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荏開津広が内田裕也の功績を振り返る

内田裕也のロックとは何だったのか? 「シェキナベイベー」ディコンストラクション

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 2019年3月17日、内田裕也が亡くなった。その日以来、マス、ソーシャルを問わずメディアにおいて多くの追悼の声が上がっている。生前の活動の幅広さと人々の印象の大きさを裏付けるように、様々な種類のコメントが揃った印象だ。4月3日には東京・青山葬儀所にて「内田裕也 Rock’n Roll葬」が執り行われ、関係者約950人、一般参列者750人が内田の死を悼んだ。そうした追悼の声も静かになりつつある時期に記すこのテキストは、内田裕也の生涯を要約しようとするものではない。ただ、私の専門であるダンスミュージック/ヒップホップとの関わりにおいて、内田裕也のやってのけたことを少し振り返ってみる。

内田裕也feat.指原莉乃『シェキナベイベー』

 内田裕也が主催し、彼自身やキャロル、加藤和彦とサディスティック・ミカ・バンド、カルメン・マキ&OZなどが出演した、1973年の大晦日から1974年の元旦にかけて西武劇場で行われた年越しロックイベント『フラッシュ・コンサート』は、会場や名称を変えながらも毎年開催され、今年の元旦には第46回目となる『NEW YEARS WORLD ROCK FESTIVAL』が行われている。また、1964年に尾藤イサオとのコンビで発表したカバー曲「ツイスト・アンド・シャウト」で、〈Shake it up, baby〉と歌い出してからちょうど50年後には、指原莉乃とのフィーチャリング曲「シェキナベイベー」をリリースしている。こうした一側面を挙げるだけでも、その人生のパブリックな部分は、ほぼ初めから終わりまで彼自身の言葉を借りるなら「俺(達)はROCK’N ROLL」であった。

 内田裕也という人物は、日本にロックを輸入して移植することにその人生を費やしたといっていい。であるなら、この人物のポップミュージックの領域での足跡の意味を掴むには、ロックンロールを知らなくてはいけない。そして、世の多くの人が理解していないのは、内田裕也という人物はもとより、まずロックンロールとは何かということではないだろうか。

 ロックンロールの誕生と言われるBill Haley & His Cometsの「Rock Around The Clock」(1954年)、もしくは当時の日本人が受け取ったであろうその雰囲気を今に伝える、同曲から翻案された映画『暴力教室』(原題『Blackboard Jungle』1955年)以来、内田裕也がリリースしたアルバムでいうならFlower Travellin’ Bandの『Make Up』(1973年)辺りの時代まで、ロックの中心にいたのは新世代の若者たちだった。彼らは、左翼的なイデオロギーによってーー東大安田講堂への立て籠もりのようにーー旧世代の権威が打ち壊されていったのを目撃し、ロックンロールをグローバルなメディア、来るべき時代の新しい言語として捉えていた。

 ポップミュージックの歴史のなかで、ロックンロールはその始まりからアイドル文化といちゃいちゃしながら、ゆえに多分にお仕着せのセックスを見せびらかし匂わせながら、1960年代というカウンターカルチャーの時代の空気をたっぷり吸い込んで育っていった。なぜ内田裕也はロックに魅せられたのか。ロックンロールは学生のものだ。ロックバンドの編成からして、アイドルというビジネスと、内田裕也たちのカバーした「ツイスト・アンド・シャウト」を1963年に歌ったThe Beatlesのジョン・レノンが、60年代を経て「Power To The People」と宣託したような時代精神がごちゃ混ぜになったものだった。銃口に花束を、戦争ではなく愛をーー当初は左翼的なティーンの理想主義と共にあり、またその具現化でもあった。それでも内田裕也は、その英語圏を中心とした学生の美学と社会的な意識が畳み込まれたコンセプトを、日本という国に持ち込む際に十分な美意識と才能を持っていた。アルバム『ロック・サーフィン・ホット・ロッド』に収録された「ツイスト・アンド・シャウト」は、数年後に起きたグラムロックのシアトリカルな美意識へと繋がるように響いた。その翌年には、音楽的な感覚の鋭さを発揮してThe Rolling Stonesの「Heart of Stone」をカバーした。

FLOWER TRAVELLIN’ BAND『SATORI <2017リマスター>』

「俺だって酔っちゃうとメチャクチャになっちゃうしね(中略)、ロックンローラーで年中理性的な奴なんて俺は信じられないなぁー。そういう多面性の中で自己葛藤みたいなことがあるじゃないですか? 俺は好きだけどね、そういうジキル&ハイドみたいの」(鳥井賀句『定本ストーンズ・ジェネレーション』JICC出版局/1986年)

 ミック・ジャガーの二面性のついて尋ねられた内田は、それこそがロックンロールにとっての文学性の可能性の在り処だと指摘していたのだ。この指摘は、ジャガーやルー・リードがフランスの象徴派詩の影響を受けて歌詞に織り込んだ悪魔やドラッグを、日本の空間と時間のなかで“リアルに演じる”ということに関連してくる。同時に、もしロックがグローバルなメディアであるなら、日本のロックも海外のロックもないはずで、そうしたこと一切を極めてコンセプチュアルに一つ一つ実現していったのが、内田裕也率いるFLOWER TRAVELLIN’ BANDの何枚かのアルバムなのである(FLOWER TRAVELLIN’ BANDの海外での評価を知るには、英ミュージシャンのジュリアン・コープが日本のロック史をはっきりとした美学判断基準を持って辿り直した労作『ジャップ・ロック・サンプラー』を参照してほしい。興奮を抑えきれない言葉遣いでFLOWER TRAVELLIN’ BANDが讃えられている)。

      

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