徳永ゆうきが語る、米津玄師「Lemon」カバーで感じた演歌の可能性「固定概念を覆していきたい」

 9月に放送された音楽番組『演歌の乱〜ミリオンヒットJポップで紅白歌合戦SP〜』(TBS系)で、こぶし混じりで歌い上げた米津玄師の「Lemon」のカバーが好評で、今注目が集まっている徳永ゆうき。劇団☆新感線の舞台『メタルマクベス』や、山田洋次監督の映画『家族はつらいよ2』に出演するなど、演歌の枠を越えた活動を繰り広げる徳永は、どんな人物なのか? 

徳永ゆうき【灰色と青】練習中《Guitar:Loostripper(萩原義人)》

 「Lemon」のカバー後の反響をどのように受け止めているのか、演歌歌手でありながら多彩に活動する真意は? つぶらで真っ直ぐな瞳には、「若い人も演歌を聴いてくれる世界」を目指す、熱い炎が燃えていた。(榑林史章)

「知らない曲ばかり選曲してくるやん!」と思っていた

徳永ゆうき

ーー『演歌の乱』での「Lemon」を歌ったパフォーマンスが話題になり、バラエティ番組でも引っ張りだこの徳永さん。先日大阪で開催されたディナーショーにも、「Lemon」を聴いて足を運んだお客さんも多かったとのこと。

徳永ゆうき(以下、徳永):半分近い方が、初めましての方でした。大阪で開催したのですが、福岡、仙台、新潟、岐阜、東京、全国各地から来てくださって、一番遠くからいらっしゃった方は台湾からだと聞いて驚きました。たぶんネットで僕の映像をご覧になった方だと思いますけど、着物を着ていらして、日本文化がお好きな方なんだと思います。特に演歌というのは日本の心を歌ったジャンルだと思っていますので、それを世界の方に知っていただけたのだと思うと、本当にうれしいです。

ーー米津玄師さんの「Lemon」を歌って、いかがでしたか?

徳永:米津さんの人気の高さを改めて実感しました。本当に失礼な話ですが、僕は演歌以外の音楽についてはまったく疎いもので、歌うことになるまでは米津さんの名前を存じてなくて、「Lemon」という曲も聴いたことがありませんでした。小学生の頃から演歌を歌ってきて、ポップスを聴いたとしても歌えるのか、最初はとても不安でしたし、番組スタッフからも「こぶしは抑えてほしい」と言われていたので、「どうしたら良いのか」と。練習期間は1カ月ほどありましたが、本番では緊張もあってかこぶしが少し入ってしまって。自分では「やってしまったな」と思っていたのですが、結果的に「こぶしが心地よい」という反応をたくさんいただき、ホッとしました。

ーー「Lemon」を選んだのは、番組側からの提案とのこと。前年にはRADWIMPSの「前前前世」を歌ったそうですね。

徳永:「前前前世」の時も、曲をまったく知らなかったので、「毎回まったく知らない曲ばかり選曲してくるやん!」と思っていました(笑)。しかも難しい曲ばかり。「前前前世」は、こんなに速い曲は歌ったことがないと言うほど、とにかくリズムが速いし。「今若者に人気の」とか「中高生に人気で」と番組スタッフの方から説明されて、「そうなんだ〜」と、勉強するつもりでチャレンジさせていただきました。

ーーポップスを歌うことによって、逆に気づけた演歌の良さはありますか?

徳永:ポップスになくて演歌にあるもの、一番はやはりこぶしだと思います。つまりそれが、演歌特有の魅力の一つなのかなと。「こぶしを抑えて」と言われて歌いましたけど、歌いながら自分では「もっとこぶしを回したいな」と思っていたんです。「ここも回せるのに」と、もどかしさを感じていて。他に「うなり」「がなり」といった演歌独特の表現方法がいっぱいあって、それを用いて歌った時の気持ちよさというのは、やっぱりありますね。特にこぶしは得意なので、カラオケの採点では1曲中に100回くらいカウントされたこともあります(笑)。

徳永ゆうき【3月9日】練習中《Guitar:Loostripper(萩原義人)》

ーー日本人の歌心という部分で、こぶしは日本人のDNAに響くものだと思いますか?

