かつて聴いたことのないような新しい音楽」を作ろうとしたのである。今回ナカコーが作詞を託したのは、たまたまライブで対バンして出会ったというシンガーソングライターのArita shoheiや、abelestといった人たちだ。彼らもまた、madeggと同様の新しい感覚を持った新しい世代の音楽家たちだ。ゲストで参加したゆるふわギャングの2人も同様である。その言語感覚もまた、ナカコーの感性を刺激したのだろう。

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