振付から紐解くJ-POPの現在地 第4回:YOSHIE
YOSHIEが明かす、ダンスと振付へのピュアな情熱 「技術だけじゃなくて心が反映される」
「“人を癒やす”ことをダンスで実現している」
ーーYOSHIEさんのダンス人生のターニングポイントはありますか。
YOSHIE:高校3年生の時のBE BOP CREWとの出会いは大きいですね。ダンスを見ただけで涙が出たのはその時が初めてでした。YOSHIBOWさんやSEIJIさんに会っていなかったら今の私はいなかったと思います。それと、レッスンで出会った長谷川三枝子先生。見学した時、雷が落ちたみたいになって。あとは、34歳で初めてバトルに出た時。そこからまた変わりました。自分のソロを踊ることや、人とダンスで勝ち負けを争うことを見つめ直したり。フランスの『JUSTE DEBOUT』にジャッジとして参加したのもカルチャーショックでした。それから海外にも呼ばれるようになって、結果を残して自信も付けて。海外の人との交流で、考え方や踊り方もすごく勉強になって、一方で知れば知るほど日本人の素晴らしさも考えさせられたり。ダンスではないですが、上京して、舞台に出てお芝居の勉強やトレーニングをしたのも表現力の面で役立ちました。
ーー一般的には20代が身体的なピークと言われていますが、30代で初めてバトルに参加されたんですね。
YOSHIE:私は基本的にすごく慎重で、石橋を叩いても渡らないタイプなんですよ。私のダンスは“バトル”とか勝ち負けじゃないし、と思っていたのに、32歳ぐらいの時に東京でバトルが盛り上がり始めて、すごく気になっていたんですよ(笑)。自分の実力がわかるんじゃないかとか、悶々として1年間過ごしてふらっとバトルを見に行った。そこで私と1つ違いのBUTTERの大場(進一)くんが優勝したのを見て、次の日にはバトルに出ていました。「YOSHIEさんがバトルに出るの?」っていう驚きと衝動をバネにするというか、逆手にとって。結果、優勝しました。
ーー考え方がエンターテイナーですよね。将来、どんな活動をしてどういう存在になりたいと考えていますか。
YOSHIE:私は今45歳ですが、この歳まで1回も目標を立てたことがない。毎日「明日死ぬかもしれない」と思って生きていて。基本的には慎重派だから、ちゃんとやらないと良いショーができないと思って、小さいクラブのリハーサルにも行くんですよ。それでステージに立ったら、「明日死ぬかもしれないから、いまフルアウトしたら良い最後じゃん」という考えがいつも頭をよぎっているんです。だから、将来のことを考えても仕方ない、今を大事にしていたら明日に繋がるという考え方はずっと変わらないですね。慎重だけど、毎日が崖っぷちみたいな気持ちで生きています。将来こうなりたいというのはないに等しいけど、60歳、70歳になってもし生きていたら、プロとかじゃなくていいから、ファンキーなおばあちゃんになっていたい。
ーーYOSHIEさんはハッピーなバイブスに溢れていますが、シビアに現実を見る目やファン目線も持ち合わせいて、どこか身近な感じもあります。
YOSHIE:自分の中にも相反する思いがいつもあるから、グレーゾーンが好きで。だから色々な人を受け入れられるし、いつも自分も迷っているから、迷っている人の気持ちもわかる。小さい頃はカウンセラーや心理学者になりたいと言っていたんですが、今は“人を癒やす”ことをダンスで実現している気がします。ダンスは技術だけじゃなくて、心が反映されるから。
周囲には「良いダンスだった」と思われても、私は自分の最高も知っているから、今日はあんまり……ということもあります。でもそれが自分なんだって受け入れる、そういう良い意味での妥協は歳を取ってできるようになりました。だから、歳を重ねるのは技術や体力が衰えるというわけじゃなくて、面白いことがたくさんあるよ、と若い人たちに伝えたいです。
(取材=鳴田麻未/構成=編集部/写真=林直幸)