徳永:はい。自分の中では米津さんの曲の持っているものを大切にしながら、自分なりの表現方法で歌わせていただいて。聴いてくださった方の反応として、こぶしのところを支持してくださった若い方のコメントが一番多かったのも、その証拠じゃないかと思います。きっと日本人の根本のどこかで、こぶしの良さをみんな知っているんだろうと思いました。

ーーでも徳永さんは演歌歌手なので、「演歌を歌ってください」と依頼を受けるのが本来だと思いますが、そこで「ポップスを歌ってほしい」と求められるのは、モチベーションとしてどんな感じなんでしょうか。

徳永:もちろん本当は、演歌を歌いたいですよ。でも今の時代、演歌を歌える場所が少ないのは事実ですし、一般的に演歌はご年配の方が聴くものというイメージが付いています。そういう状況の中で、どうやったら演歌歌手の歌声の素晴らしさ、演歌歌手の存在を知ってもらうかを考えた時に、それこそ「Lemon」とか今の若い人が聴いている人気の曲を歌うことで、幅広い世代の方に興味を持ってもらえるんじゃないかと思いました。

ーー演歌を聴いてもらう導入になればいいと。

徳永:はい。そこで演歌歌手の歌声の素晴らしさや歌の上手さを多くのみなさんに知っていただけたら、と。『演歌の乱』では、僕以外にも演歌歌手のみなさんの技術のすごさが世間に伝わったと思っています。実際、そこで演歌に興味を持ったという話を周りから聞くと、すごく嬉しく思いますね。

ーーディナーショーで台湾から来た方は、徳永さんが歌う演歌も会場で聴いたわけですけど、それについて何か言っていましたか?

徳永:「生で聴いて、すごかった」「楽しかった」「これからも応援します」と言っていただきました。会場では僕のCDも多くの方に手に取っていただき、「家でたくさん聴きます」と言っていただいて。きっかけは何であれ、ちゃんと聴いてもらえれば演歌の魅力にハマっていただけるんだなと実感しました。僕の願いとしては、ご年配の方が聴くというイメージから、少しでも年齢層を下げたいということです。僕と同世代の方にも「演歌を聴いてくれよ」とまでは言わないけど、ちょっとでも興味を持ってくれたらいいなと思って活動しています。

ーー昭和の時代は、音楽番組には演歌歌手が必ず何人か出ていました。徳永さんは平成生まれなので、すでに音楽番組もほとんどなく、あっても演歌歌手が出るのは稀になっていた状況でしたよね。

徳永:そうですね。だから、僕が演歌を歌うようになったのは、テレビなどの影響ではないんです。演歌/歌謡曲好きな両親が、家族でカラオケに行って演歌/歌謡曲ばかり歌うので、僕も自然と覚えて一緒に歌うようになったのが最初です。初めて覚えた演歌の曲は、父親が好きでよく歌っていた千昌夫さんの「北国の春」でした。僕は3人兄弟の一番下で、兄と姉がいるんですけど、兄や姉は普通にJ-POPを聴いていて。3兄姉の中で僕だけ演歌に惹かれたのは、おじいちゃん子だったのも理由にあると思います。

ーー若い演歌歌手の方で、おじいちゃん子、おばあちゃん子だった方は多いですよね。

徳永:幼少期のいちばん身近な存在が家族ですから、その家族が聴いていれば、自然とそうなると思います。実際に僕もおじいちゃん子で、学校帰りにそのままおじいちゃんの家に行って、NHKの演歌番組や大相撲中継をいつも一緒に観ていました。でも、周りに大相撲を観てる子はいないし、演歌を歌う子もいない。やっぱりどこか、学校では浮いていた存在で、当時のあだ名は「おっさん」でした(笑)。

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